おいおいおい……


 格闘技の控え室は、緊張感が張り詰めた空気に包まれていた。




 選手たちは皆、ウォームアップに集中し、戦闘の準備を整えている。筋肉をほぐしたり、拳を固めたりと、それぞれが自分のルーティンに従っていた。




 そんな中、一角から妙な光景が目に入る。




 エリシアがベンチに座り、平然とスプライトのボトルを手にしていた。試合直前にもかかわらず、炭酸の入った飲料をゴクゴクと飲んでいるのだ。




「おいおいおい……見ろよ、スプライトだぞ?」




 一人の男が怪訝な顔をして仲間に囁いた。

 もう一人の男がエリシアを指差し、呆れたように言った。




「死ぬぜ? あいつ、試合前に炭酸なんて飲んでたら……頭おかしいのか?」




 控え室にいる他の選手たちも、信じられないものを見るようにエリシアをチラチラと見やる。


 腹に炭酸が溜まったら、動きにくくなるのは常識だ。だが、エリシアはそんな視線など全く気にせず、優雅にスプライトをがぶ飲みしている。




「ふぅ〜!これですわね、やっぱり!」




 満足げに息を吐き、試合前の緊張など微塵も感じていないような様子に、周囲はますます困惑するばかりだった。




 控え室の後ろから、一人のメガネをかけた空手家が腕を組みながら呟いた。


「ほう……。スプライトか。悪くない。」




 それを聞いた隣の選手が、驚いて振り返った。


「なぜそう思う!?」




 メガネの空手家は、冷静な表情で説明を始めた。


「スプライトには砂糖が多く含まれている。糖分。つまり、瞬間栄養食と言っても過言ではない。」




 彼は続けて、まるで豆知識を披露するかのように言った。


「マラソン選手も愛飲しているとか、していないとか。」




「どっちやねん!」




 隣の選手が思わずツッコミを入れるが、メガネの空手家は動じることなく目を細めた。




 一方でエリシアは、そんな彼らのやり取りを全く気にせず、最後の一口を飲み干していた。




「うふふ、うめぇですわ!」




 控え室には、謎の理屈とエリシアの余裕が入り混じり、ますます不思議な空気が漂っていた。




 エリシアは次に、何とマクドナルドのダブルチーズバーガーを取り出し、ものすごい勢いで頬張り始めた。




「もぐもぐ……ああ、美味しいですわ!」




 その豪快な食べっぷりに、控え室の選手たちは再び唖然とした。




「おいおいおい! 見ろよ! あんなに食べたら……バカなのか?」


「死ぬわあいつ。絶対に動けなくなるって。」




 エリシアは周りの視線など気にせず、ダブチ(ダブルチーズバーガー)を夢中で食べ続ける。カロリーを摂取することに全く迷いがない。




 すると、さっきのメガネをかけた空手家がまたもや冷静に呟いた。


「ほう……ダブチか。」




 別の選手が驚いたように尋ねた。


「なんだ!? なんか知ってるのか!?」




 メガネ空手家は、ダブルチーズバーガーを指差して説明する。


「よく見ろ。パンと肉と野菜だ。炭水化物、タンパク質、そしてビタミンッ!完全栄養食! 速攻チャージだ……。マラソン選手の誰かが、多分愛用してるかもしれんな。」




「知らんのかい……」




「しかもポテトも添えてバランスが……イイッ!」




 またしても絶妙なツッコミが入り、選手たちは困惑しながらも、エリシアの大胆すぎる食事スタイルに唖然としていた。試合前なのに、まるでピクニックでもしているかのようなエリシアの態度に、控え室は再び奇妙な空気に包まれた。




 試合が始まり、選手たちは全力で戦いに挑んでいた。




 だが、控え室で異彩を放っていたエリシアの姿はどこにも見当たらない。




「……あれ?あの女はどこ行った?」


 一人の選手が不思議そうに周囲を見渡した。




「さあ、予選落ちでもしたんじゃねえの?」


 別の選手が首をかしげる。




「いや、一回も試合に出てるの見たことねえぞ。」


 他の選手たちも彼女の行方を気にしながら、首を傾げる。






 一方その頃、エリシアは観客席に陣取って元気いっぱいにヤジを飛ばしていた。






「いけええええぇ!刺せぇええええ!ぶちかましたれやあああ!きえええェえェエエ〜!」




 彼女はまるで応援団長のような勢いで声を張り上げている。ホットドッグを片手に、興奮した観客たちに混じって盛り上がっていた。




 試合に出ていた選手たちは、あの妙な女が何だったのか未だに理解できず、困惑しながら試合に集中しようとしていた。




 控え室でスプライトを飲み、ダブルチーズバーガーを貪っていたエリシアは、一体何者だったのか……観客席でヤジを飛ばす彼女を見た者は、ただ呆然とするばかりだった。

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