第3話 オタクの早口はおそろしい

「あ、え、はぇ……」



 まったくもって言葉が出てこなかった。

 仕方ないだろ。清楚風の女性が、いきなり去勢した証拠におちんちんを見せろと言ってきたんだから。普通は書類を見せて、とか言うよね?

 オレにとって2回目でも――いや、2回目だからこそ衝撃が強い。



「あ、すみません。いきなり失礼なことを言ってしまいました。えっと、その……。別に興味があるとか、あ、いえ、興味はあるのですけど、玉枝さん自身には興味がないと言いますか……」

「ど、どういうことですか?」



 内容がうまく頭に入ってこない。



「あ、あのっ! あんまり引かないでほしいんですけど」



 目をウロチョロさせた二本松さんは、オレの返事も聞かないうちに――



「紗香、フタナリが大好きなんです」



 なんで目の前の女性は頬を染めているのだろうか。

 少し嬉しそうにモジモジしているのだろうか。

 あらかじめわかっていても、疑問をていさずにはいられない。



「あ、フタナリってわかりますか? 両性具有。簡単に言うと、女性におちんちんがついているジャンルのことなんですけど」

「い……いちおう、知ってはいますが」

「それはよかったです」



 ホッと胸を撫でおろす、小動物系二本松さん。

 オレの胸の中はずっとザワザワしている。



「紗香、フタナリが本当に好きで、ちょっとだけ同人誌を描いているんですけど。あ、もちろんリスナーのみんなには内緒ですよ? 嫌われたくないですし」



 顔を知らないリスナーに嫌われたくなくて、いま目の前にマンション管理人にはカミングアウトするのはオーケーらしい。

 すごい世界だなぁ。



「それで、一口にフタナリと言ってもいろんな種類がありまして、その中でも大きい点が、金玉のアリナシなんですね」

「あ、はい、そうなんですね」

「そうなんですよ! 基本的にフタナリのおちんちんはクリトリスが肥大化したもの。紗香は金玉がついていない方が違和感がないと思ってるんですよ!」



 適当に相槌をうったら、さらに饒舌じょうぜつになってしまった。

 あと、ここまだマンションの廊下なんだけど。うら若き女の子が、そんな大きな声でクリトリスとかおちんちんとか言わないでほしい。



「ブイックスのDMを解放しているので、よくチン凸がくるんです」



 ブイックスとは、この世界で最も使われているSNSだ。

 DMはダイレクトメッセージの略。2人の間でしか見られないメッセージのこと。



「それで、いろんなおちんちんをみたことがあるんですが――あ、ちなみにその人達とは会ったことはないですし、反応もしていませんよ。ただ、送られてくる写真を勝手に資料として」

「チン凸……」



 普通の女性なら嫌悪感を示したり、酷い場合は警察沙汰に発展するだろう。

 頑張っている配信者を自己満足に巻き込む、最低な行為だ。

 それなのに、チン凸を観察したうえで、あろうことか同人誌を描くための資料として利用している人がいるなんて……。


 開いた口がふさがらないどころか、顎が地面についてしまいそうだ。



「せめて、ちゃんと毛を剃った写真を送って欲しいんですけど。さすがにフタナリで毛を生やすわけにはいかないので。あ、すみません。そこは今関係ないですね。えっと……何十と送られてくる写真の中には、金玉がついていない写真なんて全くないんですよ。なので、玉枝さんの玉なしは貴重な資料なんです」

「…………」



 オレ視点では、1度聞いたセリフだ。

 だからこそ、怖い。一言一句まったくの同じなのだ。



「ぜひとも観察してスケッチして心に焼き付けたいんです! リアルの玉ナシおちんちんを見れば、もっといい玉ナシフタナリが描ける気がするんですっ!」



 彼女の叫び声がこだますると、周囲は静寂に包まれた。

 あ、やっと演説が終わったのか。



「あの……。すみません」



 オレは精一杯声を絞り出す。



「さすがに、特に入居者に見せるのは抵抗があります」

「そんな……っ!」



 まるで親に捨てられた子供のような絶望具合だ。



「VTuber活動にかかわることなら協力しますけど、それ以外はちょっと……」

「そ、そんなっ! 気になって配信なんてまともできませんよ! お願いします!!!」



 最初のオドオドした雰囲気はどこへやら。

 すごい圧で近寄ってくる。

 顔が近くてドキドキするけど、このドキドキはどっちのドキドキだろうか。



「と、とりあえず二本松さんの部屋に行きましょう」

「あ、そうですよね。すみません。誰もいないとはいえ、こんなところじゃ――」

「そういう意味ではありません!!!」



 なんとか一旦話を切ることができた。


 二本松さんの部屋は101号室。

 本人の希望で1回の角部屋になっている。


 オートロックを解除してドアを開くと、部屋の中は段ボールの山だった。

 この中のどれほどが、フタナリに関するものなんだろうか。

 想像するだけで近寄りたくなってくる。



「ちょっと待っていてくださいね。紅茶でも出しますから」



 いうや否や、彼女は『食器類』とマジックで書かれた段ボールを開けはじめた。

 すぐに荷解きできるようにしていたのか、バッグからカッターを取り出して、同時に何かが落ちた。



「なんですか? その薬」

「そのぉ。ちょっとした風邪薬です」



 きまずそうに顔を背ける二本松さん。


 オレも一時期服用していたから知っている。

 これはどこからどう見ても、睡眠薬だ。


 全身に鳥肌が立つと同時に、無意識に走り出していた。



「待ってください! 紗香の玉ナシおちんちんサンプル!!!」

「玉ナシおちんちんサンプル!?」



 前回でもそんなこと言われなかったよ!?

 いや、言われていたけどオレが気付いていなかっただけなのか!?


 どっちでもいい!

 とにかく今は逃げないといけないっ!


 さすがに執念で身体能力差を埋められないようで、追い付かれることはなかった。



 そして。

 その日の夜。


 お風呂から上がると、SMSメッセージが届いていた。



《今日は本当に申し訳ございませんでした》



 すごく真面目な文面だ。

 一瞬、あのフタナリ講義は夢だったのかと考えてしまう。



《数々のご無礼、お許しください。ですが、玉枝さんは自分の希少性を理解してほしいです》



 思わず、足元がグラついた。



《あの、良ければ、写真を送っていただけませんか?》



 できる限りはっきりと断らるために、返信を書いていく。



《すみません。諦めてください》

《では、お詫びとして同人誌を受け取ってもらえませんか?》



 どうやら、まだまだ諦めていないようである。

 1週目のオレは『お詫びとして自分の創作物を送る』という行為は、創作者としての最大限の謝意だととらえていた。

 だけど、真実はもっとおどろおどろしいものだったのだ。


 オレにフタナリの魅力を伝えて、フタナリに沼らせることで、自主的に写真を渡すように仕向ける腹積もりだったのである。

 正気を疑う計画だが、彼女の目は本気だった。



――なんていうか、すごく疲れた。



 オレは重力に負けて、ベッドに倒れ込んだ。


 倦怠感がすごいけど、入居者はあと4人残っているのだ。

 

 今考えれば、二本松さんのクセが一番強かった気がする。

 いや、う――――ん。

 他の人たちも匹敵するかもしれないなぁ。


 1回目は必死だったから気付かなかったけど、このマンションの住人、色々とおかしくない?


 小首を傾げながら、オレは推しの抱き枕にキスするのだった。

 2時間近く。

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