第2話(前編):学び舎の日常

 まだ日も昇りきっていない早朝。〈学園〉の付属寮。

 阿久津あくつリオは、二段ベッドの下段で起床した。


 アラームが鳴る五分前だったので、専用通信機の目覚まし機能を停止する。


「結構かかったわね、リオ」


 リオの頭上、二段ベッドの上段から声は聞こえた。


「まだ五分前だぞ、レンカ」

「一ヶ月もかかったじゃない」


 ベッドから飛び降りた少女──川畠かわばたレンカは振り向くと、桃色の瞳の片目を閉じ、チッチッと指を振った。

 普段は、短いふた房のおさげに纏める紫髪だが、寝起きの今は解かれている。


「なんだ、任務の話か」

「あたしはもっと早かったわよ。今回はあたしの勝ちね」

「別に早けりゃいいってもんでもないだろう」


 リオはぽりぽりと頭を掻いて、大きな欠伸あくびをもう片方の手で隠す。

 信頼できるルームメイトの前で、気は緩みきっている。


「早い方がいいに決まってるでしょう。その分、多くの任務をこなせるもの」

「任務期間は守っている。間違った相手を殺すわけにはいかん」


 互いのスタンスに違いがあるため、議論は平行線である。

 もっとも、レンカは早さを自慢したいわけではなかったが。


「本当に転校しちゃったかと思ったわ」

「今更、戦い以外で生きていけん」


「シリアス過ぎる。どこのユニバース出身よ?」

「孤児院だが」

「デリケート過ぎてツッコミづらい!」


 お喋りも程々に、リオは寮の共同洗面所へ赴き、冷水で顔を洗う。


 一度、寮の部屋へ戻り、キャミソールとドルフィンパンツから、赤黒い色を基調としたブレザーに着替え、指定の黒いタイツを履く。


 金糸で刺繍された、架空校章が胸元を彩る。


 潜入していた頃の制服ではなく、〈学園〉で支給される特別製で、戦闘にもある程度は耐える丈夫さと、感電対策の絶縁性を有している。


「よしっ、走り込み行くぞ。レンカ」

「ちょっと、急かさないでよ。リオ」


 日課である朝食前のランニングに出かける。


 今日の予定は、午前は潜伏に支障が出ないよう高校出題範囲の座学、午後は併設ジムでの基礎体力作りと、実戦形式のトレーニングだ。


 ◆


 更衣室でトレーニング用のウェア──黒のスパッツに短いスカート付きに着替え、軽く準備運動を済ませてから、校舎の外縁に沿って走る。


 ほとんどの生徒は任務で出払っていて、ランニングコースはがら空きだった。


 この時間帯に走るのは気持ちがいい。

 頬を撫でる風の感触に、白と黒の境が曖昧な景色は、心を落ち着かせる。


(朝から体を動かすのだから、学生服を経由する必要はなかったな)

 などと、どうでもいいことを考えていた。


 やがて朝日が昇ってきて、ぼんやりと雲を浮かび上がらせる。それらを眺めていると、自身が殺めてきた故人を思い返してしまう。


「左から失礼~」


 追いついたレンカが、リオを追い抜こうとしたので、急いで彼女に並走して、胸中を吐露した。


「なあ、レンカ。私は……正しいことをしたのだろうか」

「はあ、何が?」


 あまりに要領を得なかったので、多少は言葉を整理する。


「その、〈端末人間〉を倒す行為は、本当に……」

「あんたねえ、あたしたちが倒さなかったら、被害者が増え続けるのよ?」


「しかし、彼女たちは望んで『ああなった』わけじゃない」

「そこまでは知らないわよ。いちいち同情してたら、こっちが殺されちゃうわ」


 納得のいかないリオが「だが」と抗議する。

 レンカは黙っておくべきか迷ったが、助言することにした。


「間違った相手じゃなかったんでしょ?」

「正しい相手なんていないさ」


「じゃあ、時間かけて調査する意味ないじゃない」

「それは……調べるのが、任務だったからな」

「じゃあ、任務だからでいいじゃない」


 どうしても割り切れなくて、リオは黙り込んでしまう。

 誰が犯人かは、もっと早くに特定できていた。


 どんな人物か見極めるために、念入りに探りを入れた。

 人を食べてしまった時点で、『人間』に戻れる見込みは、ほぼなかったのに。


「和解は……できないだろうか」

「殺人鬼とは違うのよ、人の味を知ったクマより狂暴だわ。何かの拍子に、自分の大切な人を食べ始めるかもしれない。そんなの、どっちも不幸じゃない」


 おそらく、レンカの言い分は正しい。

 半端な情けはかけないことが、双方のためになると割り切っている。


「じゃ、そろそろ息がきついし、本当に先行くわね」


 ふた房に括ったおさげを揺らして、レンカは走り去っていった。

 そのあとを追いかけるように、リオは足を止めない。


「梅雨は……とっくに明けたのにな」


 昇った朝日が逆光になって、リオは目を細めた。


 ◆


 午前の座学を済ませた後。

 朝食が喉を通らず、ミルクだけで済ませたリオは、寮の食堂に立ち寄った。


(さすがに腹が減ったな。これでは午後まで持たんぞ)


 生徒たちは寮費や食費が〈学園〉負担になっており、危険度の高い任務に就く前の生徒に至っては、おかわりも自由である。


 食券で焼き魚定食を注文して、席に向かう。


「リオ! こっちよ!」


 窓際の席を確保したレンカが、プレートを手にうろつくリオに呼びかけた。

 と言っても、食堂は空席だらけであったが、せっかくなので同席する。


「レンカはカレーライスにしたのか」

「ふふん、カレーは完全食だもの」


「なんでお前が得意げなんだ」

 底抜けに明るい友人に、つい笑みが零れた。


 ここはどのメニューを選んでも、栄養バランスが計算されている。

 戦いにはまず、体が資本というわけだ。


「ふたり共、ボクもご一緒していいかな?」


 席に着くなり、碧眼の美少女に声をかけられた。金色こんじきに輝く短髪は、ざっくりとお団子状に纏められ、毛先の青緑色が映える。


 レンカが「もちろんよ」と言って奥に詰め、リオのはす向かいに、生姜焼き定食のプレートが置かれた。


「ソラエ、帰ってたんだな」

「もち、簡単な任務だったからね」

「簡単ね、どうだか……」


 彼女はリオもよく知る。いや、〈学園〉の誰もがよく知る生徒である。

 クォーターの血を引くソラエ・リーザ・クロスエーデンは、背の高さも相まってやたらと目立つが、理由は美貌だけではない。


 その実力は折り紙付きであり、同年代の生徒の中でも『最強』との呼び声も高い。

 事実、彼女は戦いで骨折等の重傷を負ったことが、一度もなかった。


「ねえ、リオ。今日のスパーリング相手が、まだ決まってないんでしょ?」

「まあな」


 他に誰もいなければ、彼女に頼もうとは考えていたが、友人同士ではお互いの手も読み尽くしている。


 実戦では、常に未知の〈端末人間〉の能力に対応する必要がある以上、なるべく異なる相手と組手をした方がよいだろう。


「──じゃあ、ソラエに相手してもらうってのはどう?」


「ボクと? いいよっ。本気出していいならねっ」

 ソラエは訓練では、滅多に全力を出さない。

 手を抜いているわけではなく、正しくは全力を出せない。


 彼女に叩きのめされた生徒は、しばらく任務に支障をきたすならまだマシで、酷いときは実力差に絶望し、もう戦えなくなってしまう。


「提案しといてなんだけど、やっぱやめときなさい、リオ。大怪我するわ」

「ごめんごめん、本気は冗談。言ってみただけだよ、ちゃんと手加減するってば」


 ソラエは、朗らかに笑ってみせた。

 一連の発言は、べつに嫌味のたぐいではなかった。

 だが、それが逆に、リオの闘志に火を点けた。


「ソラエもなかなか全力が出せずに、もどかしい思いをしてるだろう。それを私にぶつけてほしい」

「ちょっと、リオ? あんたドエムなの?」

「私なら次の任務まで間があるし、少しもやもやしていてな」


 余計な事を考える余裕もないくらい、切迫した状況でぶつかり合えば、悩みも晴れるかもしれない。


「じゃあじゃあっ、基礎訓練が終わったら落ち合おうねっ」


 ソラエのほうはすっかりやる気で、碧い瞳をキラキラさせている。


「ああ、恨みっこなしだ」

「もお、仕方ないわねぇ。精々コテンパンにされてきなさいな」


 リオの内情を知るレンカは、渋々承諾するのであった。


(第2話前編・了、つづく)




【次回予告──】


「まだコインは残っているさ」

「だよねっ、直前でバックステップしたもんね」

「ちょっとボロボロじゃない、どんだけ無茶したのよ!」

「いや……食べると吐きそうだから、ちくしょう」


 リオは『最強』の生徒と対峙する。

 襲いかかるソラエの槍は、恐るべき特性を持っていた。


「実戦なら、一度死んだらお終いだよ?」


次回、『不可避の槍』


【初回は3話(4話)まで更新!】

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