【番外編】enutroF fo leehW:Ⅹ

京野 参

第1話

1.1 Pride of the fallen aristocracy



 ──さあ、ジルベルト。ノエル様に挨拶なさい。


 父と母に背中を押されて、私は一つ前へ進みました。

 目の前にいらっしゃる女性は、私の両親が巡り合わせてくださった方。私のフィアンセとなる女性です。


 私は彼女の前に傅き手を取り、その甲に口付けをしました。

 その瞬間、彼女の手はわずかに震えていました。


 両家のしきたりどおりならば、この見合いの日に合わせて、事前に"性に関する教育"が行われます。実際に、私もつい三日前にその教育を賜りました。とても大切な教育でしたが、その日の夜は、眠ることができませんでした。

 彼女よりも身分の低い私でさえ、その一晩は気味悪さで眠ることができないほどの内容だったのですから、こんな私と彼女を比較しては無礼ではありますが、高貴な彼女にとって衝撃的な教育内容であったことに違いはないでしょう。

 その証拠に今、彼女は手を震わせて、怯えていらっしゃる。

 手の甲に口付けし、親愛を示す──そういった形式の場とはいえ、この私が不躾にした行為は彼女を震えさせてしまうほどの"いやらしさ"を感じさせてしまったのでしょう。罪悪感、そして絶対に嫌われてはならないという義務感が、私を反射的に動かしました。


 絶対に顔を上げるな。

 視線を下に、目は伏せること。


 今日まで何度も両親に、使用人にも注意されていたことで、私自身も練習し続けて来た仕草なのに、言いつけを破ってしまうまではとてもあっけないものでした。


 見上げた先には私のフィアンセの顔がありました。

 そして彼女もまた私を見つめていらっしゃいます。

 目尻が下がっていて、顔つきからは穏やかそうな印象を受ける女性でした。


 ノエル・アンリエット・シュヴィアール


 名家シュヴィアール家の3姉妹のうちの一人。末の妹。

 年齢は私の一つ下で8歳。

 好物はサーモンのキッシュ、趣味はまだ無いそうですがチェスが得意で大人も負かすほどで、チェス大会にも出場し、3度の連続優勝を果たしていらっしゃいます。間も無く開催される国一番のチェス大会に優勝すれば4連勝どころか、史上最年少の優勝記録となるそうです。

 またチェスの腕だけでなく勉学にも秀でており、学校では学年で1番の成績とのことで、とても優秀なお方です。


 そんな彼女──ノエル様のフィアンセとして、私は彼女の父君に選ばれました。


 とはいえ、父君は私に何かを見出したわけではありません。

 決め手は二つ。私以外に候補者は何人かありましたが、その中で特に"顔の見た目が良かったこと"が一つ。もう一つは、とある東洋人の研究者と顔見知りだったことです。

 人の顔立ちの良し悪しなど、ましてや自分の顔が他人にどう見えるかはわかりませんでしたが、単純に、"唯一の欠点"は指摘されつつも、父君のお眼鏡に叶うことができたのであれば、光栄なことでありました。

 二つ目の理由はよくわかりませんでした。誤解があるようにさえ思います。確かに先日、東洋人にホテルの場所を尋ねられ、道案内をしましたが、どうやらその東洋人がかなり高名な、名家シュヴィアール家の当主が気にするほどの人物であったようです。

 貴族街にはふさわしくない少しくたびれた服と佇まいの人でしたから、私の両親はその者の対応を"雑事"として、私に案内を任せました。しかし、このようにことが運ぶことになった折には、「良いことは返ってくるものだ」と誇らしげに、そういう諺があるとも交えて教えてくださいました。


 両親からの教えを賜る都度、忘れてしまわぬようにその内容をノートに数回書き記し、さらにノートの確認を受けます。



 顔を見上げるな。

 視線を下にし、目は伏せること。

 ああ。特にお前のその悪魔のような瞳は、ノエルお嬢様にはもちろん、旦那様にも──いえ、私達にも見せないように。赤くて気味が悪いのですから。



 今日のために賜った教えも同様に、数回書いて覚えたはずでした。それなのに、私はノエル様が抱いた恐れが気になってしまい、彼女のお顔の様子を伺うためにを見上げてしまいました。



「貴様、その呪われた瞳を向けるなと散々言ったはずだぞ!」



 間も無く、私の愚行を咎める声がしました。

 声の持ち主はノエル様の父君──シュヴィアール家の当主様であり、彼は声を荒げた後すぐに私の肩を蹴り飛ばし、私はそのまま後ろに倒れました。



 あ、ああ!も、も、申し訳ございません!

 この愚か者が、とんだご無礼を……お許しください!お許しください!言いつけを守るように躾けたのですがどうしてこんな……ああ、どうか破談だけは……!


 こら、お前はいつまでそんなところで寝ている!姿勢を正し、頭を下げ、謝罪しろ!あれほど言ったのにどうして言いつけが守れないのか!



 倒れている私を気遣うことなく、両親は真っ先に膝をついてそのまま這うように旦那様の足元へ移動し、何度も何度も頭を下げていらっしゃいました。



「……ふん、先が思いやられる。しばらく貴様らの顔──特に、あの気味悪い赤目は見たくない。……ノエル、昼食会の予定はキャンセルだ。行くぞ」



 旦那様はそう言うと、這うように頭を下げている両親には目もくれず、ノエル様を連れて去っていきます。



 お、お待ちください!ああ、なんてことだ……

 まったく、お前のせいで!あれほど、あれほど言ったのに、私たちがどれほど苦労して婚約まで取り付けたかわかっているのか!私も今日一日お前の顔は見たくない!先に家に戻り、折檻部屋で待つこと。もちろん、食事なんて取れると思わないことだ。

 もしこれで破談にでもなったら、この婚約で得られる富や名誉分の働きをしてもらいますからね!



 父は、ノエル様たちが去っていく後を追いかけました。

 母は、甲高い声で私を叱責し、家に帰るように命じました。

 そして私は、その場に姿勢を正し、「はい」と返事をし、叱責する母を見つめました。

 すると母は、何度言いつけを破れば気がすむのですか、その目は伏せなさい。でないと──と、その先に続く恐ろしい言葉を伝え切ることなく、父の後を追って行きました。


 母が言いかけたのは、お前の目をくり抜くぞという言葉でしょう。

 ノエル様との縁談が決まってから、両親は私の目の色を気にするように──忌むようになりました。

 理由は、ノエル様の父君が私の顔の唯一の欠点として、"目の色が赤色であること"と指摘したためでした。



 赤色とは不吉なことを連想させるから気味が悪い。

 その証拠に、書物の中でも、悪者は赤色で表現されている。



 両親はそのように私に教えてくださいました。そして、翌日から家にある書物は全て、必ず赤色の悪者が出てくるものへと変わっただけでなく、赤色の家具や小物などは全て処分されるなど、とにかく、"赤色は忌むべきもの"という考え方に変わりました。

 もちろんそれは、赤色の瞳を持つ私のことも例外ではありません。遺伝の不思議によるものだと私は考えていますが、私と両親は瞳の色が異なっています。そういう事情もあって、より奇妙に、そして不気味に思えてしまうのでしょう。

 そんな不気味に感じられる容姿であっても、今日まで他の家の子より大切に育てていただいていることには、無窮の愛情を感じざるを得ません。


 だから私は、そんな両親のことを──

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