1.1 The inverted wheel of fortune showed me


 10分ほど歩き、公園に到着する。

 横長のベンチに腰掛け、ビニール袋からサンドイッチの包みを一つ取り出して食べた。普通の味、特別これが美味しいというわけではない。このサンドイッチを家に持ち帰り両親に渡したところで、贔屓にしてもらいたい割には普通だなと、こき下ろしそうな予感がする。そこで、シュヴィアール家の分もあるなどと言ったら、こんな普通なものを渡せるわけがない、我々の品位が問われると、即ゴミ箱行きだ。

 食べ物に──人の食べ物に変わった命に罪はないのに、粗末にされてしまうのは良くないことだ。


 だから、家に帰りたくない。

 けれど帰らないわけにもいかない、この先どうすればいいかと思い浮かんだところで、俺は先ほど購入したタロットカードの包みを開けた。


 カードを取り出してみると、『0番 愚者』から『21番 世界』まで、竜をモチーフにした大アルカナカードが入っていた。どの絵柄も美しくまじまじと見つめているだけで面白いが、特に『17番 星』のカードが気に入った。『17番 星』のカードは、正位置では希望や好転を表す。基本的に明るい絵柄で描かれるものだが、このカードの竜は黒色だ。赤色ほどではないが、黒色も俺にとっては不吉な印象を受ける。しかし、この黒色の竜は、正位置でも逆さに描かれているほか、その翼の中に星が描かれている。逆さの黒い竜を逆さに描いているところが逆転の発想のように感じて素敵だと思った。

 半分ほどサンドイッチを食べ終えたところで、食べかけのサンドイッチを包みに戻し──両親の前ではこのように食事を中断するような行儀の悪いことは絶対にしないが──カードをシャッフルする。ベンチの上では広げられないため両手でカットし、さらに絵柄の上下がバラバラになるようにカードの向きを逆にしたりする。

 そうして混ざったカードデッキの中から、3枚のカードを占いたいことを思い浮かべながら引く。占いたいのは自分のこれまでと、これからのこと。過去と現在、そして未来へのアドバイスを3枚のカードが示す。


 一枚目、過去を示すカードは正位置の『1番 魔術師』。

 このカードは、始まりや創造性を示す。過去の始まりといえば、俺の生まれのことを示しているのだろうか。あまり良い解釈が思いつかない。


 二枚目、現在を示すカードは逆位置の『17番 星』。

 暗い色の竜が逆に描かれたことで希望を示している。そんなカードが逆位置で現れたとなると、極端にいえば絶望、あまり順調ではない様子だ。確かに、今の俺は色々なことに巻き込まれて順調ではない。


 最後の三枚目、未来へのアドバイスを示すカードは正位置の『19番 太陽』。


 中心に太陽が描かれていて、その周りを飛ぶ竜が描かれている。全体的に明るい印象のこのカードは、成功や、幸福、自信など、かなり良い意味を示す。

 ただ、俺の未来へのアドバイスとして引いたカードであるから少し複雑だ。二枚目のカードの流れからしても、要するに「今は不調だから、それを解決するには自信を持て」と示されているのだろう。


 正直、一番苦手で、避けたいことだ。

 何も特別なことはできず、両親に従うだけの俺に自信なんかあるわけがない。実現できないことを示されても困る。なんのアドバイスにもならない。



「はあ……」



 ため息をついて、ベンチの上に寝転ぶ。

 そして寝転がりながら、包みに残していたサンドイッチを口の中に押し込んだ。咀嚼しながら、『太陽』のカードを空へと掲げ、空に浮かぶ太陽に『太陽』の絵柄を重ね合わせた。

 自分で決められないから、占いで決めるといっても、しっくりくるな答えが出ないのが常だった。せっかく見つけた唯一の趣味であるが、趣味を極める才も無いのだとすると、俺に残るものは一体なんだろう。


 いっそのこと両親に従い続けていた方が、こんな風に悩まなくても済むのかもしれない。やがて両親に精神を侵されて、両親と同じように意地汚くなっていくのだろう。


 ああ、それは──



「それだけは、嫌だな……」



『太陽』の周りを、竜が飛んで、輪を作っている。

 輪といえばタロットカードにもその概念がある。『10番 運命の輪』、チャンスや転機を示す。ああどうか、このしがらみの中で、運命の女神が微笑みを向けてくれないだろうか。



 そんな時だった。

 突然俺の首元に、ぬっと、えんじ色の棒のようなものが現れた。先端に金属の加工が施されている。


 ああこれは、剣の鞘か──


 俺がその鞘を認識すると鞘は俺の腕を撫でながら持ち上がり、さらに俺が空に掲げていた『太陽』のカードを持つ手を思い切り打った。



「くッ……ああ……!?」



 今までに感じたことのない痛みに悶え、ベンチの上から転がり落ち、さらにのたうち回っていると、次は右耳を掠めながら鞘の金属部分が降ってきた。少しでも頭を動かしていたらこの鈍器が顔面を貫いたかと思うとゾッとした。



「……な、何者だッ!!」



 剣の鞘が一人でに降ってくるわけがない。

 それを振るう者がいるはずで、俺はその者に尋ねた。手の痛みによってバラバラになりそうになっていた思考をなんとかまとめ上げて、精一杯、吐き出した言葉だった。


 まことの太陽の下、黒い影が居る。

 こちらからは逆光で顔がよく見えないが、女神の微笑とは程遠い、悪魔のような笑みを携えていたことは確認ができた。

 そしてその笑みが携えられた口がゆっくりと開く。



「□□、□□□□」



 異国の言葉で何かを話した。

 声の感じからして、若い男──やがて、その男が俺の上にまたがって座ると顔にかかっていた影が移動して男の顔が顕になる。首元に赤い大きな痕がある、眼鏡をかけた、黒髪短髪、いや一部だけ胸元にかかるくらい伸ばされている。伸ばされた髪は黒色だがところどころに金色が入って──


 まったくこんな時まで、明らかに暴漢で今すぐ逃げるべき相手を前に、俺は"観察"していた。

 これも両親からの教え。一度会った人は必ず顔と名前を覚え、後からどんな人物かを探り、良い身分であれば"付け入る"のだ。



「□□□□□□。□□、□□□□。□□□□──」



 男がまた何かを言う。

 今度は少し長めに。しかし、言葉の後ろの方は、先ほどと同じ言葉を繰り返したように聞こえた。

 それから、背筋を撫ぜるような金属を擦る音と共に、俺の上にまたがる男は俺の顔の横に打ちつけた鞘から片刃の剣を抜いた。陽光を受けてキラリと刃が光り、さらに風を切る。

 すると、俺の外套の留め具が公園の芝生の上に落ちた。早くて何も見えなかったが、外套を布ごと切られたらしかった。



 ──道中はしっかとお気をつけくださいませ。

 先ほど、この辺りで異国の者による強盗事件があったとのお話ですので。



 街歩きに出かける前、爺やに言われたことを思い出す。

 特徴は聞いていないが、異国の暴漢とはこの男に間違いないと確信した。


 男は俺の外套を切った後、相変わらず嫌な笑みを浮かべながら俺を見下ろし何かを言っていた。そして"強盗らしく"、俺の服装を見ると、また嬉しそうに笑う。

 おそらく、身なりの良さを見て、これは良い金づるだと思ったのだ。外套の下は今日の見合いのために誂えたマータ家の一張羅。装飾品だけでも売れば良い値が付くだろう。


 男は切り落とした外套の留め具を拾い、自らの衣服──強盗にしては奇妙な服装だと思った──黒いスーツのジャケットのポケットに入れる。それから俺の首元に剣の刃を当てて脅してから、俺の衣服のポケットを漁りはじめる。


 ああ、ポケットにはサンドイッチ屋を訪れた後に外したもの──マータ家の身分証明たる指輪が入っている。

 尤も、男にとっては俺がどこの家の貴族だろうが関係なく、金目のものであればなんでも良いだろう。


 しかし、あの指輪を売りに出されると、また厄介なことになってしまう。

 厄介というのは、指輪をなくして両親に叱られることではない。あの身分証明がこの辺の質屋に出されれば、売りに出される前に必ずマータ家の元に帰り、売りに出した者は捕まる。

 何も被害がないようだが、その実、一人息子が暴漢に襲われて指輪を盗まれたという噂が立つ。

 噂を聞いた全ての人がその一人息子を憐んでくれれば良いが、そうもいかない。従者をそばに置かない行動が咎められたり、経済状況が疑われたりする。そこから根も葉もない噂が広がり、悪印象につながる。"人に付け入って生きている貴族"にとって、"印象"とは大切にされていて、それを傷つけられることこそ厄介で、そんなことになれば、両親は俺をどんなに咎めるか、想像に難くない。家の柱時計に俺を鎖で縛りつけて、一生、一家の恥と罵り続けるだろう。


 ああ、そうこうしているうちに、男は指輪を見つけたようだ。品定めをするように陽光に掲げ、ニヤニヤとした顔をしている。


 その指輪だけはダメだ。

 未だ指輪を盗まれた後に背負わされる罰がいくつも浮かぶなか、なんとか指輪を取り返す方法を考えた。


 その刹那、俺に向かって女神が微笑む。

 男に一瞬の隙ができた。


 というのも、陽光に掲げている指輪に光が反射し、男が眩しそうに目を閉じたのだった。

 幸い、腰ベルトにつけていた拳銃に男は気がついていないようだった。すぐさまホルスターから拳銃を抜き、男の喉元に向けた。



「……俺から離れろ、この盗人がッ!!」



 俺には引き金を引く勇気は無かった。

 そして、男には俺に引き金を引かせる隙がなかった。


 男は俺が銃を向けるのと同時に、その行動を視認して、剣を持たず、持っていた指輪は手放して身を引いた。その時の反応速度が普通じゃないと素人でもわかる。

 教養として俺にフェンシングを教えているコーチは、この国では一流だが、彼でさえもこのような身のこなしはしたことがない。


 異質、場違い、なんだってこの権力争いしか取り柄のない貴族街にこのような男がいるのか不思議だ。

 銃を向けても怯えることなく、こちらを鋭く睨め付ける様子からして、こういう争いごとには慣れているらしい、本当の手練れ。絶対に、これ以上は相手にしてはいけない。この引き金をおそらく引けば、次には殺される。本当に、清楚に見える黒スーツを纏う見た目と行動が釣り合わない男だ。


 そんな男を相手に、穏便にとはいかないだろうが、とにかくこの場を収める方法を考えなければ。


 この男に"付け入る"方法を──

 警察やその他の人を呼ぶのは難しい。公園であえて人気のないところを選んだ。周りに他の人の気配はない。この男もそれを見計らって俺に攻撃を仕掛けたのだろう。


 男に媚びを売っても仕方がない。


 命乞いも意味がない。


 男が求めているのは金目の物。

 残った小遣いを渡したところで、すでにより高価な指輪の存在を知られていては、それを俺から奪うまでは諦めないだろう。


 指輪を奪われたら、別な意味で穏便ではなくなり、厄介ごとが増える。




「ああ、それなら──」



 俺は銃口を下ろした。

 その瞬間、男は俺に向かって駆け出す。


 4発の発砲音が昼下がりの公園に響いた。


 間も無く、俺は腹に男の拳と蹴りを受けた。

 拳銃は手放され、腹に収めたものを吐き出していると、次は背後から男に取り押さえられ、いつの間にか手にしていたらしい剣を喉元に当てられた。

 金属の冷たさと、刃が触れる皮膚がわずかに切れたことで流れたであろう血液の熱さを感じた。



「□□□□」



 俺を取り押さえながら、男が耳元で何かを言った。

 相変わらず言葉はわからない。しかし、男がいやらしい笑みを抑え切れない様子からして、銃を発砲して抵抗しても捕まった俺を嘲笑っているものだと感じた。

 やがて、男は俺の膝裏を何度か蹴り強引に膝をつかせた。その拍子に俺はバランスが取れなくなりそのまま前へ倒れてしまうと、男がまた嘲笑する。

 そして、うつ伏せになった俺の背中を足で押さえつけると、持っていた剣を倒れた俺の目の前にある地面に刺し、また俺の持ち物を漁り始めた。


 男はあちこち漁った結果、俺の財布の中にある紙幣数枚と身につけていた装飾品、衣服の服飾品の宝石を強引に外してポケットに押し込んだようだ。

 その後は、俺を解放し、代わりに剣の刃を差し向けてつつも空いているほうの手で俺が手放した拳銃を拾い上げた。

 拳銃をじっくり観察し、売れば金になると判断したのかジャケットの下の腰留めのベルトに拳銃を挟んだ。


 俺に差し向けられていた剣が引っ込められる。

 持ち物を探り、拳銃も奪ったことで、俺が男に対抗できる手段はないと思われたのだろう。


 男の思考は正しい。

 武器はもう無い。なにより腹を殴られた痛みとか、最初に手を打たれた痛みとかが今になって増していて、動ける状態ではない。なんとか銃の引き金を引いたことが、ここ一番の反応だった。


 計4発、地面に向かって撃った。これでどうか、厄介ごとを生む最悪の事態は避けられているといいが──


 男は引っ込めた剣を鞘に収めてから、周囲を歩き、足で草の生えた地を撫でていた。しばらくして、何かを見つけたように、「お」っと声をだす。ああ、その場所は、4発の弾丸の着弾点付近。


 そこで男が拾ったのは"宝石が砕けた指輪"だった。


 砕けた指輪を見て男はため息をついた。そして、未だ起き上がれない俺に向かって壊れた指輪を投げつけた。


 思ったとおり──と、作戦成功に満足するには身体の負傷が大きくてそれどころではないが、指輪を持っていかれて更なる厄介ごとを生むことは阻止できた。


 相手は金目のものを狙う強盗で、価値あるものを奪う。

 絶対に奪われたく無いものがあるならば、その価値を落とせばいい。


 俺は投げつけられた指輪をそっと手中に収める。

 手の中にある壊れた指輪を──マータ家の紋が刻まれた宝石が砕けている様子を眺めていると、ずんと、腹に鈍い痛みが走った。

 朦朧とする視界の中で、空を見上げると陽光を遮る男が、笑みを浮かべている姿があった。


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