第6話(後編):グレゴール・ザムザ

「おーおー、お目覚めかい、『王子様』」

「誰が、王子様だ……私は……阿久津あくつリオだ」


 彼女の目が泳いでいることに、ロティはすぐに気づいた。


「つれえだろ、エサを前に『待て』されるのはよお」

「ち、違う……ソラエは友達だ……食べ物じゃない!」


 世界の見え方が、変わってしまっていた。

 目の前に、ご馳走が転がっているような錯覚を覚える。


「おいおい、強がっちゃって、認めろよお。ほらっ、そっち分けてやるぜ」


 ロティが、それを投げよこす。

 それとは禁断の果実リンゴ──切断された、ソラエの右腕だった。


「あ、あ……お腹、空いた……」

 口の両端から、よだれが溢れてくる。

 止まれ。止まれ。と必死に本能を抑え込む。


 口にしたら、二度と人に戻れなくなる。

 食欲と尊厳を天秤にかけている。


 呼吸をするように。心臓が勝手に動くように。

 砂漠の真ん中で、カラカラの喉に、うるおいを満たす水が差しだされれば、理屈では分かっていても飲み干してしまう。


「耐えろ、私! 耐えろ! 頼むから!」

 よこしまな考えを振り払うように、リオは床に何度も頭を打ちつけた。


「抗っちゃいるが、時間の問題だなあ。おっと、オレも飯の途中なんだった」


 ソラエは気づかなかったが、ロティもまた、過剰再生により左腕の機能を失っていた。

 完全な再生には、栄養補給がいる。


 鈍く「うう……」と呻き、意識を取り戻しつつあるソラエに、鋭利な〈洞角どうかく〉の右腕を振り上げ──。

 ガキン、と飛んできた矢を弾いた。


「ソラエは殺させないわよ!」


 弓銃を構えたレンカが、基地に侵入していた。

 セファラと相打ちになった後遺症で、まだ体には痺れが残っている。


「おいおい、全身ガックガクじゃねえか。お嬢との戦いのダメージだろ? 真面に戦える状態には見えねえなあ」


 死に体のソラエを後回しに、〈洞角〉でがりがりと床を引っ掻きながら、レンカのほうへと近づく。


情報習得ダウンロード【ランス】、きゃあっ!」


 ナノマシンの大部分を射出する【クロスボウ】は実質使い捨てであるため、三本目の〈インストーラー〉を槍に変えたが、

 痺れた手足には力が入らず、呆気なく弾かれてしまった。


「ヘッヘッヘッ、オマエさんから先に食っちまおうかあ!」


 舌なめずりをしながら、〈洞角〉を床にぶつけて恫喝どうかつする。


「こんのー! 動け動け動け! あたしの体!」


 レンカは思い通りに動かない手足を、バシバシと叩く。

 振り上げられる凶刃に、彼女は──。


「助けて、リオ……っ!」

 救出しにきたはずの友の名を、思わず叫んでいた。


「────情報習得ダウンロード【エルク】」


 カカッと子気味いい足音を響かせ、風よりも速く廊下を駆ける。

 裸足はだしだった両足には、ひづめが形成されていた。


 レンカの眼前に降り立ち、ロティの〈洞角〉を素手で受け止める。


「いいのかよお。能力使っちまって、仲間が見てるぜ」

「もう、いいんだ。決めたからな──私は『端末人間を狩る端末人間グレゴール・ザムザ』になる」


「右腕も食わなかったのかよお。もったいねえ」

「まだ手術すればくっ付く。それに、友達の腕を食べるわけ……ないだろうが!」


 低い姿勢から繰り出す、片足を上げたハイキック──蹄で、ロティの体を蹴り飛ばす。

 その威力は、たった一撃で全身の〈洞角〉を粉々にした。


「ロティとか言ったか。話は聞かせてもらった。お前に個人的な恨みはないが、その命、狩らせてもらうぞ」

「オレにはあるぜ、オマエさんに恨みがなあ!」


 ロティの右腕が急膨張し、パァンと弾けた。

 散弾のように、細かい〈洞角〉の欠片がリオに向かって飛散する。


 避ければ、レンカに当たる。

 リオは仁王立ちして、一身に受け止めた。


「流れ弾は大丈夫か、レンカ」

「あ、あたしは平気だけど、あんたが……」

「大丈夫、私も平気だよ」


 振り返って、リオは笑ってみせたが、レンカに彼女の表情は見えなかった。


 リオの全身が、ロティのように〈枝角〉の鎧で覆われている。

 顔面にも張り付いたそれは、まるで『仮面Persona』に見えた。


「平気って、あんた、それ……」


 何も言えなくなったレンカを置いて、リオは歩みを進める。


「もう、手品は終わりか?」

「あーあ、オレがやっとの思いで会得した『鎧』をよお、こうもあっさりとよお」


「──情報習得ダウンロード【ランス】【エレクトリック】」


 先端から火花を撒き散らす槍を、リオは恐れない。

 友を守る力の行使を、彼女はおそれない。


「言い残すことはあるか?」

「へっ、オマエさん、オレなんかよりずっと〈端末人間〉に向いてるぜ。せいぜい、頑張るこったあ。先に地獄で……待ってるからよお」


 歪な作り笑いを浮かべて、ロティはケラケラと笑う、嗤う。

 リオがしばし逡巡しゅんじゅんしているあいだも、放電が激しく明滅する。


「お前は……セファラのことを」

 笑い声がぴたりと止まり、今度はロティの顔が怒りで歪んだ。


「お嬢を気安く呼ぶんじゃねえ! ぶっ殺すぞ! なんでオマエが、どうしてオレじゃねえんだ、くそっ──この泥棒猫があ!」


 わずかに力の入る左手を握りしめて、彼女はリオに殴りかかる。

 もはや、鎧を形成する余力はない。


「──愛していたんだな」


 リオはその拳を片手で受け止め、突き放すと、即座に槍を心臓へ刺した。


「じ、獄へ……地獄へ落ちろ!」

「堕ちるさ、お前に言われなくてもな」


 電気を浴びたロティの体が、灰になって崩れる。

 リオの体を覆っていた〈枝角〉の鎧が、ガラガラと音を立てて散らばった。


 少女はもう、迷わない。

 食人への渇望を抑え込んだ今となっては、粛々と裁きを下す冷血動物と化すことに、気後れする必要性も感じなかった。


「ひとまず帰ろうか、レンカ。ソラエは私が運ぶから、レンカは腕を持ってきてくれ」

「うん……いいけど……」


 レンカは後ずさりたい気持ちを我慢した。

 仮面はもう無いはずなのに、友達の笑顔がひどく、貼りついた笑顔アイディスマイルに見えた。


 ◆


「先生、言われたとおりにしましたわ」


「よくやりました、セファラ。リオはどんな〈端末人間〉になったのですか?」

「それはまだ……確認する前に邪魔が入ってしまいましたの」


 とある深夜の学校施設。同、校長室。

 部屋は暗く、机の上に置かれたアンティークなランプにのみ、明かりが灯っている。


 逃げ延びたセファラは、『先生』と呼ぶ女性に、事の顛末てんまつを報告した。


「まあいいでしょう。待っていても、報告は上がってきますから」


 校長の席に着いた人物は机に肘を立てて腕を組み、落ち着いた声を発する。

 光源の乏しい室内で、表情は窺えない。


「それで、先生……ロティのことなのですが」

「彼女を人体実験から解放する。そういう約束でしたね」


「はい……」

「構いませんよ。もう十分、サンプルは取れましたし、これ以上は細胞劣化が進むだけでしょう」


「でしたら」

「ですが、もう解放はできませんね」


 一瞬、ぱあっと明るくなったセファラの笑顔が、しぼむようにしゅんとなる。

 もうとっくに、合流しているはずの時間だ。頭では分かっていた。


「それは……なぜですの?」

「彼女に埋め込んでいたマイクロチップの反応が、ロストしたからです」


「そう……あの子は、戦って死んだのですわね」

 セファラは、悲しそうに目を伏せた。


 性格上、撤退に従わない可能性も考慮できただろう。

 あの場から引き摺ってでも、連れて帰っていれば。


「貴方を救えなくて、ごめんなさい」

 窓辺で月に向かって手を合わせ、哀悼の祈りを捧げる。


「さて、私もそろそろ、動くとしましょう」


 先生と呼ばれた人物が、セファラをよそ目に立ち上がった。

 黒いフードを被ったマント姿の二人が、校長室の入口に、両翼を固めるように並んでいた。


(第6話・了、新章につづく)




【次回予告──】


「先生、私たちは……使い捨ての兵士なんですよね?」

「あらら、本当にまだ早かったみたいですね」

「これ、武器なんだ……」

「護身用に……いいえ、『お守り』みたいなものですよ」


 幼いリオの記憶、それは彼女の原点。

 あの日、先生が手を引いてくれたから……。


「お願いがあります……。先生の『苗字』をください」


次回、『始まりの物語』


【──毎日夕方18時00分更新!】

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