自己肯定感の低い第三王女ですが、専属執事に溺愛されていたようです

葉南子

自己肯定感の低い第三王女ですが、専属執事に溺愛されていたようです


 どんなに努力しても一番になれない人っているじゃない?


 それが私、アンナ=スターレット。

 よわい十六、ユタリス王国の第三王女。


 暮らしは一般庶民じゃ考えられないほど裕福だし、専門のシェフが作る料理はいつも絶品だし、館内のメイドが全て面倒を見てくれるし、どこにも不満なんてなさそうでしょ?

 そう、不満なんてないの。

 

 自分自身ことを除いて。


 ★――★


「もうちょっと目が大きかったらなあ……」

 

 私はいつも通り鏡の前で呟いて、大きなため息をつく。


 鏡に映っている自分の姿にうんざりするのも、もう何度目だろう。

 今日は目が気に入らない。昨日は鼻、その前は口元。

 きっと明日は輪郭辺りを気にして、また鏡の中でため息をつくに違いない。

 

「お兄様もお姉様もあんなに綺麗なのに……。どうして私だけ……」


 胸の奥に溜まったみにくい感情が漏れ出したように呟いた。

 


 スターレット家には五人の兄弟がいて、私はその末っ子に当たる。

 上に兄が二人と姉が二人。漏れなく、みんな美形。

 彫刻のような完璧な顔立ちの兄と、絵画から出てきたような気品ある姉は、黙っていても「これぞ王族」というオーラが放たれている。


 ──なのに、私は……。

  

 父も母も年齢的に私が最後の子供だろうと、たっぷりと愛情を注いで育ててくれた。

 生まれてた時から「可愛い、可愛い」と言われ続けてきたし、兄や姉もとても可愛がってくれた。

 だから、私はなんの疑いもなく「自分が世界で一番可愛い」と信じていた。


 そんな夢物語の終幕は、意外と早くに訪れる。

 心も体も成長していく中で、私は気づいてしまった。

 兄たちの凛々しさ、姉たちの華やかさ。その光輝く中で、私一人だけが平凡で、なんのオーラも感じられない。

 その瞬間から自分の粗探しが始まって、今に至るまでになる。

 

 

「アンナ様、まもなくお時間でございます」

 

 低く落ち着いた声が耳に届いて、丸めていた背筋をぴんと伸ばした。

 自室の扉の向こうから呼びかけてきたのは、三つ年上の専属執事、グレンヴィル=ランバート。


 グレンヴィルは由緒正しい貴族の生まれだ。

 二年前、私の専属執事になる前は、周りから「完璧な青年貴族」と言われていたらしい。

 剣の技術も絵画も料理も勉学も、何をやらせても全てにおいて一番だったからだ。彼の噂は、スターレット家にも届いてはいた。

 その強さを表すような漆黒の髪と、見るものを虜にする水晶玉のような瞳。そして整った目鼻立ち。

 彼もまた、文句のつけようがないほどの美形だったので「神の子」と崇める人までいたそうだ。


 先祖代々、スターレット家の専属執事は決まった貴族の家系から出されている。

 それなのに、私にだけ無関係の貴族生まれであるグレンヴィルがついたことが長年の疑問だった。

 

「入ってきて大丈夫。もう準備出来てるから」


 そう告げると、彼は静かに部屋の中へと足を踏み入れてきた。

 

「また鏡の前でため息をつかれていましたか? お顔が暗いですよ」

「暗くもなるよ。お兄様お姉様みたいな端麗な顔じゃないもの」


 鏡の中の自分に悪態をつくと、グレンヴィルが背後からそっと肩に手を置いてきた。

 

「そんなことありません。アンナ様も十分お可愛いじゃないですか」

 

 鏡越しに目を合わせ微笑んでくるグレンヴィルの姿が、自分の容姿をますます惨めに思わせた。

 思わず目を逸らし、少し苛立ちながら言い返してしまう。


「グレンも、もうそういうお世辞はいいから」

「お世辞ではございません」

「はいはい、ありがとう。でもどうせ、私はどこにでもいる普通の女だよ」


 本当は「普通の女でもじゅうぶん幸せだな」と思う時だってある。

 でも私は、国王の娘で、眉目秀麗びもくしゅうれいな兄と羞花閉月しゅうかへいげつの姉がいる。

 それなのに、何ひとつとして突出したものがない『普通』ということが惨めすぎて劣等感しかないのだ。


 

「本日はこれからダンスのレッスン、その後語学の勉強、夜は夕食会でございます」

 

 レッスン場へ向かう長い廊下を歩きながら、グレンが背後から淡々と告げる。


「わかった。今日は次回のダンスパーティーに向けての模擬レッスンなんだよね」

「左様でございます」

「ステップ踏んでるだけよりは、模擬レッスンの方が楽しいから良いけど……」


 その先の言葉を飲み込んだ。


「アンナ様のダンス姿も、また可憐でございます」

「……グレンって、本当に歯の浮くようなセリフ平気で言うよね。今に始まったとこじゃないけど」

「とんでもないです。私はいつだって、アンナ様には本音を申し上げておりますよ」

 

 そう言ったグレンヴィルの声は、相変わらず優しいものだった。

 はいはいと軽くあしらってみたものの、実のところ、そんなに嫌ではない。

 だって、こんなにも『普通な私』をいつだって褒めて肯定してくれるんだもの。

 それが専属執事の仕事であっても、ただのお世辞だとわかっていても、こんな風に優しい言葉をかけてくれる人を嫌う人間なんて、いないんじゃないだろうか。


 ★――★

 

 ダンスレッスン場では、先生の叱咤しったが絶え間なく響く。

 

「アンナ様、もう少し身体を柔らかく! ステップ間違えています! 自分のことばかりでなく、お相手のことも考えてください!」


 必死にステップを復習し、リズムと動きを身体に覚え込ませる。

 だが、結果は芳しいものではない。

 過酷なレッスンが終わると、先生はがっかりした顔でため息をついた。

 

「次回もまた模擬レッスンです。本来なら、別のステップの練習にも入るところなのですが……」


 その言葉に胸を痛めたところで、追い討ちをかけるように先生は続けてきた。


「お姉様のスカーレット様はすぐに踊れたのに」


 兄姉と比べられるのには慣れている。

 けれど、慣れたところで痛みを感じなくなるわけではない。


 ──ああ、またか……。

 

 先生の言葉をただただ受け止める。


「……申し訳ございません。次回までには必ず踊れるようにいたします」


 深々と頭を下げるしかなかった。

 先生は「お疲れ様でした」と言い残して、足早にレッスン場を後にしていく。

 その背中を見送って、ぽつりと呟く。

 

「私だって、頑張ってるんだけどなあ……」


 容姿で兄姉には敵わない。

 ならばせめて、何か一つでもいいから突出したものが欲しいと、私なりに懸命に努力している。

 どんなことにも、手を抜いたことなんてない。

 

 だが、努力だけでは補えないものがあるのも事実だった。

 常に全力で挑むので、何事もすぐに人並みには出来るようになる。

 でも、それだけ。結局、一番にはなれない。


 項垂うなだれていると、グレンヴィルが優しく手をとってきた。


「アンナ様はいつもお一人で踊られていたでしょう? お相手がいないと、体重移動や距離感などが掴めないものです」


 そのまま片膝をつけたグレンヴィルは、真っ直ぐに目を見つめてくる。

 

「よろしければ、私とご一緒に踊ってはいただけませんか?」


 紳士的な笑顔だった。

 本当にダンスパーティーのお誘いを受けたようで不覚にも照れてしまい、思わず顔をそむけてしまう。


「まあ……。グレンがそう言ってくれるなら」


 グレンヴィルの差し出してくれた手を取り、彼のリードでダンスが始まった。

 

 ──驚いた。

 

 さっきの模擬レッスンとは比べものにならないくらい、身体が軽くて自由に動く。

 思い描いた通りに踊れる。


「ありがとう、グレン! すごく楽しく踊れたわ!」


 息を切らしながらも、自然と笑みがこぼれた。

 

「とてもお上手でした。やはり練習をしていた甲斐がありますね」

「でも、どうして? さっきの人とは全然上手くいかなかったのに、グレンとだとこんなに楽しく踊れるなんて」


 顔を上げ、不思議そうに問いかけると、グレンヴィルは微笑みながら答えた。


「そうですね、実はアンナ様特有のクセがございまして。ターンの時にわずかに反動をお付けになっているのにはお気づきでしたか? それがお相手のペースを少し乱してしまっているのです」

「そうなの!? 全然知らなかった!」

「それもまた魅力的になるのですが、初見のお相手ですと少し難しいのかもしれません」


 グレンヴィルは優しく説明してくれた。


「気づかせてくれてありがとう! 意識して頑張ってみる」

「とんでもないことです。私はいつも頑張っているアンナ様を見ていますから」


 そう言って、またにこりと笑う。

 優しい指摘と、自分をもっと伸ばしてくれるという彼の思いやりはとても嬉しかった。

 でも、完璧なグレンヴィルに自分の不器用な努力を見られていたということが、少しだけ恥ずかしくなった。


 ★――★


 今日は屋敷から離れた場所でのホーストレッキングだった。

 馬に乗るのは好きだ。

 いつもと違う景色が目の前に広がって、風と一体化になれる気がする。


「よろしくね、メルトン」


 敬意を込めて、今日乗馬する馬の顔を撫でた。


 私、グレンヴィル、そして調教師の三人と二頭の馬で目的地を目指して進むことにした。

 メルトンの手綱は調教師が引き、私がその馬の背に揺られる。グレンヴィルはもう一頭の馬に乗り、少し後方からついてきていた。

 

 あっという間に目的地に着いた。

 馬に乗っていると時間が経つのが早い。


「トレッキング前に、少し馬を休ませましょう」


 調教師はそう言うと、馬を大木に繋ぎ始めた。


「私はコースの下見をしてくるので、お二人はここでお休みになられていてください」


 そのまま調教師は軽い足取りでコースの方へ向かった。


「馬っていいよね。気持ちいい。嫌なこと全部、馬に乗っている間は忘れられるんだ」

 

 心地よい風がほほを撫でるように吹き抜けていく。


「馬はアンナ様を否定しないからですか?」


 その瞬間、ゴォッと強い風が吹いた。


「……グレンってたまにそういうところあるよね」

「私だって、アンナ様を否定したことなんて一度もございません」

「そういうの、本当もういいから……」


 グレンヴィルから目を逸らしたところで、調教師が戻ってきた。

 どうやら問題なくトレッキング出来るそうだ。


「じゃあ、メルトン。行こっか」


 少し雑な口調で馬に声をかけて、一人雑草の中を進んで行った。

 

 通り過ぎる風と木漏れ日が気持ちいい。

 自然の心地よさに包まれ、次第に気分が晴れていった。


「やっぱり楽しいな」


 景色を見回しながら笑みを浮かべ、ポツリとつぶやく。

 そしてすぐに、先ほどグレンヴィルに言われたことを思い出した。


「馬は否定しないから……、か」


 ぼーっとしてしまった瞬間だった。

 メルトンが上半身を地面の方へ近づけたことに反応が遅れ、体勢を崩してしまった。

 受け身のレッスンはしていたので、私もメルトンも大事には至らなかったが、どうやら左足をくじいてしまったようだ。


「いたた……」


 そのまま地面に座り込んでしまい、じんじんと痛む足をさすりながら動けずにいた。

 また自分を惨めに思ってしまい、くじいた足の痛みと合わせて泣きそうになる。


「ごめんね、メルトン。私がしっかりしていなかったから」

 

 心配して視線を配ると、メルトンは雑草を食べていた。

 何も言ってこない。何も責められない。

 何事もなかったかのように雑草を食べるメルトンを見て、どこか安心してしまった。

 

「本当、自分が嫌になる」


 ほほに一筋の涙が流れた。


「アンナ様、どうかご自身を嫌いにならないでください」


 いきなり聞こえてきた声に驚き振り返ると、肩で息をしているグレンヴィルの姿があった。


「グレン!? どうしてここに!?」


 恥ずかしいものを見られたと、慌てて涙を拭う。


「私はアンナ様の執事ですから。いついかなる時も、アンナ様のおそばにおります」


 答えになっていないような気もする。

 けれど、この足でメルトンに乗って帰れるはずもない。正直、助かったと安堵してしまう。

 グレンヴィルは私の左足に目を落とすと、瞬時に何が起こったのか理解したようだった。


「完全にくじいていますね。私がメルトンの手綱を引きますので、アンナ様は私の前にお乗りください」

「前って……! 二人乗りする必要ある!?」

「あります。早急に処置をしなければどんどんと腫れて治りも遅くなります」


 ごもっともだ。

 丁重に鞍に乗せてくれて、グレンヴィルはそのまま後ろにまたがった。


「しかし珍しいこともあるものですね。アンナ様が落馬だなんて」

「ちょっと考え事をしちゃって……。メルトンが無事で良かったけど、申し訳ないよ」

「アンナ様はやはりお優しいですね」

「なんでそうなるの?」

「ご自身がお怪我をされているのに、まず第一にメルトンの心配をされているじゃないですか。大抵の人は、落馬したら馬のせいにするか、自分の身体の心配しかしませんよ」


 後ろから聞こえるグレンヴィルの声が暖かくて、違う意味でまた涙腺が熱くなる。


「そんなアンナ様が誰よりもほこらしく、そして美しいです」


 手綱を持っているグレンヴィルの両腕に抱きしめられているようだった。

 気がついたら、また涙が頬をつたっていた。


 ★――★


 くじいた左足は、初期対応の良さと、病院で処置するまでの時間がそうらかからなかったことから順調な回復を見せている。

 あの時にグレンヴィルがいなかったら、もっと大事に至っていただろう。


 ──来週のダンスパーティーにはぎりぎり間に合いそうかな。


 ダンスのレッスンもしばらくは十分に出来なかったが、上半身を動かしたりイメージトレーニングをしたりと、私なりに精一杯練習をしていた。


 私にとって、このダンスパーティーは特別な意味をもっている。

 スターレット家の晴れ舞台となるダンスパーティーだ。

 兄も姉も、このダンスパーティーで華やかに注目を浴び、その存在感を刻み付けた。

 同時に、国王──父の評価を押し上げることにもつながっている。

 その役目が、私に回ってきたのだ。


「私だけ失敗なんて許されない……。お父様、お母様にも恥をかかせてしまう」


 プレッシャーに何度も押しつぶされそうになった。

 兄や姉と同じでは駄目だ。容姿の美しさで補えない分、ダンスで美しさを魅せなければ。

 ここで認めてもらわなければ、私は一生私を嫌いなまま過ごして死んでいくんだろう。

 

 左足に鋭く走る痛みを誤魔化しながら、一人練習に打ち込んだ。


 ★――★


 ダンスパーティー当日。

 知り合いの貴族から見たことのない貴族まで、百何十人もの人が集まっていた。


 緊張は時間が経つにつれて膨れ上がっていく。

 心臓が変に脈打って、手汗が噴き出てくる時もある。


「大丈夫……! みんながみんなダンスホールにいるわけじゃないし! いつも通りに、普段通りにやれば絶対に出来る!」


 一人きりの自室で何度も自分を鼓舞するも、気持ちは全く落ち着かない。


「アンナ様、お着替えの時間でございます」


 メイドが四人部屋に入ってきて、手際よくドレスの着付けを始める。

 流れるような作業であっという間に着付けが終わり、髪もまとめ終わった。

 

 久々のパーティードレス。

 薄いピンクのドレスは、様々なフリルとレースと宝石の装飾で豪華絢爛に飾られている。

 まさに『国王の娘』だと象徴としているドレスだった。


 ──二人のお姉様にはお似合いかもしれないけど、私が着ると宝石もくすんで見えるわね。


 また鏡の前でため息をつく。

 でも、今日はいつものお世辞が飛んでこない。


「グレン……。どこに行ったんだろう」


 代わりに飛んできたのは、メイドからの報告だった。

 

「アンナ様、お時間でございます。ダンスホールへご案内いたします」


 ★――★


 ホールには想像以上の人集りが出来ていた。

 国王最後の子、美男女の末っ子、その娘はどんなものなのかと、皆興味津々なようだ。


「大丈夫……、テーピングもギチギチに巻いた……。大丈夫、大丈夫……」


 呪文のように何度も繰り返すも、プレッシャーと緊張と不安は、どうやっても頭から離れてくれない。

 なにもポジティブなことは考えられなかった。


 ──グレンなら、こんな時なんて言ってくれるんだろう。


 アンナ様なら大丈夫、綺麗だ、とでも言うのだろうか。

 なんでもいいから、今は彼のお世辞が何よりもほしかった。


 

 いよいよ踊る時間がきた。

 

 玉座に腰掛けている国王の隣で、私はかしこまった挨拶をする。

 

「本日はお集まりいただき誠にありがとうございます。わたくし、第三王女のアンナ=スターレットと申します。この後のダンスのお時間、皆様何卒お楽しみください」


 場内に拍手が響く。しかし、それに紛れるよう小さな声も聞こえてきた。

 

「あれが第三王女?」

「なんだか普通だわ」

「お兄様お姉様方とは違うタイプよね」


 わかっていた反応ではあるが、正直こたえるものがある。

 それでも、貼り付けた精一杯の作り笑顔で玉座を降り、フロアの中心でダンスの相手を待つ。


 ──絶対に失敗しない……! 私もこのダンスパーティーで認めてもらうんだから……!


 ドレスの裾をぎゅっと強く握る。

 すると、フロアの中心にひときわ目を引く男性が現れた。

 黒髪にベネチアンマスク。静かな気品をまとい、まっすぐに私の前へと歩み寄る。そして、ひざまずき、優しく手を取った。

 

「アンナ様。やはりお綺麗でございます。どの宝石よりも輝いておいでです」


 耳に馴染んだ声。いつもの調子の柔らかい言葉遣い。

 

 ──私、知ってる……。


 緊張も不安も、全部、一瞬で消えていく。

 

「よろしければ、私とご一緒に踊ってはいただけませんか?」


 張り付けていた仮面が、心の中で音を立てながら崩れ落ちた。


「……はい!」


 差し伸べられた手を取り、私は軽やかに一歩を踏み出した。

 

 ★――★


 ダンスは大成功だった。

 咲き誇ったピンクの薔薇が華麗に舞っているようだと、集まった人たちが称賛してくれた。

 父も母も、兄も姉もみんな「素敵だった」と褒めてくれた。

   

「アンナ。お前が人一倍努力し、何事にも懸命に取り組んでいる姿を私は見てきた。そして、それは決して無駄ではない。今、芽が出なくてもいつか花開くものだ。今日のダンスのようにな」


 父の言葉が嬉しくて、年甲斐もなく家族の前で泣いてしまった。

 

 ホールではアフターパーティーが続いており、まだまだ盛り上がりを見せていた。


 ふと、ベランダに視線を向けると、あのベネチアンマスクをつけた男性が夜風に当たっていた。

 静かに一人で佇むその姿に、自然と足が向かう。


「グレン!」


 駆け寄ると彼は振り返ってきて、変わらない穏やかな笑みを浮かべてくれた。


「おかげさまで大成功だったよ。ありがとうね、グレン」

「やはりお気づきでしたか」

「当たり前じゃん! あんな歯の浮くようなセリフ、グレンしか言わないもん」

 

 あはは、と笑ってみせる。

 

「……でも本当ありがとう。私の左足、カバーしながら踊ってくれてたんだよね。見てた人たち、たぶん怪我してたってわからなかったと思うよ」

 

 ふと夜空を見上げると、無数の星がまたたいていた。

 その静かな輝きに、少しずつ心が軽くなっていく。


「……ねえ、どうして相手がグレンだったの?」


 さりげなく問いかけてみる。

 ベネチアンマスクの下では、彼が微かに微笑んでいるように見えた。

 

「前にもお伝えしましたが、私はアンナ様の執事ですから。いついかなる時もアンナ様のおそばにおります」

「それ、答えになっていないからね?」


 思わず返すと、グレンヴィルは静かに笑ってマスクを外す。

 月明かりに照らされた彼の姿は、どこか神秘的だ。

 そして彼もまた、夜空を見上げた。


「私から国王様に申し出ました。アンナ様のお怪我のこと、そして本来のお相手様も荷が重いと気後れしておりましたので、ならば是非私が代役を、と。」

「それでグレンに代わるって、お父様ってけっこう適当よね」


 肩をすくめながら苦笑いをすると、グレンヴィルはこちらに顔を向け直して微笑んだ。

 

「私はアンナ様の執事になるために様々な努力をいたしましたからね。信頼と実績はあるのです」


 ──私の執事になるため?

 

 そんな話聞いたことがない。

 またいつもの、いや、いつも以上に度がすぎるお世辞だろうか。


「お姉様たちならまだしも、グレンほど完璧で端麗な人が私なんかの執事に立候補するわけないでしょ」


 呆れたように笑いながら言った言葉が、胸の奥にキリキリと広がっていく。

 自分で言った言葉なのに、どうしてこんなに切なくなるのだろう。

 

「グレン、お姉様たちが狙いなんでしょ? それで近づくために私の……」


 最後まで言い切る前に、グレンヴィルの腕が私の身体を彼の胸の中へといざなった。

 ぎゅっときつく抱きしめられながらも、包み込んでくれる温かい優しさを感じる。


「そんなこと、二度と言わないでください」


 彼の低い声が耳元で震えている。

 

「私は、あなたにそんな顔をさせるために執事になったのではありません」


 そう言うと、グレンヴィルは一瞬目を見開いてはっとしたような表情を浮かべた。

 そして、気まずそうにそっと私から身体を離していく。


「……出過ぎた真似を。大変失礼いたしました」

「ねえ、グレン。……本当なの?」


 問い詰めるような私の声に、彼は静かに頷いた。

 

「本当です。アンナ様は覚えていらっしゃらないでしょうが、アンナ様が齢十の頃にお会いしているのです」


 記憶の断片を辿ってみても、思い当たるものが見つからない。

 グレンヴィルは微笑んでいながらも、昔を懐かしむような切なさが滲んでいるようだった。


「覚えていなくても当然です。私は、よくある貴族の集まりの子供の一人でしかありませんでしたから」

 

 彼はまた夜空を見上げた。


「お茶会で初めてお会いした際、アンナ様の所作の美しさに心を奪われました。十歳の女の子とは思えないほど、優雅だったのです」


 グレンヴィルの瞳は、星空を映しているかのように煌めいていた。

 

「他にも、読み書き立ち振る舞い。『立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花』とは、まさにアンナ様のことだと思いました」

「わかった! もういい! もうやめて!」


 顔が熱い。心臓がばくばくと音を立てている。

 これ以上聞いていたら恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだ。

 それでもグレンヴィルは言葉をつむいでいく。

 

「陰で泣いていたのも知っております。誰よりもひたむきに努力し、懸命に取り組む姿。とても綺麗でした。そのお姿を誰よりも近くで見て、支えていきたい。そして、共に成長していければと、そう思ったのです」


 いつも以上に真剣な顔をしている彼。

 

 ──こんな風に私のことを思ってくれていた人がいたなんて。

 

 一番にならなければ、誰も認めてくれないと思っていた。

 でも、そんなことはなかった。ずっと見てくれている人がいた。

 

「……私、けっこうひねくれてるよ? 努力しても一番になんてなれないし、容姿も普通。グレンと違って、凡人だよ?」

「そんなことはございません。アンナ様は私にとって一番輝いていて、そして、一番愛しているお方です」


 その言葉に、思わず息を呑んだ。

 「愛している」という響きが胸を高鳴らせ、驚きのあまり彼の顔を見つめ続けてしまう。

 そんな私の視線を受けて、彼は少しだけ照れくさそうに頬をかいた。


「失礼いたしました。勢い余って、手順を間違えてしまいました……。私は、アンナ様の専属執事になるために努力をしてまいりました。その結果、『神の子』『神童』などと呼ばれるまでなりましたが、全てはただアンナ様のおそばにいたかったからです」


 グレンヴィルの瞳はまっすぐで、揺るがない意思を宿している。


「私は、あなたを愛しています」


 その言葉は、時を止める呪文のようだった。

 気がついたら、ほほを伝った涙がいくつも零れ落ちていた。

 それは驚きや戸惑いではなく、心の奥から溢れ出した温かい涙だった。


「……ありがとう。嬉しい。ずっと、そういってくれる人を待っていた気がする。こんなに近くにいてくれたんだね」

「はい。それに、昔から言っていたではありませんか。アンナ様には、本音しか伝えておりませんよ」


 そう言って、大きな手のひらで私のほほを包み、溢れる涙を拭ってくれた。

 いつものように、にこりと微笑むグレンヴィル。

 だけど、その笑顔にはどこかいつもとは違う柔らかさを感じた。


「アンナ様、一番星ってどれだと思いますか?」

「どれって急に言われても……。あ、じゃあ、一番明るいあの星かな!」


 弾んだ声で夜空を指差す。


「では、あれはアンナ様です。この星空で、世界で、誰よりも輝く一番星」

「グレンって本当……。ううん、ありがとう」


 彼の言葉に、初めて素直に笑って答えられた。


 ★――★


 どんなに努力しても一番になれない人っているじゃない?


 それが私、アンナ=スターレット。

 よわい十六、ユタリス王国の第三王女。


 暮らしは一般庶民じゃ考えられないほど裕福だし、専門のシェフが作る料理はいつも絶品だし、館内のメイドが全て面倒を見てくれるし、どこにも不満なんてなさそうでしょ?

 そう、不満なんてないの。

 

 だって、私を一番愛していると言ってくれる人がそばにいてくれるのだから。

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