1.2 Pride of the fallen aristocracy
「はあ……」
ため息を一つ。
毎日、毎日、息の詰まる窮屈な日々に溜め込んでいるものを吐き出した。
続いて辺りを見渡す。
許嫁とその父君がこの場を去り、俺の両親も彼女らの後を追っていった。もとより今回の顔合わせのために貸し切られたこの高級ホテルのラウンジには、俺以外の人は、店員を含め、誰もいなくなっていた。
緊張か何かが原因か、妙な暑さによって額にかいていた汗を服の袖で乱暴に拭うと、なんとなく、スッとした気持ちになった。
気持ちを切り替えてから、俺は立ち上がった。
蹴られた肩が少し痛むため摩ってみると、肩章やら服飾品が邪魔をし何も癒されない。千切って外してやろうかとも思ったが、折檻部屋にて、金切り声の母に咎められる事項が増えるだけだからやめた。
両親が今日の見合いにかなり力を入れていたことは、今日までに行われた厳しい教育を受けたこの身をもって実感している。そして、その見合いを台無しにされては、両親が俺に抱く怒りも相当なもので、折檻部屋に拘束される時間が通常よりも長くなることが予感できる。そんな中、高い金をかけてあつらえた洋服も台無しにしてしまっては、ただでさえ長くなりそうな説教の炎に油を注ぐだけだろう。
ああ、こんなに苦労ばかりなら、いっそのこと何もかも燃やしてしまいたい──そんな衝動を抑えこむ。
そのため、名家とのトラブルを両親が手や金を尽くして解消して帰ってくるまでに、少し街の中を散歩しようと思った。皮肉なことに、俺が両親の目から逃れて自由にできる時間は、こうしたトラブルが起こった時くらいしかないのだ。
誰もいないラウンジを出、さらにエントランスからホテルの外へと出ると、シュヴィアール家の自動車と、俺の家の嫌に派手な馬車があり、それぞれの乗り物の前に執事が待機していた。
「おや、坊っちゃま。旦那様と奥様はご一緒ではないのですか?それにまだ少しお時間が早いような……?」
外に出てきたうちの老執事が俺に気がつき声をかける。
彼の手には俺の外套を持っており、話しながら俺の両肩に外套をかけた。
「食事会は中止になりました。お父様とお母様はまだ御用事があると言っていました。私は家に帰るようにと言われています」
「ああ、なんと中止に……。それで、坊っちゃまは先に戻られるのですね。では、どうぞ馬車へ……」
「いえ、私は歩いて帰ります。ここで爺やと一緒に帰ってしまうと、御用事を済まされたお父様とお母様が困ってしまいます。うちまで遠くありませんから、私は一人で大丈夫です」
「しかし……坊っちゃまお一人では、爺やは心配にございます。坊っちゃまの御身に何かあったら旦那様たちになんと話をすれば……」
「……ああもう。じいめ、本気で言っているのなら最初から外套を着せずに馬車へ押し込んでくれ。ただ、その代わり、あなたへ横流しする贅沢品が少なくなるが」
俺が言い返すと老執事は皺だらけの顔をニコリと緩ませた。
「ははは、流石はマータ家のご子息様、強かでいらっしゃる。爺やも好物を取り上げられてしまうと困ります……が、しかし、ジルベルト坊っちゃま。道中はしっかとお気をつけくださいませ。先ほど、この辺りで異国の者による強盗事件があったとのお話ですので。あ、護身用の道具はお持ちで……」
「持ってるよ。すぐに使えるように父が準備しているから」
だんだんと老執事の心配が煩わしくなってきた俺は着せられた外套を軽くたくしあげ、衣服の腰ベルトに装着済みの拳銃を老執事へ見せた。異国の暴漢がどのような人物かは知らないが、拳銃を前に怯まないものなど居ないだろう。
「流石にございます、坊っちゃま。爺やは安心しました」
「……坊っちゃま呼びはやめてくれ。父と母の前じゃないんだから。それに、こんな子供相手にそういう態度じゃ窮屈だろう?」
「ふふ、子供相手だからこそですよ、坊っちゃま?」
「ああ、また!もういい!好物が貰えなくなっても知らないから!」
外套のフードを被り、俺は意地悪い老執事から逃げ出すように歩き出した。背中に「お気をつけて、いってらっしゃいませ、ジルベルト様」と、からかいをやめて呼び名を改めたセリフを受け付ける。子供ではないとは言いはりつつも、呼び名一つで癇癪を起こしすとは、自分の幼さを自覚した。
老執事──"爺や"は、マータ家の筆頭執事であり、古くから、それこそ俺が生まれるよりも前からマータ家に仕えている。瀟洒なふりして酒浸りとタバコ浸りが趣味のダメな老人であるが、その分、しがらみから抜けて自由に生きたいという俺の考え方にも理解があり、ああして厳しい両親の目から庇ってくれる。もちろん、報酬──酒やタバコなどの贅沢品の横流し──次第であるし、彼にも職務上の立場があるからダメな時はダメであるが……、それでも彼に考え方を見抜かれてからは、家の中でも息を詰まらせることが少なくなった。
爺やから逃げ出す足取りを徐々に緩めて、街を見渡す。
忙しそうにしている人ばかり、誰かに謝っている人も居る。ああ、あの人は服飾売りの……などと、自分が見渡しているのが街並みという景色ではなく、人の流れや表情であることに気がついた時には、またうんざりした。
俺は昔からそういう教育──"人に付け入る教育"を受けていう。
俺の家系、"マータ家"は、過去に何かを偉大なことを成したとか、広大な領地があるとかそういう一家ではない。貴族としては数世代前に没落していると言い切っても良い。
しかし、没落状態でも未だ存続できているのは、自分たちより位の高い貴族に媚びへつらい、気に入られて懐に入り、支援を得ることで生計を立てているからだ。貴族としては薄汚い部類だと分類されつつも、上位の貴族からは、"都合の良い駒"として有難い存在でもある。
おそらく、許嫁の一家シュヴィアール家もそのように思っていることだろう。かの一家は、今回の俺の失態を許すことでマータ家に借りを作ることができる。一方、両親は貸しのためにシュヴィアール家に尽くす。そうして、シュヴィアール家にはマータ家という駒ができたところで、真に必要な縁談まで結ぶことができる。
全て、シュヴィアール家の良いようにことが進むのだ。もしかすると、俺の赤目が気に入らないというのも、描かれたシナリオのどおりなのかもしれない。
ああ、なんと!さすがはチェスの名手を娘にもつ一家らしく、駒の扱いには慣れている!
というのは、かなり無礼な皮肉で。少なくとも、あの慣例儀式の場で怯えていたノエルという女性に対しては。おそらく、彼女もまた一家に利用されている子供なのだろうから。
こういう皮肉を思いついてしまうところが、薄汚い貴族であるマータ家の血が流れていると感じてしまって嫌になる。
「ああ、やめだ、やめ」
外套のフードに覆われた顔を両手で拭う。
せっかくの自由時間、限られた自由時間なのだから、せいぜい楽しまなくてはならない。今日の説教の後は絶対に自由な時間など取らせてもらえないのだから。
とはいえ、偶然できた自由時間に何かがしたいと思いつくほどの器用さを俺は持ち合わせていない。これまでの生き方から趣味趣向の何まで、俺の全てを両親が決めてきた。そして、俺の全てを決める両親すら、誰かのため──他の貴族に付け入るためであるため、誰一人として自分の意思を持っていない。まったく、俺を含め、つまらない人間ばかりでできているのだ。
そんな時、採用する意思決定方法といえば、人の三代欲求。
食欲、睡眠欲、そして性欲。先日見合い前の教育として行われたアレのせいと、今日許嫁が見せた反応のおかげで、性欲とはすっかり気味が悪いものだと思うから論外として……残るは食欲と睡眠欲。だが……まだ、眠くはない。朝食も数時間前に摂ったばかりで特別腹が空いたわけでもない。
しかし、昼食会は中止で、この後仕置きとして夕食も抜かれる可能性を考えると、ここで腹を満たしておくのは悪くない。
そう思い立ってから、何を食べるか考えつつしばらく歩くと、間も無く商店街へとたどり着く。ここには、先ほどのホテル前とは違って忙しそうな人は少ない。買い出しの時間でもなく、昼食の時間には早いため人通りはまだ少ない。しかし、これから訪れる繁忙時間に備えているのか、店員などがせっせと準備をしている様子が多くあり、別な意味の活気が感ぜられた。
俺は大通り添いに並ぶ店や、露店のうち、一番声をかけやすそうな店を歩いて探した。やがて、ちょうど店の準備を終えたらしい露店の女性店主と目があった。
「あら、坊やお遣いかい?いらっしゃい。どうぞ見てって。うちのサンドイッチはこの辺で一番美味しいんだから!」
活気を見せるためか、急に女性店主は声を張り上げた。
それに少し驚きつつも、彼女の声に吸い寄せられるように露店前へと足を運ぶ。彼女の客引き文句が魅力的だったわけではなく、単に俺が"つまらない人間"であるから。
露店に並ぶ商品──様々な種類のサンドイッチを一つずつ眺める。食の好き嫌いを無くす教育を受けているため、嫌いなものはない。好きなものも別になく、眺めているのは"真剣に吟味している様子を見せつける"ため。そうすることで、人は多少、良い気分になる。初対面では特に、"初対面なのに真剣に考えてもらえている"という幸福感があるからだ。
「……どれも美味しそうですね。一番おすすめはなんですか?」
「一番人気はそこに書いてあるとおりさ。で、私のおすすめはこれだね。野菜がちょっと多いから坊やは苦手かもしれないけど、野菜が苦手ならこっちもおすすめで……」
「じゃあ、店員さんのおすすめのやつを、一つください。野菜も食べられますから」
値札にあるとおりの硬貨を財布から取り出して女店主へと差し出す。
女店主はニッコリと笑いながら「野菜も食べられるだなんてうちの子も見習ってほしいよ」と世間話を交えながら硬貨を受け取った。
「おや?坊や……い、いや坊っちゃま、マータ家のご子息様だったのですか!?」
その時、硬貨を受け取った女店主が突然大きな声を上げた。
彼女の視線の先には俺の手があって、指には指輪が付けられている。
この指輪には宝石部分に家紋があしらわれているほか、うちの派手な馬車と同様に特殊な形をしており、一目でどこの人間かがわかるようになっている、身分証明書のようなもの。
外套のフードを被っており顔は見えないと思っていたが、身分証明の指輪を外し忘れていたことは失態であった。
「あ、えっと……」
別に、両親たちのように自分の家を誇示することはしたくない。そもそも母から「家に帰れ」という言いつけを守らず街を歩いているのだから、女店主が俺の身分に気が付いたこの状況はかなり都合が悪い。貴族の身分などは関係なく、普通に接客してもらえれば良いのだが、女店主としてはそうは行かないのだろう。
「まあ、まあ……!坊っちゃまがこんな店に来てくださるとは思いもしませんで、ぼ、"坊や"などど無礼な口をきいてしまったこと、どうかお許しくださいませ」
「い、いえ。別に、気にしませんから。それより……」
早くサンドイッチをください。
そんな要求も聞いてくれず、女店主は嬉しそうに話を続ける。
「ところで!あのシュヴィアール家のご息女とご婚約されるというお噂を耳にしました。おめでとうございます。あ……婚約なさるのに"坊っちゃま"という呼び方は相応しくありませんわね」
「──ああ、そうだ!両家のご家族分のサンドイッチをお包みしましょう。お代はお一人分で結構ですわ!名家の方々のお口に入ることこそ光栄ですからね!ぜひ、お持ちになってください」
「あ、あの……一つで結構ですので!」
叫ぶように伝えても女店主は聞いてくれなかった。
俺が指定した店主のおすすめだけでなく、その他のサンドイッチも丁寧に包装紙に包んで、まとめてビニール袋に入れて差し出してきた。
「はい、どうぞ。今後ともご贔屓に!両家の旦那様方に"よろしく"とお伝えくださいませ!」
そう言ってさらに念押すように、ずいと差し出す。
もはや断るような雰囲気ではない。頑なに厚意を受け取らないことも失礼に値するとも、両親から教育を受けている。
「……あ、ありがとうございます。両親には伝えておきますね」
たくさんのサンドイッチが入った袋を受け取り、深く礼をしてから露店を後にする。そして急足で歩きながらすぐに指輪を外した。
露店でのやり取りが目立ってはいないかと、通りを歩く俺の周りが気になって左右や後ろに視線を向けるなどしていた。
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