〈2〉原生林と池

―――身分違いの恋は、がんとして秘めなければならない。

絶対に秘密が守られる懺悔ざんげ室においても、この恋だけは明かせないはずだった。


でも。

もう死ぬのだから、秘め事を知られたところで何が怖いというのだろう。

ためらうことは何も無い。

そう思い、シェリィは懺悔室の扉を叩いた。


「2人はこの恋にじゅんじるのです」

懺悔室の格子こうし越しに、自分の窮状きゅうじょうを話した。

「魔術師は、命をつための薬を持っているでしょう?私に分けてください」


「自ら命を断つことは罪なのです」

王室教会の魔術師ローグは、そうさとした。


「それでも私達は死ぬのです」

ためらいなく答えた。


おりのような沈黙が懺悔室を支配した。

「薬を分けていただけないのなら……」

シェリィが対話を終えようとすると、ローグは「ふぅん」と息混じりの声を出した。


「ならば、生まれ変わりの薬を差し上げましょうか」



ローグが寄越よこしたのは、手のひらに収まるほどの小瓶だった。


「これは毒には違いありません。液体を飲み込んだ者はそれほど苦しまず死に至るでしょう」

瓶を小さく振りながら、魔術師はあまりにも魅惑みわく的なことを言った。

「しかし、訪れるのは完全な死ではない。飲み込んで死んだ者は、別の何者かに転生する。そして新たな生を歩む」


願ってもないことだ、と思った。

身分違いの恋は現世では成就じょうじゅしない。

しかし、2人が生まれ変われたとしたらどうだろう!


きっと次の人生では、身分を気にする必要などない。

2人は2人の場所で、2人だけの愛を育んでいけるだろう。



+++


低い天井。古い木の匂い。

ゆっくり目を開けた。何か夢を見ていた気がする。


(ああ、そうか。私は追放されて……)


夢は夢。目覚めればすぐに消え失せる。そして現実はどこまでも現実だ。


身を起こす。部屋の隅に座って目を閉じていたローグは、その気配を察して目を開けた。

そして、静かな声で言った。

「準備が済んだら先へ進む」



相変わらず食欲はなかったが、宿の主人が用意してくれた簡単な朝食を食べた。

食料を喉に流し込む作業のように思えた。


+++


オアシスを抜け、砂漠を渡り、やがて草原へ。知らない街を抜け、山道へ。そして原生林へ。

聖獣は風のように駆ける。


随分遠くまできたがローグに迷いはない。聖獣に、的確に指示を送っている。

彼はいろいろな土地のことを知っているのだな、とシェリィはぼんやり考えた。


王都からどれだけ離れたのだろうか。シェリィにはもう分からない。


王都には帰れない。

あんなにも愛した人にも、もう逢えない。

流れるように過ぎていく森の風景の中に、いとしかった王子の残像がぼやりとかすんで消えた。



手つかずの森の中をしばらく駆けると、水音が聞こえてきた。

こぢんまりとした池があった。小さな滝がサラサラと清い音を響かせている。

池の中には、白く可憐な花が無数に咲いていた。


まるで絵画のような光景だ、としばし見惚みとれる。

「バイカモか……」

「?」

ローグがつぶやいた言葉の意味がよくわからず、少し首をかしげた。


「その花の名前だ」

「……」

この魔術師は何でも知っているのだな、と少し感心した。



静謐せいひつな森は空気が澄んでいて、爽やかだ。思わず見入ってしまう。

池の風景をシェリィが気に入ったと解釈したのかもしれない。ローグは黙ったまま、池のほとりに厚い布を敷いた。

そうしてから、宿でもらってきた食料を並べる。彼はシェリィに構うこと無く食事を始めた。

勝手に食べろということなのだろう。


「別にあなたまで」

木漏こもれ日を受けて静かに輝く池をぼうっと眺めていたら、ずっと思っていたことをふと口に出してしまった。


その先を言おうとして少しためらう。

「……どうした」


うながされて、言葉を続けた。

「あなたまで追放される必要はなかったのに……」

小さな声だった。


沈黙が場を支配した。

しばらくして、ローグはおもむろに口を開いた。

「客観的に見れば、共犯には違いないだろう」


「私には、そうは思えないけれど……」

この聡明そうめいな人を巻き込んでしまった、という思いは消えない。


「あなたの……」

没落し、追放された自分自身を哀れに思うような感情はもはや無い。仕方なかったと割り切れる。

しかし。


「あなたの人生まで変えてしまったのは、悪かったと思っているわ」

転がる石のようにどこまでも落ちていくのは、自分だけで十分だったはずだ。



シェリィを見つめる魔術師の目には、かすかに驚きの色があった。

悪かった、なんて言われるとは思ってもみなかったのだろう。

彼はしばらく黙り込む。それから、

「共犯なんだ」

静かな言葉を返した。


「王城の連中は、お前の追放先を最果ての修道院としたが……まあ、お前一人じゃたどり着けやしないだろう」

ローグはそんな風に呟いてから、わずかに口の端を上げた。


「だから、ちょうどよかったんだ」

それだけ言うと、彼は黙って目を閉じた。


+++


日暮れ後。

小さな山を越えたユニコーンたちはやっと小さな集落にたどり着く。

集落の外れの宿には幸い空きがあった。ローグは今度は、2部屋を取ってくれた。


シェリィは宿の部屋に入り、ふうと大きな息をつく。

追放の旅に出てからずっと一緒にいたローグと初めて離れた。息が詰まるような思いをしていたわけではないけれど、少し安らぐ気がする。


ベッドに倒れ込んだ。

疲れが蓄積ちくせきしており、すぐにでも眠りに落ちてしまいそうだ。


(私は、このまま彼と離れてしまうこともできる)


宿を出てどこかへ隠遁いんとんしてしまえば、彼と再び邂逅かいこうすることはないだろう。

自分がそんなことを思っているうちに、ローグだって宿を出て逃げてしまうかもしれない。


(いっそ、そうしてくれたらいいのに)


だって、死にぞこなった無能な没落令嬢のお守りなんか、したくないだろう。

彼にはもっと別の、いい人生があったはずだ。


+++


―――「魔術師から秘策を授かったの!」

小瓶を手に入れたシェリィは、王子との逢瀬おうせで興奮気味に告げた。


「一緒に死にましょう。そして、来世で一緒になりましょう」



庭園の片隅で紅茶をれた。2人だけの最後のお茶会だ。

小瓶に入った液体を、香り高い紅茶に数滴垂らす。


晴れやかな気分だった。

どちらからともなく、口づけを交わした。長い長い口づけだった。


肌を離してから、2人はそれぞれにティーカップを持ち上げる。

ああ、これで恋が成就じょうじゅする。


王子の口元にティーカップが触れたのを確認してから、シェリィも一気にお茶をあおった。


その瞬間、ふわりと力が抜けた。

死が自分を迎えにきてくれたのだな、と思った。


至福だった。



+++

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