第2章:愛別離苦

第7話(前編):始まりの物語

 ──約十年前にさかのぼる。

 赤い髪をした女の子が、とある児童養護施設から引き取られていった。

 当時七歳となったリオである。


「私は……どこに連れていかれるんですか?」


 片手を引く、つややかな黒い長髪の、紺のストールを羽織った少女──高校生くらいだろうか、にリオは無機質な声で尋ねた。


 実の母親に育児放棄され、児童養護施設に保護された彼女は、他人への信頼を失っていた。


「あなたは運動神経がいいと聞きました」

「はい、他の子よりは……」


「なら、きっとすぐ馴染みますよ」

 黒髪の少女は、幼いリオを安心させるために、にっこりとほほ笑んだ。


 左目から頬にかけて、何かで切りつけられた傷痕が、生々しく残っている。

 藤色の垂れ目は見えているらしいが。


 リオまだ彼女を信用していなかったが、どうせ抵抗しても意味がないだろうと、いつものように、愛想笑いでやり過ごすことにした。


 お利口なフリを続けていれば、叱咤しったされることはない。

 悟るには早すぎた処世術である。


 ──特務〈端末人間〉対策機関、通称〈学園〉。同中庭にて。


 子供用の短い槍で、「たあっ!」と練習用木人形の左胸を射抜く。

 槍は正確に心臓の位置を捉え、こつんと音がして人形がわずかに揺れた。


「やはり、私の見込み通りでしたね。あなたは筋がいい」

「ありがとうございます」

 

 リオは特別編入するなり、槍術の基礎を見る間に習得していった。

 ちなみに着ている制服は、小学生用である。


 この年齢で〈端末人間〉が覚醒した事例は未だ確認されてないが、念には念を入れ、作られたまま放置されていたものだ。


 長年クローゼットで眠っていたせいで、最初は防虫剤の匂いがちょっときつかったが、何度も洗濯された最近では、柔軟剤のいい香りがする。


「気が早いかもしれませんが、そろそろ次に進んでみましょう」

「次って……実戦ですか?」

「そんなに心配しないでください、実戦はまだ当分先ですよ。あなたにこれを」


 銀色の金属光沢を放つ、細長い棒が手渡された。


「先生、これは?」


 リオは彼女を先生と呼ぶ。訓練の指導を受ける流れで、自然とそういう呼び名になっていた。


「携帯武器〈インストーラー〉です。それは訓練用なので、殺傷力はありませんけれど、変形機能は本物に比べても遜色ありませんよ」

「これ、武器なんだ……」


 リオは不思議そうに、手のひらサイズの金属棒を見つめた。

 金属特有のずっしりとした感触、よく観察してみると、先端にランプのような部位がある。


「それを掲げて、『情報習得ダウンロード【ランス】』と唱えてみてください。

 そうそう、棒の後ろ側が勢いよく伸びるので、

 お腹にぶつけないよう、角度に気を付けてくださいね。ランプの付いているほうが前側です」


「はい……ええと、情報習得ダウンロード【ランス】」


 入学時に登録済みの声紋認証が受理され、ランプが赤く明滅し、ナノマシンが槍の形に急延長した。

 子供用のものより長く、柄の後ろ側は、地面にめり込んでしまっている。


「うわあっ」

 構えてみるものの、重たくて、よろめく。


「あらら、本当にまだ早かったみたいですね。形状変化した際の、重心バランスの違いなどを教えようと思っていたのですが。一旦、解除してください」


 言われたとおりに「習得情報【全削】オールデリート」と唱え、槍が手のひらサイズに戻る。


「先生、これ……」

 金属棒を返そうとしたリオの手を、先生が制止する。


「訓練用の予備はたくさんありますし、それはそのまま差し上げます。護身用に……いいえ、『お守り』みたいなものですよ」

「お守り……」


 両手で、ぎゅっと握りしめる。

 リオは不思議と、心が温かくなった。


 人を信じる気持ちが、戻ってくる気がした。

 そこで、はっと我に返る。


「先生、私たちは……使い捨ての兵士なんですよね?」


 ◇◇◇


 ここ〈学園〉では、リオよりひと回り年上の女生徒たちが、もの珍しさからか幼い彼女によく声をかけ、妹のように可愛がってくれる。


 リオも愛情を注いでくれるみんなを、「先輩」と呼んで慕った。


 中には「お姉ちゃんと呼んでほしい」と頼んでくる人もいた。

 さすがに、それは恥ずかしくて断ったが。


 そんな先輩たちだったが、何日も〈学園〉で見かけないことも多く、そのまま帰ってこないことすら、ままあった。


 内々で行われる葬式に、リオも喪服を着て参列する。

 泣いている先輩たちを見ていると、彼女も悲しくなったが、涙は流れなかった。


 よくしてくれた先輩が、遺影の中で笑みを浮かべている。


 以前「お姉ちゃんと呼んでほしい」と頼んできた、あの人だった。

 こんなことなら、一回くらい、呼んであげればよかった。


 自分もいずれ──あっちに行くのだろう。

 賢い子供だったリオは、そういう運命さだめなのだと、受け入れていた。


 ◇◇◇


「あなたは決して、使い捨てなんかではありませんよ」


 先生はリオの肩に、そっと両手を置く。

 幼い彼女に視線の高さを揃えると、悲痛な表情でこう語った。


「たしかに、私は後遺症で戦えなくなった自分の跡継ぎとして、あなたを育てている節はあります。

 その代わり……と言ってはなんですが、あなたが私を超えるくらい強い戦士になれるように鍛えています」


「先生を、超える……?」

 まだ扱えなかった『お守り』が、手のひらの熱を帯びていく。


「あなたなら、なれますよ。私の言葉を信じてください」

「私、強くなりたい。ううん、なります。先生にも負けないくらい、強く」


 先生は「約束です」と小指を差し出す。リオも頷き、小指を結んだ。


 結局、先生に金属武器の扱いを教わることはなかった。

 幼少期の子供から鍛える教育方針が評価され、転属になってしまったのだ。


「先生、今まで……ありがとうございました」

「泣かないの、また会えますよ」


 今生の別れではないのだから、先生はそう言った。


「あの、もうひとつ、お願いがあります……。先生の『苗字』をください」


 リオはおねだりするように、彼女の顔をじっと見上げる。

 少し困ったように微笑み、やがて先生──阿久津あくつマリヤはこう答えた。


「では今日から、あなたは──『阿久津リオ』です」


 リオは恩師と離れてからも、強く、たくましく成長していった。


 対等な友人付き合いが幼少期に、ほとんど経験できなかったため、潜入任務で必要以上に感情移入してしまう悪癖こそあったが。


 今や、その弱点も克服している。

 ──〈端末人間〉となった彼女に、もう迷いはない。


(第7話前編・了、つづく)




【次回予告──】


「こうして。私と向き合って。美味しそうだと感じるかしら」

「お気持ちだけ、受け取っておきます」

「きっかけは。不幸な事故。だけどもう。戻れなくなってしまった」

「どうして、『枷を外してから』条件を提示したのですか?」


 捕らわれたリオは、校長である有明つばさに交渉を持ちかけられる。

 彼女の提示する条件とは……。


「レ、レンカの奴……っ!」


次回、『これからの話』


【──毎日夕方18時00分更新!】

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