1.2 The strange guest



 現在も、客人は店員の前から動かない。

 おそらく、店員の返答を待っているのだ。返答なんか待たずとも店員の態度を見れば、"売買とはどんなものかを理解していない様子に呆れて返す言葉も出ない状態"と理解し、交渉を諦めるはずだろうに……あの客人は、一体、どんな表情であそこに立っているのだろうか。



「……嗚呼、"赤き園"のざわめきを感じる。貴公か、或いは後ろの少年か?先に警告しよう。私に対しては、たとえわずかであっても敵意を向けるべきではない」



 不意に客人が言う。

 どういう意図の発言かはわからないが、"後ろの少年"と、その発言の対象に俺が含まれていることにドキリとする。盗み見をしているのがバレてしまったのかと思い、俺は慌てて視線を品物の方へと移した。



「いや……もしかすると、私の言動に何か無礼があるのなら謝罪したい。私はそういうことに気が付きにくいとか、おかしいとか、友人に言われたことがある。直すべきこととは理解しているが気が付かないなら仕方がない、と言い訳するのも宜しくない」


「──まあとにかく……うん。上手くいかないものなのだ。何かあるなら、はっきりと話していただきたい。"報復"は私も疲れるし、貴公らも無事ではすまないのだから」



 客人は「いかがだろう?」と改めて問いかける。

 俺は盗み見していたことがバレないように、その問いかけの後、数秒してから客人らの方をチラと見た。


 ちょうど、客人が懐から黒いケースを取り出し、レジカウンターの上に置いているところだった。そしてその後、客人はその黒いケースを開いた。中から細長い筒状のものを取り出して何やら準備をすると、細長い筒からもくもくと煙が上りはじめる……ああ、東洋式のパイプタバコだ。父のパイプコレクションの中にあった気がする。


 いや、納得している場合ではない。

 二人の様子を盗み見しているだけの俺の腹がキリキリとしてきたのに、この客人は自称したとおり無礼がわからず、しかもパイプに夢中で、店員の鋭い視線に気が付いていないようだった。



「……お客さん、うちは禁煙だ。吸うなら出ていけ。吸わずとも、お前と取引する気はないから二度とこの店に来るな」


「……そうか。嗚呼、相分かった。ところで、魔石は魔物を呼ぶ危険なもの。魔石が手元にある以上、貴公には常に恐ろしい魔物に襲われる危険が伴うがそれでも良いのか?」


「なんだ、物乞いの次は脅しか?」


「いや、事実を申し上げている。魔石とは──」


「うるさい、出ていけ。しつこいと警察を呼ぶぞ」



 以降、店員は客人に言葉を返すことも、目を合わせることも無くなった。客人が何かを言おうとすると、店員の手は近くにある固定電話に手が伸びる。

 その様子を見て、客人はようやく「邪魔をした。失礼する」と話してから、くるりと身体の向きを変え、店の出入り口に向かって歩き出した。


 俺はもちろん客人が発言した後、こちらの方へ歩き出すのを予測したため、別の品物を見るふりをしながら客人に背を向けるような位置へと移動した。



「少年、買い物の邪魔をしたな。ゆっくりと見て回るといい」



 俺の背中に客人が語りかけたのを感じると、間も無く独特な鈴の音色と共に扉が開かれる音がして、客人は店を出て行ったようだった。



「……何が、"ゆっくり見て回るといい"だよ。ったく、おいガキ、冷やかしならお前も出ていけ。警察と親を呼ぶぞ」



 店員は俺に向かって怒鳴るようにして言った。

 俺は慌てて品物を持って、レジの方へ向かった。



「す、すみません。その、これください……」


「なんだ、客だったのか」



 店員はタバコを咥えて火をつけようとした手を止めて意外そうに言った。



「すみません、占いの新しいカードが欲しくて……」


「ふーん……?小僧なのに占いなんかやってんのか珍しいな」


「店員さんだって、占いのお店の男の人です。好きなことに、年齢とか性別は、関係ないと思います」


「はは、確かに。冷やかしとか言って悪かったな。会計してやるからちょっと待ってろ」



 店員は俺から品物と代金を預かると、一度その手を止め、先に咥えていたタバコに火をつけてから、また会計作業を始めた。



「……ここ禁煙、じゃないんですか?」


「あんなの、面倒な客を追い払う口実に決まってるだろ。お前もあんな大人にはならないように、パパやママの躾は嫌がらずにきちんと受けるんだな」


「──大体、"魔物"だなんて。今までも魔石を扱ったことはあるが出てきたことがねえよ。魔物が出るのはど田舎の話、こんな街中じゃ魔物も人間にびびって出てきやしないよ、なあ?お前もそう思うだろ?」


「は、はい。あんまり、魔物とかは詳しくはないですけど……」


「ふん、あのど田舎生まれの妙な格好の東洋人め、適当なことを言いやがって。服は綺麗だったが喧嘩のあとなのか知らないが顔には殴られた痕があったし、目元に赤い化粧をしていて……ほんっと、奇妙なやつだったよ」



 店員は両手の人差し指で目尻を押し上げてわざと細い目を作りながら、客人の発言を繰り返している。

 東洋人を侮蔑するような仕草の店員に対し、俺は苦笑いを返した。

 確かにあの客人は非常識さというか、胃が痛くなるほどマナーに欠けていたけれども、この店員のように、全ての東洋人を馬鹿にするのは違うと思った。それに、あの客人も交渉下手なだけで、危険らしい魔石を持っている店員のことを案じての行動だったように思う。


 そういえば、"客人の顔には殴られた痕があった"という今の店員の話と、"金を盗られ明日の食い扶持にも困っている"という客人の話を思い出した。



「ほら、小僧。品物だ。それと、お釣りは返さん。あの客の迷惑料として俺が取っておくから」


「え、なんで"俺"が……?」


「ふん。話を盗み聞きするくらいならあの分からず屋を助けてやればよかったんだよ。ママから追加で小遣いもらうか、あの客追いかけて請求しろ。お前もしつこいと警察、だからな?」



 こんな無茶苦茶な話があってたまるかと、流石に俺も憤りを覚えたが何とか堪えた。もうこの店には来ないことを誓って、品物を受け取ってから足早に店を後にした。


 店を出ると、通りにはさらに人が増えていた。

 雑踏の中を見渡し、あの客人が近くにいないか探した。お釣りを"チップ"として店員に取られてしまったのは手痛いが、だからと言って店員の言うように、あの客人に請求するのもはしたない。そもそも金を盗られたという人に対して迷惑料を請求したところで、払えないと言われるのがオチだ。小遣いはまだ残っているし、特に困ることはない。


 ただ、それでも俺が客人の姿を探したのは、このビニール袋いっぱいのサンドイッチの消費先に良いと思ったから。明日の食い扶持にも困っているのなら、不審がらずに、むしろありがたくサンドイッチを受け取ってくれるはず。

 このサンドイッチだって、俺一人で苦しみながら食べられるよりも、空腹の人の腹に美味しいという言葉をかけてもらいながら入っていく方が幸せだろう。



「んー、居ないな……」



 そんな俺の思惑は虚しく、雑踏の中に消えていく。

 しばらく周辺を歩いて回ったが、結局客人を見つけることはできなかった。


 そろそろ家に帰るべきだと俺の理性が語ったが、家に帰ればあとは両親が帰り説教が始まるまでじっと待つしかないことを考えると、どうしても足取りは重くなる。しかし、帰らなければ余計に説教が長引くことも確かだ。

 しばし考えて、占いグッズ店のやり取りで胃がキリキリとした後に若干の空腹感が現れたことを思い出すと、次の行く先は近くの公園に決まった。


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