〈3〉獣道と洞穴

少し寝坊をした。

何か夢を見ていただろうか。涙で目元が濡れていた。


あの魔術師は自分を見捨ててどこかへ行ってしまったかもしれないな、という空想をしながら支度を整える。それならそれで、仕方ないだろうと感じた。


しかし、外に出たらローグはそこにいた。


彼はユニコーンたちの体を布で拭いて、毛並みを整えていた。

聖獣の体は太陽の光を浴びて、キラキラと輝いている。


この男はなぜ自分を見捨てないのだろう、と少し不思議に思う。

しかし、尋ねてみるのはためらわれた。


+++


ゴツゴツとした岩がき出しの山道を、ユニコーンは颯爽さっそうと登っていく。


「この先の山には獰猛どうもうな魔物がむ。ユニコーンは凶悪な気配に敏感に反応するから回避は容易たやすいだろうが……万一のときは」

周囲の気配を伺いながら、ローグは言葉を続けた。

「俺がなんとかする。お前はひるまずに前へ進め。躊躇ためらうな」


ユニコーンは魔物の気配を探りながら、道なき道を器用に進んでいく。

山道は傾斜けいしゃがきつく、シェリィは時々ユニコーンの首にグッとつかまって耐えなければならなかった。

森歩きをしたことがないシェリィには魔物の気配が分からないから、神獣に命を預けるしかない。



シェリィを乗せて獣道けものみちを駆けるユニコーンが、不意に歩みを止めたかと思うとやぶの方に飛び退すさった。

反対側の草むらから魔物が飛び出してきたのはその瞬間だった。


「ひ……」

シェリィの喉から悲鳴が漏れかける。


黒いうろこに覆われた禍々まがまがしい魔物は、褐色かっしょくのユニコーンの姿を見ると一直線に突っ込む。

しかし魔術師は詠唱えいしょうを終えていた。

ローグが放った魔術のきりは、魔物の心臓をまっすぐにつらぬく。


その体から赤黒い血液が吹き出すのと、魔物が断末魔だんまつまの悲鳴を上げたのが同時だった。

魔物の悲鳴は鼓膜こまくをつんざくように、耳の中に直接響いてきた。


シェリィは目の前で起きた恐ろしい出来事に、身をガタガタと震わせる。


「血の匂いで魔物が集まるといけない。急げ」

ローグがユニコーンの首の横をパタパタと叩いて急かした。シェリィも震えながら、同じようにユニコーンを叩く。


2体の聖獣は、風のような速さで山道を駆け抜けた。


+++


岩肌がき出しの峻険しゅんけんな道が続いている。

それでも、タフなユニコーンはどんな悪路あくろいとわず悠々と進んでいく。


折悪おりあしく、夕暮れ頃に驟雨しゅううが訪れた。

ローグは困ったように周囲を見渡す。雨宿りができそうな場所はなさそうだった。


仕方なく、雨に濡れながら先へ先へと進む。

髪がしっとりと濡れてしまった頃、行く先の大きな岩場に小さな洞穴どうけつを見つけた。


洞穴は、2人と2匹がゆったりと座って雨をしのげるほど広かった。雨はしばらく続くだろうと思われた。

「雨が止まないまま、夜になってしまう可能性が高い」

ローグは枯れ枝を集め、魔術の炎で焚火たきびを作りながら言った。どうやらこのまま野営となりそうだ。


「……あなたに任せるわ」

投げやりな気分で言ったわけではない。

この魔術師に任せておけば心配はないだろう。そう思えたのだ。


焚火の炎を眺めながら食料を分け合った。火のそばは温かく、少し眠気を感じた。

「こんな場所では眠りにくいだろうが……休んでおけ」

聖獣たちは気配に敏感だ。彼らがいれば、眠っている間に魔物に襲われる心配もないだろう。


厚い布をかぶり、止まない雨の音を聞いているうちに、眠りが訪れた。


+++


―――王子とシェリィの最後の逢瀬おうせ

2人で毒薬をあおって命を絶った。

はずだった。



シェリィは王城の医務室で目を覚ました。馴染みのある場所だった。


(ここが来世なのだろうか)

ぼんやりとした頭で考える。

(彼は無事に転生しただろうか)

自身の手を見る。衣服を見る。

……毒を飲む前と同じ、見慣れた姿。


転生したとはとても思えなかった。



シェリィが目を覚ましたことを確認すると、王城付きの医師はそそくさと医務室を出ていった。するとすぐに、王城の大臣や執務しつむ官がぞろぞろとやってきた。

ものものしい雰囲気に怖気おじけづいて体を起こしたシェリィに、大臣は冷淡に告げた。


「王子を暗殺しようとした罪で、お前は国外追放となる」



ぞっとした。


王子との恋を誰かに知られるはずはなかったのに。

秘密が白日はくじつのもとにさらされている。


(あの魔術師が密告したのだろうか?)


転生の毒薬を譲ってくれた魔術師以外に、この秘密を知るものはいないはずだ。

王室教会の魔術師が、告解こっかいの内容を第三者に漏らすことは無いはずなのに。



「私は……王子とは何も……」

慌てて弁明しようとしたが無駄だった。


シェリィは大臣の次の言葉を聞いて、息が止まってしまうかと思った。


「王子本人が証言したのだ。王子に横恋慕よこれんぼした下女が、飲み物に毒を混ぜて、殺そうとしたと」


あまりのことに、思考ができなくなる。体の震えが止められなかった。

思いとは無関係に、涙がこぼれた。


やがて、医師が一人の男をともなってやってきた。薬を譲ってくれたあの魔術師だった。

医師は息巻いきまきながら言った。

「この魔術師も共犯だ。女に毒薬を渡したことを認めたぞ」


魔術師は、沈黙していた。

がんとして口を開く気はないようだった。


王城はすぐに2人を断罪した。

シェリィが目を覚ます前から、処分は決まっていたのだろう。


「王城付きのメイド、シェリィ・フローレス。王室教会の魔術師、ローグ・グラント。王城はこの2名を追放する」



+++


頬が涙で濡れている。慌ててぬぐった。

硬い岩場の洞穴。いつの間にか夜は明け、雨も上がっていた。


ローグは洞穴の大岩に寄りかかったまま、山の景色を眺めていた。シェリィが泣いていたことに気づかなかったわけはないだろう。

しかし、彼は沈黙していた。

断罪されたあの日と同じように、押し黙っていた。


旅は、今日も続く。

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