転生できなかった没落令嬢と嘘つき魔術師は追放されて最果ての地を目指す

野々宮ののの

〈1〉砂漠とオアシス

愛していた。

死んでしまいたいほどに、心から愛していた。


ああ。私は最愛の人と一緒に死ぬはずだったのに。

そして転生して、新しい人生を歩むはずだったのに。


+++


アイボリーの毛並みをもつユニコーンは街外れへと走る。

その背に乗せられたシェリィは失意の底にいた。呼吸することすら、億劫おっくうに思える。


王都を追放されたことが苦しいのではない。最愛の人と引き離されたことが悲しくて仕方ないのだ。



「森の中には下級の魔物がいる」

同行者は、褐色かっしょくのユニコーンを走らせながら注意を喚起かんきした。

しかしシェリィには話を聞く気力もない。


「低位の魔物の多くは、ユニコーンの姿を見れば逃げていく。しかし警戒はおこたらぬよう」

ローグというこの魔術師も、シェリィが上の空なことは分かっている。一応声を掛けたに過ぎないのだろう。


シェリィは白いユニコーンに体を預ける。

寂しくて苦しくて、心が砕けて無くなってしまいそうだった。


+++


―――ロレンソ王子との逢瀬おうせは誰にもバレてはいけなかった。

城の下女と王位継承けいしょう者との、身分違いの恋だった。


没落した貴族令嬢シェリィ・フローレスは、温情で王城に雇ってもらった身だ。

フローレス家はもともと、田舎の小金持ち程度の貴族だった。資金繰りが暗礁あんしょうに乗り上げれば、凋落ちょうらくはすぐに訪れた。

父親はやむなく一人娘のシェリィを勤めに出した。それが王城の下女の仕事だった。


たかが貧乏貴族の娘。大国の王子との結婚など望めるわけがない。

それでも、いつしかシェリィとロレンソ王子は恋に落ちた。


王子は近いうちに隣国の王女をめとることになっている。



「こんなに愛し合っているのに、どうして引き裂かれなければならないんだ」

王宮の庭園、誰もやってこない庭外れの茂みで、王子は愛をささやいた。


「いっそ、2人で死んでしまいたい」

王子は確かにそう言っていたはずだ。

「私もそうしたくてたまらない」

シェリィは夢のような心持ちで答えた。


立場もしがらみも捨ててしまえたら。

そんな空虚な妄想に2人はすがっていた。


「一緒に死んでしまえたら……」

「ええ……」

死の空想は、とろけるほど甘美に思えた。



+++


「あの王子は」


2体のユニコーンは随分ずいぶん遠くまで走った。

ローグは見晴らしのいい平原を休憩場所に選んだ。魔術で焚火たきびを作り、草の上に厚手の布を敷く。

そして、シェリィを座らせながら語る。

「死ぬつもりはなかったと思う」


ローグは荷物をまさぐり、かもハムのホットサンドを取り出す。

シェリィに差し出した。


彼の言い草に気分を害した。顔をそむける。

「いらない……」


「食べておけ、先は長い」

ローグはシェリィの腕を取り、無理にホットサンドを握らせた。


鴨ハムは王都の名物だ。ほかの地域では鴨料理は盛んでないと聞く。

追放された2人が王都に戻る日は来ない。鴨ハムを味わうのも、これが最後かもしれない。


ローグがパンに思いきりかぶりつくのを、シェリィはぼんやりと眺めた。

「しばらくは砂漠地帯だ。少し暑いから、体力を消耗するかもしれない」

「私はあなたをゆるしていないの」


にらみつけながら告げたが、彼は動じなかった。

「食べておけ」

低くて静かだが、強い声だった。


彼が平然としていることが悔しいと思った。


それに、自分がここに生きていることも悔しい。

生きていれば空腹を感じる。それも悔しい。


だけど、生きている。仕方ない。自分は生きている。


口を開けるのも億劫おっくうだけど、すこしだけかじることにした。

鴨ハムの味はよく分からなかった。


+++


砂漠の砂は熱気を放っている。

しかしユニコーンは丈夫な聖獣せいじゅうで、環境をいとわず軽快に進む。


砂漠はシェリィが想像していた以上に広かった。

しばらく進んだら、シェリィの周囲はすべて砂の丘の風景になった。


大きな太陽はやがて西へと傾き、世界を黄金おうごん色に染め上げる。

砂漠の砂は陽の光を一心に受け、どんな宝石よりも強い輝きを放つ。


(私はあのとき死ぬはずだったのに)


こんなにも心が苦しい。

なのに、この景色に見惚みとれてしまった。

もしも死んでしまっていたのなら、視界すべてが黄金色に染まるこの絶景を見ることはなかっただろう。


ささくれ立った心で世界を眺める。

美しいものを美しいと認めることに強い抵抗を感じる。

自分の心はひどくじ曲がっているのだろうと思えた。


+++


砂漠のオアシスではこぢんまりとした火祭りが開催されていた。

集落の住人たちが松明たいまつを持ち、列をして街道を歩いていく。

天をくほどの巨大な松明に炎の矢が射られる。たくさんの火花が空からこぼれ落ちてきた。


人生に、そして世界に失望していたはずなのに。

勇壮ゆうそうな祭りを見ていると、心がじわりじわりと跳ねる感じがする。


荘厳そうごんな火祭りをずっと見ていたい。

でも、見ているのがつらい。


祭りの幽玄ゆうげん風情ふぜいから目をらす。

宿へと歩むローグをとぼとぼと追った。



「旅の人かい。申し訳ないね、一室だけなら用意できるんだが」

祭りで賑わっているオアシスに空室の宿はほとんどない。


宿の主人と交渉していたローグは、困り果てた顔でそっと振り向く。


「別に構いません」

捨てばちだった。

一度死んだような心持ちでいるのだ。今さら男性と共寝ともねすることになろうが、どうでもいいと思った。


+++


「魔術師は頼まれたからといって、命を奪うような薬を渡したりはしない」


それほど広くない宿の部屋。

ベッドをシェリィに譲り、硬い床の上で毛布をまといながらローグは呟いた。

「あれは単なる眠り薬だった」


「つまり、あなたは私をだましたのね」

めつけながらなじる。

「……そうだ」

彼は何の弁明もしようとはしなかった。


「最低」


返答はなかった。

最低だとののしることは、2人の間に頑然がんぜんとした壁を作ることに等しい。


壁は高い。この夜に間違いが起きることはないだろう、とシェリィは思った。


あるいは、ローグがそう仕向けたのかもしれない。この夜に間違いを起こさないために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る