第2話 1人目の入居者から強すぎる
「えっと、紗香のことわすれていませんか?」
決意を固めて太陽に向かって拳を突き上げていたオレは、オドオドした声にハッとした。
「すみません。少し自分の世界に入ってました」
「…………」
出来るだけ人好きのいい笑顔を取り繕っても、目の前の女性からの視線が痛い。
彼女は『二本松紗香』。
このVTuberマンションのはじめての入居者だ。
小柄でオドオドした雰囲気があり、目を隠すみたいに前髪を伸ばしている。
顔立ちは小動物みたいで、常に目を伏せていて猫背ぎみだ。
常に肩をすぼめているせいで、華奢な体つきがさらに小柄に見える。
いかにも『ザ・気弱』みたいな女性だ。
だけど、彼女は有名なVTuberである。一筋縄ではいかない要素をてんこ盛りに持っているのだ。
そこはおいおい見えてくることだろう。
「あの、このマンションの管理人さんで合ってますよね……?」
思わず、喉が鳴る。
改めて、二本松さんがオレの事を知らない事実を突きつけられてしまった。
時間巻き戻りの実感が、さらに湧いてくる。
「すみません、申し遅れました。このVTuberマンションのオーナー兼管理人の『玉枝無月』です。管理人さん、玉枝さん、お好きなように呼んでください」
「ああ、よかった。人違いじゃなかった……」
ホッとため息を吐く二本松さん。
「えっと、そうだ。改めて……。今日からお世話になります『二本松紗香』です。よろしくお願いします」
「はい。よろしくおねがいします」
とても礼儀正しくて、おしとやかなお辞儀だった。
人の良さがにじみ出ている。
顔を上げた彼女の顔を見て、ついつい口が緩む。
「あの、本当にオレたち、以前会ったことないですか?」
「すみません。人の顔を覚えるのが苦手なので……。」
「あ、いや! すみません。多分勘違いなんですけど、」
そういえば、時間が巻き戻る前も、こんな会話をした覚えがある。
多分、このマンションで出会う前、本当にどこかで会ったことがあるのだろうか。
お互いに思い出せないのだから、道をすれすれ違った程度の関係なのかもしれないけど。
「それでは、二本松さんの部屋に案内しますね」
「……はい。よろしくお願いします」
「よければ、荷物をお持ちしますよ」
オレは二本松さんが握るキャリーパックを指さした。
あらかじめ荷物は送られてきていたから、必要最低限の荷物を当日に持ってきたのだろう。
「えっと、すみません。自分で持ちますので」
遠慮をしている、というよりは警戒している雰囲気だ。
人見知りも入っているのかもしれない。
前の時間軸ではかなり打ち解けていただけに、初回よりもショックも大きい。
「わかりました。それでは部屋に向かいましょう」
なるべくビジネススマイルを維持しながら返して、オレは歩き出した。
しばらく、無言で足を動かす時間が続く。
荷物を引いている二本松さんに合わせてゆっくりと歩いていると、声を掛けられる。
「あの、いくつか質問してもいいですか?」
「いいですよ」
彼女は少し考えてから、口を開く。
「その……なんで、VTuber専用マンションなんてはじめたんですか?」
「そうですよね。気になりますよね」
あー。前回も同じことを
会話をするほどに、時間巻き戻りの実感が湧いてくる。
「あるVTuberに心を救われて、その恩返しのつもりなんです。本人はもう引退してしまったんでしが」
「そうなんですか……」
「何か引っかかりますか?」
「あ、えっと……あの。こういう言い方は。」
「なんですか?」
「その、下半身で考え事をする人なのかなー、と」
ドギつい言い方するなぁ。
前回も驚愕したけど、今回もついつい咳き込んでしまった。
「そんなことはないです。実際男寮も用意していますし、入居者に危害を加えないと推しに誓います」
「……推しに誓うんですか? 神様ではなく」
「オレにとっては神様より推しが上なので」
驚いたように目を見開いた後、少し表情を柔らかくする二本松さん。
少しは信用してもらえたのだろうか。
でも、あと1手足りない雰囲気だ。
ここも前回と同じ。
「まだ不安ですか?」
「……その、はい。すみません」
彼女のリスナーはガチ恋が多くて、以前男性とコラボして炎上した経験があることは知っている。
事前に彼女のVTuberとしての活動遍歴を調べていたし、今が2周目だからという理由もあるのだ。
それに、彼女はリアルの男にかなり苦手意識があるらしい。
「その不安な気持ちは分かります。ですが、安心してください」
「あ、そうやって優しいこと言って、油断したところにお酒を飲ませるやつですね。同人誌で見たことあります! 怖い人ですね」
「そんなことはしません!!!」
いや、それを面と向かって言う人の方が怖いよ。
あと饒舌にならないで。
楽しそうに目を輝かせないで。
「もちろん、女性の方が不安がることは予想していましたから。対策を講じています」
「対策、ですか?」
あ、思い出した。
これからオレは酷い目に遭うんだ。
でも、ここで言わないのは不自然だよなぁ。
ええい! 言ってしまおう。
「オレは、このマンションを管理するために
息を呑む音が、鼓膜を揺らした。
振り向くと、二本松さんは口をポカンと開けて立ち止まっている。
「去勢、ですか……?」
「はい。
保険を使えなかったから、手術費用はかなり高額になってしまった。
だけれど、そうするだけの価値はあったと思う。
「なんでそんなことを……?」
「オレなりの誠意です。VTuberマンションを経営するにあたって、少しでも住人に安心してもらえるように」
VTuber活動している人は、異性との関係に気をつかっている場合がある。
リスナーにもガチ恋や
もちろん、そんなことは気にせずに
だけれど、そんな色んな意味で強い人ばかりではない。
できる限りリスクを排除したいと考える方が自然だし、対策をとっていた方が入居者の間口が広がるだろう。
オレが管理人をするにあたって、そこが一番気がかりだった。
他の人に管理を任せることも考えたけど、どうしても自分の手でこのマンションを最高のモノにしたかった。
そこで。
オレは自分の睾丸を切除してもらうために、タイへ向かったのだ。
ちょうど恋人もいなかったし、童貞でもない。
金玉とサヨナラするのに、未練なんてちっともなかった。
それに、推しとこのマンションへの想いに比べれば、子孫をのこせないことなんて全くの
「そう、なんですか」
「はい。キレイさっぱり取り除きました」
「あの、疑っているわけではないのですが、証拠を見せてくれませんか?」
かなり疑い深い。
だけど、想定内だ。ここまでは想定の範囲内だったんだよ……。
オレは一応ポケットに手を入れる。
目的のものは、手術の請求書などの書類。
前回のオレは、この書類を見せて二本松さんを納得させようとした。
今も、できればこの書類だけで済ませたいと思っている。
だけど、そうはいかないんだろうなぁ。
オレの願いを吹き飛ばすように、二本松さんの息を吸う音が聞こえた。
「証拠に、おちんちんを見せてください!!!」
気弱な見た目とは裏腹な咆哮に、オレの視界はグラリと歪んでしまうのだった。
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