第3話


 それからまる半年。本の言う通りに勉強やら魔術の訓練やら、はたまた経営を学んだり体力作りに勤しんだ私は、たちまち現れた才能も相まって無事に死亡ルートを回避できるように……

 

「やっぱり無理に決まってるじゃないの」

 

 ……なんて、そんなご都合があるなら最初からとっくに上手くいっているのだ。私は自室のベッドの上で大の字になって呻いた。

 

 勉強はした。一日二十時間勉強、なんて張り紙を掲げたりして机に齧り付いてみたし、通っている魔術学校の図書館に篭ってみたりもした。結果、ただ昼寝の時間が増えただけで終わった。そもそも普段から勉強は苦手な方だったのよ。睡眠時間を削ってまで一日中勉強するなんて、頭がおかしくなりそうだったわ。

 ならば、と魔法の訓練もしてみた。この世界にレベルとかいう概念があるのかどうかはわからないけれど、ダンジョンと呼ばれるものがあるくらいなのだからあるはずだ。

 というわけで手近なダンジョンの入り口まで行ってみたけれど、そもそもダンジョンって一人で攻略するもんじゃないのよ。だからこそソロプレイは一目置かれる存在なんでしょうが。あっさり魔物にやられそうになって一層目で即退散した。ちなみにスライムだったわ。

 じゃああとはもう剣術や体術しかない、結局最後に勝つのは暴力よ、と思ってとりあえず毎日腕立て伏せ百回、上体起こし百回、スクワット百回、そしてランニング十キロ……とか素人ができるはずもないでしょう。普通に考えて。挫折した初日の翌朝には全身筋肉痛になっていて完全に心が折れたわ。ちなみに筋肉がなさすぎて、剣術や格闘術なんてもっての他だった。

 勉強もダメ、レベル上げもダメ、おまけに筋トレもダメ。

 

「どうすれば良いのよ……」

「俺が聞きてえよ……」

 

 視界の端から本がふよふよと浮いてやってきた。

 こいつは私が懸命な努力をしている横で口うるさく「おいおいそれくらいでやめんのか?」だとか「お、お前……才能なさすぎだろ……」だとか、とことん小言を浴びせてくるばかりだった。ずっと。

 今までだいたいの使用人は私の諦めの早さに愛想笑いをしながら「これ以上は大変ですからやめましょう」なんて言って離れていくやつらばかりだったからすごく新鮮で、すごく、すごく…………うるさい。

 非常に、ものすごく、それはもう毎日喧嘩するくらいに。

 

「というか! あきらかに令嬢に出来るはずもないのが混じってるじゃないの! あなたの中の悪役令嬢はこれで本当に破滅ルート回避してたの!?」

 

 がばりと身を起こして詰め寄ると、本はぎくりとしながら「ほ……本当だって!」と表紙をバタバタさせた。

 

「お前こそなあ、もうちっと根性みせろよ! 死にたくねえんだろ!?」

「死にたくないわよ! でもだからって苦しいことが急に出来るようになるわけなくない!?」

「お前…………」

 

 死ぬ気でやれ、死なねえから。なんて格言は信じない。それが私の座右の銘だった。だって人はあっさり死ぬのよ。

 自論を訴えたところで本は今日も呆れた視線しか寄越さない。私が苛立ちながら使用人に整えさせた頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜて、「ううーッ!」とうめきながら足をバタバタさせても。

 

「もう! じゃあ次! さっさと次のアイデア出してよ! 今度こそ私ができそうなの!」

「そんなこと言ったってなあ……嬢ちゃん、一体何ができるってんだ」

「親の権力を振りかざしたいじめ!!」

「良くわかってんじゃねえか」

 

 本の冷静なツッコミにでさえ今は苛つく。だってもう破滅の日まであと半年しかないのだ。状況は依然良くならないどころか悪化する一方。学園では相変わらず取り巻きたちに囲まれているし、婚約者からは避けられている。

 ヒソヒソと叩かれる陰口に我慢ならなくなって、私より家柄の低い子のことを罵って、悪口を言っていたくせにすぐ泣くからせせら笑って、そうしたらもっと陰口を叩かれる。

 でも仕方ないじゃない。取り巻き達だってクラスメイトだって、なんなら婚約者のアルベール様だって、そして──お父様と、お母様だって、私の前では笑っていても裏では私を見下しているのを知っている。陰口だって叩かれている。じゃあ私だけが他人をイジメちゃいけない理由ってなに?

 本当は誰も味方なんていない。そんな中刻一刻と迫ってくる自分の死。これで焦らない方がおかしいわよ。

 いっそ泣きそうな気分になっていると、本はしぶしぶといった様子で口を開いた。

 

「これは嬢ちゃんの性格的にどうかと思ってたんだが……」

「何!?」

 

 がばりと身を起こして食いつく。

 

「今からでも心を入れ替えて人間関係を見直すとか」

「それこそ一番できるはずないでしょうが!!」

 

 そしてベッドに逆戻りした。抗議するように本がバタバタと開いたり閉じたりする。

 

「演技でも良いからとりあえず他人に優しくしてみろ! 案外なんとかなるかもしれねえだろうが!」

「演技で人に優しくする悪役令嬢がどこにいるのよ!」

「勘違い系とか、ほら、あるだろ! 色々!」

「ああいうのは一周回って結局本人の性格と行いが良いから勘違いされてくれるのよ」

「……」

 

 ぐうの音も出ない、と言わんばかりに黙った本。

 

「そもそも演技って言ったって私、あなた以外に話せる友達とかいないんですけど!? どういう態度が優しいって言うのよ!? どうすれば友達ってできるのよ!?」

「お前…………」

 

 おまけに再び可哀想な目で見られた。目、ないけど。

 そんな視線を受けていたら、なんだか必死になっているのが虚しくなってきてしまった。ぜえぜえと肩で息を整え終えた後、ぽつりと「どうせ今度も上手くいかないわよ」と呟いく。

 

「あなたも良くやるわね。こんな何もできない悪役令嬢もどきに半年も付き合って」

 

 視界で動く本が煩わしくて、天井を見つめながらそう投げやりに言った。

 

「私が死んでも、あなたは別にどうとでもなるじゃない。エレオノールのところにでも逃げ込めばもっと優しくして貰えたかもしれないわよ? さっさと見限れば良かったのに」

 

 今までの使用人や先生はみんなそうだったわ、とぼそりと呟いた。みんなそう、私がなんで上手くできないのか理解ができないみたいだった。そうしてさっさと見切りをつけられていた。

 珍しく気弱なことを言う私にびっくりしたらしい。本が「お、おいおい、どうしたんだよ」とおろおろし始める。

 

「最初に暴力でお願いしたのはそっちだろうがよ」

「そうだけど」

 

 ぶすっとしたままふてぶてしく言う。

 

「わかってるのよ、昔からずっと私は『出来が良くない』の。お父様とお母様からも……いいえ、もっと昔からそう。お父さんとお母さんからも、先生からも、ずっと言われてきたんだから」

 

 諦められて、見放されて、最終的には嫌われる。そんな自分が私自身大嫌いだった。

 悪役令嬢エメになって、人生の正解を与えられて、それでもひとつも上手くいかない。そんなの無能以外の何者でもない。

 

「……」

 

 私が口を閉じると、本はしばらく黙り込んだ後おもむろにはーあ、と大きなため息を吐いた。人間だったら頭でもガシガシと掻くように表紙をぱたぱたとさせる。

 

「あのなあ、確かに嬢ちゃんは『出来が良くない』かもしれねえな? 教えた事は全然できねえし、かなり不器用だし……」

「……」

 

 言いたい放題言ってくれるじゃない。むくれた私に、けれど本は続けた。

 

「けどよ、結果は別として嬢ちゃんなりに頑張ってるじゃねえか。それに、俺だって……」

「……俺だって?」

 

 私が怪訝な顔で聞き返すと、口が滑った、とでも言いたげな顔で「なんでもねえ」とページをパタパタさせた。

 

「ま、乗りかかった船だ。今更降りてももったいねえし、しばらくは嬢ちゃんに付き合ってやる。だからそう不安がるなよ」

「……失礼ね、不安なんて感じてないわ。全然ね」

 

 思わずつっけんどんにそう返すと、「おっ、案外元気じゃねえか」と揶揄うような声が聞こえてくる。

 その言葉にいつも通り苛立つような、けれどほんの少しだけ安堵できるような気持ちになった。

 だってこんなに長い間見捨てられなかったのは初めてだ。生意気で失礼で煩わしい奴なのに、離れていかなかったことに心の底からほっとしている。

 ……もちろん、本の中身が必要だからよ。そうに決まってるし、それ以外の理由なんてないわ。「私なりに頑張っている」なんて言葉を貰ったのが嬉しいかったからだとか、初めて努力を認めてもらえてちょっと泣きそうになったからだとか、決してそんな理由じゃないわ。こんな口うるさい変な本に、そんな気持ちを抱いてたまるものですか。

 胸の辺りでぐるぐるとしている変な気持ちを吐き出すように、わざとらしくため息を吐いた。

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