・てびき

 これは、僕の近所に住むAさんがよくする話だ。


 僕の住んでいる村から山を1つ超えた先の村がAさんの故郷なのだが、その村では『てびき』という化け物の名前がよく囁かれた。

 いわく、山で遊んでいると何かが手を握ってくる。その手に引かれて行くと化け物の世界へ連れて行かれるというものだった。それを聞いた幼いAさんは鼻で笑った。遅くまで遊んでいる子供を家に帰らせるためのデタラメだと考えたのだ。


「そんなお化けなんていないと証明してやろう」


 そう考えたAさんは誰にも言わずに山へ登った。まわりが暗くなる時間まで待って山を歩きまわっていると、暗い山の中で黒い恰好をしている数人の男がいたのだ。


 これが化け物の正体かと拍子抜けして、Aさんがその男たちに話しかけようとしたその時。右手を冷たい何かに握られたような感触がしたかと思うと、手を引かれたのだ。Aさんが男たちに助けを求める暇など与えない速度で、抵抗しようとすると引きずられるほど強い力で、手を引かれる。


 このまま化け物の世界に連れて行かれるのだと涙で顔をグシャグシャにした時、聞き覚えのある声がする。それが自分の名前を呼ぶ父親の声だと思った時にはAさんは父親の前に放り投げてられており、驚いた父親に受け止められた胸の中でAさんはただただ安堵と恐怖で泣いた。


 60を過ぎるほど年をとってもAさんはその話をして山で遊んではいけない、『てびき』が現れて化け物の世界に連れて行かれてしまう。自分が助かったのは父親が探していたのが間に合ったからだと話をする。


 最初に話を聞いた時はAさんの語り口がとても上手かったので怖がっていたが、中学生になった僕はAさんと同じように遅くまで遊んでいる子供を家に帰らせるためのデタラメだと考えた。


「Aさんがよく話してくれる、てびきなんていないんだよね?」


 僕はそう聞いた。しばらく悩んだAさんは、ゆっくりと口を開く。


「はは、てびきはいるよ。どうして、夜中の山を真っ黒な格好で男たちが歩いていると思う?」

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