第8話 僕の過去のこと

僕は学校から出て、考え事をしながら帰り道を歩いていた。


もちろん、その間もずっとあやかさんのことを考え、徐々に胸が締め付けれるような感覚に陥った。


最初は彼女のことを考えているからそうなっているんだと思ったが、めまいや吐き気、果ては動悸もしてきて、これは”いつものやつ”が来たな、と直感的に思った。また


直人(きっとあやかさんがおかしくなってしまったのは、自分に憑りついている悪霊が彼女に乗り移ったからだ!)


という妄想に支配されて、思わずその場でしゃがみ込んでしまった。通行人が奇異な目でこちらを見ている。その目すらも僕にとって悪意に満ちたものに感じられた。


直人(こ、これは久々にヤバいな…)


そう思った僕はおもむろにカバンから薬を取り出す。


この薬は、病状が悪い時に飲みなさいと医師から処方されており、飲むとじわじわと症状が改善してくるので大変重宝している。


直人「はぁ…はぁ…」


視界に黒い糸のようなものが漂っている。


これを幽霊だと昔は勘違いしていたが、今は幻覚か何かだとなんとか思えるようになった。


しばらくうずくまっていると、徐々に動機も収まり、なんとか足を動かせるくらいには回復した。


僕は今のうちに家路を急いだ。


直人(はぁ…はぁ…やっと団地が見えてきた…)


ギリギリ正気を保ちつつ、なんとか家までたどり着いた。


学校から家までの距離が近いことをこんなにも感謝したことはない。


ドアを開けると…誰もいない。


どうやら母親はパートで帰ってきていないようだ。


僕は幻覚と妄想でおかしくなりそうになりながら、布団を敷き、横になってイヤホンで川のせせらぎを聞き始めた。


これを聞きながら深呼吸すると、症状が治まる気がするので、調子が悪い時は毎回聞くことにしている。


僕は深い呼吸をしながら、心が落ち着くまで目を閉じていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


どれくらいの時間が経ったのだろうか。僕はガッツリ寝てしまっていたらしい。


動悸も収まって幻覚妄想もなくなり、いつもの状態に戻ったようだ。


直人(喉が渇いたな)


僕は冷蔵庫まで行こうと胴体を起こした。


すると同時に、玄関がガチャッと開く音がした。


母「ごめんね遅くなって。お腹空いたでしょ?お弁当買ってきたよ~」


直人(そういえば、お腹もすいてきたな)


お昼、あんな出来事が起こったからか食欲がわかず、何も食べていなかったことを思い出した。


直人「今食べるからチンしておいて!」


いつも通りの母親との会話。


親には調子が悪くても、いつも気丈にふるまっている。


理由は心配をかけさせたくないから。


それで退院した時から何とかやっているんだから自分でも大したものだと思う。


直人(あれ?そういえば、なんで入院したんだっけ?)


僕は喉が渇いているのも忘れ、布団の上であぐらをかき、おぼろげながら記憶の断片を思い出した。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


僕は高校2年生に上がり、はりきっていた。


理由は、あこがれの安藤あやかさんと同じクラスになれたから。


思えば高校の入学式の時に彼女を見たときからずっと好きだ。


しかし1年の時は違うクラスで接点がなく、全く何もなかった。


なので、今年ことは!と意気込んでいるのだ。


だが、このクラスになってから2週間、安藤さんと一切会話していない。


これはまずい、去年の二の舞になるぞ!と思った僕は、藁にも縋る思いで恋愛本を片っ端から読み漁った。


【これであなたもモテモテ!意中の相手から告白される13の技】


そんな本を読んでいるとき、【モテる男は経済力を持っている!だからいっぱい働いて稼ごう!】


と書いている箇所が目に入った。


直人「学生の僕には関係ないか…」


そうスルーして次のページに行くと。


【前のページで自分は学生だから関係ないと思ったそこの君!アルバイトをしてみてはどうだい?お金を稼いで、意中の相手に高価なものをプレゼントをすると、それだけで好感度爆上がり!向こうから告白されること間違いなしだ!】


と書かれていて


直人「おっ、これはもしかしたらイケるんじゃないか!?」


そんなことを思い、早速求人サイトにアクセス。


時給のいいガソリンスタンドのアルバイトに応募した。


しかしこの安易な行動が、人生を大きく左右する決断だったとは知らなかったんだ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


日曜日、今日はアルバイト初日だ。緊張しながらも、僕が勤務することになるガソリンスタンドに自転車で向かった。


ガソリンスタンドに行くと元気よく接客をしている若い男性がいた。


直人「すみません、今日からバイトで入った相沢という者なんですが、店長さんいますか?」


従業員「店長ね!ちょっと待ってて」


しばらく待つと、中年で少しコワモテな男性が出てきた。面接をしてくれた馴染みの顔だ。店長「おぉ相沢君!今日からよろしく!」


直人「はい!こちらこそよろしくお願いします!」


店長「おぉ威勢があっていいねぇ!じゃあ早速なんだけど、まず車の誘導の仕方と、給油の仕方を覚えてもらおうかな!おい神崎!こちら新しく入った相沢君なんだけど仕事教えてあげて!」


そう言って店長は、さっき僕を対応してくれた男性に声をかける。


直人「相沢って言います!これからよろしくお願いします!」


神崎「おっ、好青年が入ったって店長から聞いてたけど本当だったみたいだな!俺は神崎!よろしくな!それじゃあ給油の仕方だけど…」


そういって彼は、こなれた手つきで給油の仕方を僕にレクチャーする。


神崎さんってキビキビ働いていて頼りになるなぁ。


僕が最初に抱いた印象はそれだった。


ほかの従業員も神崎さんに似たり寄ったりな体育会系で、ひ弱で文化系な僕が馴染めるかどうか不安だった。


しかしその不安とは裏腹にみんな温かく迎えてくれてとても嬉しかった。


直人(よし、ここで頑張っていくぞ!)


そんなことを思い、アルバイト初日の6時間をしっかりと働いた。


店長「おぉ相沢君お疲れ!ちょうど6時間たったよね!悪いんだけどこれから時間ある?ちょっと面談しよう」


直人「あっいいですよ」


僕は面接をした休憩スペースに通された。


煙草のにおいが充満し、あちこちが黄ばんでいる部屋に入り、店長と向かい合わせで椅子に座った。


店長「今日一日働いてみてどう?大変だった?」


直人「正直初めてアルバイトをしたのでとても大変でした。でもみなさん温かく迎えてくださって、とても仕事がやりやすかったです!」


店長「そうかーそれは良かった!神崎も他のみんなも、相沢くんって仕事の呑み込みが早いし、愛想もいいしで好印象だったって聞いたよ」


直人「ホントですか!そう言っていただけると嬉しいです!」


店長「うん!このカンジなら明日以降もなんとかやっていけそうかな?」


直人「もちろんです!精一杯働かせていただきます」


店長「おっ頼もしいねぇ~じゃあ早速シフトのほう決めていこうか!ちなみに相沢君の方から希望とかってある?」


直人「そうですね…」


僕は安藤さんにふさわしい男になるという目標をもとに、あえて厳しい道を選択した。


直人「毎日入らさせてください!」


店長「えっ!?毎日って月曜日から日曜日まで?」


直人「そうです!」


店長「気持ちはすごいありがたいんだけど…体力持つ?学業も両立させなきゃいけないし…」


直人「大丈夫です!僕は勉強はできる方ですし、中学時代陸上部だったので!」


店長「そう?それならいいんだけど…じゃあ月から金は毎日17時から22時までの5時間。土日は10時から17時までの6時間労働7時間拘束でいいかな?」


直人「はい!大丈夫です」


店長「わかった。くれぐれも無理しないように。何かあったら一人で抱え込まずすぐに言ってね」


直人「分かりました!」


それから僕は狂ったように毎日働いた。


最初は慣れない労働で毎日ヘトヘトだったが、あやかさんのことを思うと頑張れた。


しかしそのあやかさんは、いつの間にか学校を欠席するようになった。1週間くらいで帰ってくるだろうと、僕もクラスのみんなも高を括っていたが、何日たってもあやかさんが学校に来ることはなかった。


噂によると、階段で転げ落ち骨折して入院しているらしい。


直人(なぁんだ、重い病気じゃないなら良かった)


と僕はホッと胸のなでおろした。


直人(あやかさんが帰ってくるまでに僕は男になってやるぞ!)


となお一層仕事に励むようになった。


アルバイトを始めてから2週間が経ったころだろうか、僕は店長から洗車の業務を任されるようになる。


あまり細かいところに気が付かない性格の僕は、この洗車の業務においても例外はなく、「ここ汚れ落ちてないよ!」と毎日先輩から叱られていた。


それに加えて、接客や給油の業務も同時並行で行わなくてはならず、僕は疲労でおかしくなりそうだった。


学校でも来栖や渡邊から「なんか顔色悪いけど大丈夫か?」なんて声をかけらる日も多くなったが、僕は気丈にふるまう。


しかし、その甲斐むなしく僕は少しずつ着実に壊れていくことになる。


とある日、僕は店長から呼び出された。


店長「直人!ちょっといいか」


直人「はい。なんでしょう」


店長「灰皿の掃除を店員に頼んだらその灰皿が割れて帰ってきたって、昨日の夜に給油に来たお客さんからクレームが来てたんだけど、お前何か知っているか」


直人「えーと…すみませんあまり記憶にないですね…」


店長「そうか…ちなみにその時の防犯カメラの映像があるんだが、一緒に見てくれるか?」


直人「あっ、はい分かりました」


休憩室のテレビに昨日の19時ごろの映像が映し出された。


映っているのは、僕が大型トラックの座席に座っている運転手に向かってなにか話をしている一部始終だ。


運転手から、僕は黒い灰皿を受け取っているように見える。


その灰皿を手元が滑ったのか、思い切り地面に落としてしまっていた。


直人「あっ…」


そこでこの映像は止まる。


一瞬の沈黙があり、店長が口を開く。


店長「これでも記憶にないと言い切れるか?」


直人「すっすみません!」


店長「最近お前ミスが目立つぞ!大丈夫か?今回は大目に見るが、今後こう言ったことがないように」


直人「分かりました…」


やってしまった…お世話になっている店長に迷惑をかけてしまった。どうしよう…これからはこういう事二度と起きないようにしないと。


しかし、そんな決意をした次の日に僕はまたやらかしてしまった。


お客さんからお金を受け取らずに給油をしてしまったのだ。


そのお客さんがいるときに気づけばよかったものの、時すでに遅し。気づいたときにはもうその車は走り出していた。


もちろん店長からは


店長「俺は口酸っぱく給油する前にお金を受け取れって教えたよな!なんでそんな基本のことができていないんだ!」


と烈火のごとく説教され、反省文も書かされることに。


直人(あぁ…また僕はみんなに迷惑をかけてしまった…)


とても惨めな気持ちになった。それと同時に


直人(もうここで働くのは限界かもしれない)


と、そんなことも頭によぎったが、【金がないやつは無価値だ!】と歪曲した考えが頭を支配し、どうしても店長に辞めるということを言い出せなかった。


完全に自分が壊れてしまったのは、この一件から2週間後のことだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ある日の朝、僕は学校に来るや否や無性にイライラしていた。


このイライラは今に始まったことではないが、今日はそれが更にひどく、些細な音にも腹が立つのだ。それと同時に、なみなみに入ったコップを両手に持っているようなえもいわれぬ不安感もあった。


「縺、騾、いつ縺吶するんだろうね」


「ねっ縺吶してから繧薙□繧くらい経ってない?」


直人(朝から女子がうるさいな…)


外国語のように言葉の意味が全く分からないが、いつもより話し声の音量が大きく、不快に感じられる。


たまらず僕はイヤホンを耳にさして、周りの声が聞こえないようにした。


しかし大音量で音楽を聴いているのに、すぐ耳元で女子たちの声が聞こえる。


【おまえなんか社会の役に立たねぇって!】【そうだよ。バイトさえできない無能のことを好きになってくれる奴なんていないから】


うるさい…うるさいうるさいうるさい!!!


僕は思わず机を両手でバンとたたいた。


一瞬で静まり返るクラス。


近くにいた来栖がこっちにくる。


来栖のことだから心配してきてくれたのだろうか。しかしそんな思いはあっけなく砕け散った。


来栖【うるせぇんだよテメェ!!とっとと失せろ!】


それを言われた瞬間、なにかが心の中でちぎれる音がした。


僕は全身の骨がなくなったようにヘロヘロとその場に倒れこんでしまった。


周囲の人間が僕を取り囲むようにして集まる。


【やっぱこいつ頭おかしいんじゃないの?】【こんなやつと同じ空気を吸いたくないよ】


罵詈雑言の数々を浴びせられて、ますます僕はおかしくなった


直人「助けてーー!!!助けてーーー!」


大声でそんな言葉を発しながら身体が何回もけいれんする。


直人(どうしようどうしよう!!)


騒動を聞きつけたのか、先生が何人もやってきた。


大声で何か言っているが聞き取れない。しかし慌てふためいている様子ではある。


それを見て僕は直人(あぁそうか!この人たちには幽霊がとりついているから慌てているんだ!そんな霊に取り憑かれまくっている奴に何ができる!むしろこっちに霊が乗り移るから近づくなよ!)


と本気で思い直人「近づくな!近づくな!」


と激しく救いの手を拒んだ。


そうこうしていると、救急隊の人が教室に入ってきた。


僕の身体を2人がかりで抱きかかえる。


僕は何がなんだかよく分からなかったが、抱きかかえられた瞬間憑き物が落ちたかのように正気を取り戻し、またけいれんも収まった。


校門前にとまっている救急車に載せられた僕は、どこに連れていかれるんだろうと疑問を持った。


しかし声を出す気力さえ失い、台に大人しく縛り付けられていた。


すると突然救急隊の人から


「大丈夫ですよ。今までよく頑張りましたね」


と優しく声をかけられた。


安心感に包まれた僕は、急激な眠気に襲われ意識がなくなったかのように眠りこけてしまった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


そうだ、そうやって僕は入院したんだ。


過去の辛かった出来事を唐突に思い出し、僕は感情が抑えきれず涙が出てしまった。


母親「んっ?直人泣いているの?」


母親の部屋から、ふすま越しに心配する声が聞こえる。


直人「いや、なんでもない」


母親「そうなの。でも何かあったら、いつでもお母さんに言ってね。お母さんはいつでも直人の味方だから」


こっぱずかしいな。と思いながらも、事実、僕は母親に何度も助けられた。


【ありがとう】


そんな言葉が口から出そうになったが、つい恥ずかしくて


直人「う…うん」


と、そっけない言葉で返してしまった。僕は一体いつになったら親に正直になれるんだろうか。


とにかく今日は色々あって疲れた。飯食って風呂入って寝ることにしよう。きっと時間が経てば、このモヤモヤも無くなっていることだろう。

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