第3話:お嬢様の休日

※しばらく読み飛ばしていいです。


 美味しい紅茶の淹れ方。

 まずはカップとティーポットにお湯を注ぎ、予め温めておきます。

 お湯を捨てたら、温まったポットに茶葉を入れます。

 分量を間違えないよう、ティースプーンを使いましょう。

 一人分だとひと掬い、二人分だとふた掬いです。

 百度に沸騰させたお湯を、熱々のうちにポットに注ぎます。

 ポットにタオルを被せ、四分程蒸らします。

 ここでひと手間、ポットの中身をスプーンで上下に掻き混ぜます。

 上が薄く、下が濃ゆくなっている状態なので、濃さを均等にする為です。

 カップに最後の一滴まで注ぎましょう。

 これは『ゴールデン・ドロップ』を呼ばれます。

 茶葉のエキスが濃縮されおり、金色に輝いて見えるでしょう。


(って、なんで私がこんなことを……)


 二人分の紅茶をカップに注ぎながら、リオは胸中でぼやいた。

 服装は〈学園〉のブレザーでも、潜入用制服でもなく、ネクタイの執事服だ。


 メイド服ではないのは、先方の指定らしい。

 そういうみたいでしゃくだったが、メイド服よりはマシと我慢した。


「セファラお嬢様、紅茶が入りました」


 お盆に乗せたそれらを、自分と相手側に置く。


「まあ、ありがとうございますわ、リオ様」


 少女はすーっと香りを楽しむと、上品な所作で紅茶を口に含む。

 ただ紅茶を飲むだけなのに、やたらと絵になる。


 煌めく銀の長髪に、宝石のように真っ赤な瞳が眩しい。

 ソラエも相当な美人であったが、セファラのそれはどちらかと言うと童顔系だ。


「どうでしょう、お口に合いますでしょうか?」

「ええ、とっても美味しい。慣れてらっしゃいますのね」


(まあ、練習したからな……)


 ここ数日、リオは座学の代わりに、最低限の執事らしい振る舞いを仕込まれた。

 白雪家のご令嬢、白雪しらゆきセファラの元に執事として潜入し、彼女を護衛するために。


「あなたもお飲みになって? 冷めてしまえば、美味しくありませんわ」

「では、お言葉に甘えて」


 カップの取っ手に指は入れずに持ち、ひと口含む。

 付け焼刃の知識なので正直、美味しい以外の味は分からなかったが、本番で上手にれることができ、ほっと胸を撫で下ろす。


「そう言えば、どうして二人分なんです?」

「だって、独り占めするより、二人で飲んだ方が美味しく感じますもの」

「お心遣い、感謝します」

「さあ、どうかお菓子もお食べになって?」


 三段式アフタヌーンティースタンドはセファラの指示で、すべての段がスコーン、ベリーを練り込んだパウンドケーキ、色取り取りのマカロンやガトーショコラなど、様々な種類のお菓子で満たされている。


「しかし、勤務中ですし……」

「お気になさらず、わたくしが許したのですから」


 戸惑いつつも中断からスコーンをひとつ手を取り、口を開いた瞬間「お待ちになって」と咎められた。


「あのう……何か問題ありましたか?」


 カップを持たない左手で掴み、取り皿に乗せてから食べる。

 ここまでは、マナー通りのはずだが。


「それではプレーンです。半分に割ってジャムとクリームを塗るのですわ。クリームが溶けてしまわないよう、ジャムが先ですの。どうか遠慮せず、たっぷりと」


 リオは素直に従い、たんまりと苺ジャムとクリームを塗った。

 セファラはお菓子を頬張る一部始終を、微笑ましそうに眺めている。


「うふふ、口元にジャムが付いていますわ」


「失礼、お見苦しいところを」

 ハンカチで拭おうとした腕を、席から立ち上がったセファラが抑える。


「どうかしまし、んっ」

 彼女は素早く指でジャムを絡めとり、いじらしく舐めとった。


 突然の奇行に、リオは呆気に取られるばかりである。

 お嬢様らしからぬ所業に、声も出せずにドン引きしていると、セファラは中腰の姿勢でリオの灰色の瞳を覗き込む。


「以前の執事は何度誘っても、決してお茶会の誘いに応じてくれませんでしたの」

「それは……お気の毒に……」


 彼は白雪家の中庭で、変死体となって発見されたのだ。

 無残にも食い散らかされた遺体から、肉片に根を張った花が咲いていた。

 それも、まるで隠すというより、誇示するために。


 屋敷に〈端末人間〉が潜伏しているかもしれない。

 公にこそされていないが、一部の特権階級はその存在を認知している。


 特命を受けた〈学園〉は、セファラと歳の近いリオを送り込んだのであった。

 現在二人が居るのは、安全確保の為に、屋敷から離れた別荘である。


「ごめんなさい、わたくしどうかしてましたわ」

 セファラは気恥ずかしそうに自分の席に戻ると、ごまかすようにカップを口にした。


「いえ、お気になさらず」

 それにつられて、リオも紅茶を飲んだ。

 さっきにも増して、味はよく分からなくなっていた。


(彼女の突飛な行動は、恐怖や悲しみから来るもの……だろうか?)


 セファラの肌は透き通るように白く、ほんのりと紅潮こうちょうしているのが、よく窺える。


(いやいや、まさかな……女同士で)


 リオは残り半分のスコーンを、口に入れる。

 留意して、今度はジャムを付け過ぎないようにした。


 ◆


「セファラお嬢様、勝手に抜け出さないでください」

「あら、掴まってしまいしましたわ」


 人通りの多い繁華街で、リオはセファラの腕を掴み、ぐいと引き寄せた。

 明るいうちに見つけられて、ひと安心する。


 別荘で昼食を終えたリオは、『ちょっとお出かけしてきますわ』という書き置きを見て、肝を冷やした。


「まったく、せめてひと声かけてください」

「言っても、許してくださいませんでしょう?」


「当たり前です」

 リオが厳しい口調でたしなめても、セファラは「ごめんなさいね」と楽しげである。


「それにしても、よく場所が分かりましたわね」

「徒歩で行ける範囲は限られてますし、それに目立ってるんですよ」


 セファラの着用する、グレーを基調にしたワンピースは比較的カジュアルなほうだが、漂うブランド品っぽさを隠しきれていない。


 なにより、セファラの長い銀髪は、人混みに紛れても異彩を放っている。

 執事服のリオが加わったことで、なおさら目立つようになった。


「わたくし、行ってみたい場所がありますの!」

 帰りますよ、という提案を無視して、セファラは逆にリオの腕を引っ張る。


「お嬢様、困ります!」

「うふふっ、よいではありませんか」


 セファラは人混みを器用に避けながら、リオを先導する。

 どう見ても、この状況シチュを楽しんでいる。


(屋敷での生活がよっぽど、不自由だったのだろうか)


 安全のため、現在セファラは通っていた学校も休んでいる。

 いわば、束の間の休日といったところだろう。


「まずはゲームセンターですわ」

 駄々を捏ねられても困るので、リオはおとなしく従っている。


「カードは使えませんよ」

「もう、そのくらい分かってしましてよ」


 頬を膨らませて、ぷんすかと怒る。多少変顔をしたところで、その美貌が崩れることはなかった。

 セファラは得意げに、財布に用意しておいた小銭を取り出す。


「まずは、おゾンビで小手調べですわ」


 ガンシューティングの筐体に、二人分の硬貨を投入する。

 無言の圧力で、リオも銃型のコントローラーを手に取った。


 ろくに狙いも定めず「きゃー!」と撃ちまくっているセファラを、リオはそれとなく援護する。

 小銃では〈端末人間〉に効果薄だが、もしものときに備え、訓練を受けていた。


「もう、ほとんどリオ様が倒してしまわれましたわー」


 ほぼ一人でクリアしたことは伏せていたが、バレバレだったらしい。

 二度目は通用しないな。


「お次はリズムゲームで勝負ですわ!」

「怪我だけはしないでくださいよ」


 彼女が選んだのは、音楽に合わせて足でパネルを踏んでいくものだった。

 温室育ちのお嬢様には厳しいのでは、と思ったリオであったが、セファラはワンピースの裾を摘まんでひらひらと、器用に舞ってみせる。


「さあ、リオ様の番ですわ」


 勝負と言われたので、同じ曲、同じ難易度でプレイする。

 流れてくるノーツに合わせて、巧みな足捌きでパネルを踏んでいく。


 画面に『パーフェクトノックコンボ』と表示され、いつの間にか集まっていたギャラリーから拍手が起きた。


「むー、またわたくしの負けですわ」


 またふくれっ面になってしまった。


「こうなったら、定番のUFOキャッチャー、これならわたくしにもできますわ」

「意外と難しいですよ」


 人気キャラクターらしき、黄色いマーモット(ネズミの一種)のぬいぐるみにチャレンジする。

 未確認浮遊物体を模したクレーンのアームは、狙いを通り過ぎてしまう。

 二度目は頭部を掴みはしたものの、ずるっと落下した。


「あーん、アームが弱いんじゃありませんのー!」

「だから言ったじゃないですか。コツがあるんです」


 追加で入金し、リオに選手交代する。

 彼女はまず横から覗いて距離や角度を測ると、適格なボタン捌きでクレーンを操る。

 アームはぬいぐるみのタグのすき間に入り込み、見事に景品口へと運んだ。


「こちらをどうぞ」

「まあ、ありがとうございますわ!」


 セファラは幼い女の子のように、ぬいぐるみをぎゅっと抱き締めた。


 クレーンの動く速さ、ボタンを離すタイミング、実際の挙動とのラグまで、数回見ただけでリオは計算できてしまっていた。

 せっかく、上機嫌になってくれたので、不必要な自慢はしないが。


「お嬢様、そろそろ」

「次はカラオケに参りましょう?」


 ぬいぐるみを小脇に抱えたセファラは、空いている手で再びリオの手を引く。

 リオは彼女に聞こえないように、ため息を漏らした。


「二名ですわ、時間は……」

 事前に調べておいたのか、迷わずカラオケ屋に向かい、受付を済ませ、個室に入る。


「お料理も注文できますのよ」

「ほどほどに、晩ご飯がありますからね」


 しばらくして、山盛りのポテトとクリームソーダが運ばれてくる。

 お嬢様の口に合うだろうか、と考えが一瞬よぎったが、セファラはケチャップを付けたポテトを美味しそうに、もぐもぐしている。


「ほら、リオ様も遠慮なさらず」

「どうも」


 無碍むげに断るわけにもいかず、リオもケチャップに浸したポテトを口にした。


「うふふっ」

「また口にケチャップでも付いてます?」


 咄嗟に口元を庇うリオに、セファラは「違いますわ」と首を振る。


「失礼、リオ様があんまり美味しそうに食べるもので」

(顔に出ていただろうか……)


 たしかに、こうした油っぽい食事ジャンクフードは久々だった。

 アスリートのように、〈学園〉では栄養管理が徹底されているのだ。


「歌いたい曲、ありますかしら?」

「特には……」

「では、わたくしが歌わせていただきますわ」


 マイクを握ったセファラに、「いい感じに振ってくださいまし」とマラカスセットを無茶ぶりと共に手渡された。


 何かのアニメのオープニングが披露され、リオもマラカスで合の手を入れる。

 潜入中に話を合わせるために、彼女も知っている流行りの曲だった。


「お嬢様、お上手ですね」

 お世辞ではなく、彼女の綺麗な歌声は、素人が聞いても上手いと感じられた。


「ふふっ、ようやくリオ様に勝てましたわ」

「勝ち負け、まだ続いてたんですか?」


「ゲームセンターではわたくし、いいところありませんでしたもの」

「案外、ムキになるんですね」

「わたくしと本気で遊んでくれたの、リオ様が初めてですわ。ありがとう」


 セファラは、今日一番の笑顔を見せた。


「どういたしまして、セファラお嬢様」


 かしこまった仕草で応じる。

 知らず知らずのうちに、リオは彼女に心を許していたのだった。


 ファム・ファタールとは──関わった人物を惑わせる魔性の星である。

 白雪セファラの『それ』は同性異性を問わず、発揮される。


 ◆


 別荘での食事は、〈端末人間〉の容疑がかかった屋敷の使用人とは別に、白雪家が新たに雇ったお手伝いさんに作ってもらった。


「セファラお嬢様、すぐにタオルと着替えのご用意を」


 夕食を終え、浴室に向かう姿が見えたので、声をかける。


「いいえ、結構ですわ。もう持ってきていますもの」


 少しは使用人らしい事をしようと思ったが、先手を越された。


「うふふ、リオ様もご一緒します?」

「ご冗談を」


 リオがばつが悪そうなのを察してか、セファラはからかってくる。

 眼前で脱ぎ始めた彼女から逃げるように、脱衣所を出た。


「リオ様。今日はとっても、楽しかったですわ」


 閉めた扉越しに、お礼を言われる。

 うわついた調子の声色は、社交辞令ではなさそうだ。


「ご満足いただけたようなら、なによりです」


 よくよく思い返すと、執事らしいことは、紅茶を淹れたくらいなのだが。


「この家に来てくださったのが、リオ様で良かったですわ」


 どういう意味か、と聞き返す前に、浴室の扉が空く音がした。


 入浴を済ませたリオは、定時連絡で異常なしと伝えると、ベッドに横たわる。

 夜の見張りは別の生徒に任せ、セファラに怪しまれないよう、生活リズムは彼女に合わせている。


 服装は執事服から着替えたが、夜間の戦闘に備えて、スポーティなキャミソールにドルフィンパンツだ。

 携帯武器〈インストーラー〉は、腹部にベルトで直に巻き付け、数本固定してある。


「訓練とは、違う筋肉を使ったな……」


 個室を見渡すと、枕元に飾られた白い花が目に付いた。

 リオはその名前が『クチナシ』だと知らなかったが、仮に分かったとしても、気にも留めなかっただろう。


「明日も……セファラ……守る……」


 クチナシの花粉が充満し、リオを深い眠りへと誘う。

 誰かに担がれた自分が、どこかへ運ばれていくのを感じたリオは、一時的に目を覚ましたが、抗えないまま再び意識を失うのだった。


(第3話・了、つづく)




【次回予告──】


「リオ様のお体に、簡単な手術を施しましたの」

「この流れで……なるわけないだろ!」

「こうしてる間にも、リオが何されてるか分からないのよ」

「わたくしの能力は、舗装されてない地面のほうが戦いやすくって」


 新年早々、一服盛られたリオは、最大のピンチを迎えてしまう。

 彼女を助けるため、レンカとソラエが夜を走る。


「あたしたちは見落としていたのよ──セファラ自身が〈端末人間〉の可能性に」


次回、『寝込みに種付けしてくるお嬢様は好きですか?』


【──毎日夕方18時00分更新!】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る