端末人間・改~百合の花束で人狼を殴打する~

菅田江にるえ

第1章:破邪顕正

第1話:人狼を狩る人狼


「荷物、半分持とうか?」


 両手いっぱいにプリントの山を抱え、ふらふらと危なっかしく廊下を歩くセーラー服の女生徒に、声をかける者がいた。

 灰色の瞳をしたその少女は、返事よりも先んじて受け取る。


阿久津あくつさん? ありがとうございます」


 ようやく視界が開けた、黒い瞳の女生徒は、お礼を言って頭を下げる。

 その拍子で崩れたプリントの束を、なんとか落とさずバランスを保ち、互いにほっと息をつく。


「リオでいいよ。園崎そのざきさん」

「そうですか? では、私もきみこでお願いします」


 赤髪を肩まで伸ばした少女──阿久津リオは「ふふっ」と吹き出した。

 青みがかった黒髪を、おかっぱに切り揃え、眼鏡をかけたきみこは不思議そうにする。


「いや、まだ名前呼びしてなかったんだって思ってな」

「言われてみれば、そうですね。あなたが転校して、もう一ヶ月ですか」


 リオがこの学校に転校してきたのは、五月の連休明けである。

 人並みに交友の多い彼女は、部活動こそ所属していないものの、すっかりクラスに馴染んでいた。


「これって、生徒会室に運べばいい?」

「はい、場所は……」

「うん、分かってる」


 二人はどちらともなく、横に並んで歩きだした。


「雨、降ってますね」


 廊下に二人以外の生徒の姿はなく、窓に雨粒が当たる音が、静かな校内に響き渡る。


「まあ、梅雨だからな」

「梅雨が終われば、夏が来ますね」

「今年も暑くなるんだろうか」


 リオは「勘弁してほしいものだな」とかぶりを振った。


「ですねー。去年は生徒会室のエアコンが壊れて、大変だったんですよ」

「きみこは一年の時から生徒会なんだっけ。優秀なんだな」

「いえいえ、そうでもあります」

「なんだそりゃ」


 今度は二人そろって「ふっ」と吹き出し、笑い合う。


「リオさんも生徒会に入りません? 推薦しますよ」

「うーむ、私はもうすぐ学校を去る予定だからな……」

「『去る予定』? また転校するのですか?」


 ヘンテコな言い回しに、きみこは怪訝けげんな顔をした。


「まあ、そんなとこだな」


 質問の答えを、リオははぐらかした。


 そうこうしている間に、二人は生徒会室にたどり着き、奥の机に書類を下ろす。

 室内には二人だけ、二人っきりだ。


「明日使う資料ですから、本日はこれにて一件落着です。簡単な書類分けだけしちゃうので、先に帰っちゃってください」

「そうか、また困った時は遠慮せず呼んでくれ」

「ありがとうございます。リオさん」


「ところで──」


 扉の前まで進んだリオは立ち止まり、きみこに背を向けたまま尋ねる。


「──連休明けから、行方不明になっている生徒についてだが」

「ああ、有名な不良グループですね」


 まだ質問の途中で、きみこは答えた。


「有名だったのか?」


「ええ、それはもう。万引き、飲酒、喫煙、かつあげ、いじめ、悪い噂は絶えないのに、中々尻尾を出さないせいで、先生方もだんまり。私が一年の時は生徒会も手を焼いていました。リオさんはある意味、いいタイミングで転校してきましたね」


「いいタイミング、ね」


 リオは自然な流れを装って、こう続ける。


「最近、別の不良グループが出来つつあるって、知ってるか?」

「いたちごっこ……ですね。やっと学校が静かになったのに」


 書類を仕分けながら、きみこは嘆息を漏らす。


「なんでも今夜、××地区にある廃工場に集まってバカ騒ぎするらしいから、あの周辺には近付かない方がいいぞ。生徒会なんて、目の上のこぶだからな」

「ご忠告、ありがとうございます」


 書類の捲れる音が消え、雨音がひと際大きく聞こえる。リオがそちらを一瞥すると、彼女の手は止まっていた。


「忠告はした──」


 そう言い残すリオの声色には、たしかな悲哀が籠っていた。

 きみこにも伝わったかどうかは、定かではない。


 ◆


 同日深夜。

 雨合羽を羽織ったその少女は、廃工場正面の大きな扉から漏れ出る光を見つけると、まずは中の様子を窺おうとした。


 全ての窓には黒い布が掛けられ、実際に見る事は叶わなかったのだが。

 ならばと物音を探ろうにも、聞こえるのは雨音ばかりである。


 その場で逡巡しゅんじゅんした少女は、正面から入る決心をした。

 扉はちょうど一人分の隙間が空いており、こっそり忍び込めば見つからないだろう。


 物音を掻き消す雨音も、潜入にはうってつけである。


「近づかない方がいいって、言ったよね」


 声がした。入口の陰で呼吸を整え、一歩踏み入れた瞬間に。

 ──待ち伏せ、されていた。


 幸い顔は見られていない。即座にきびすを返せば、逃れられたかもしれない。

 彼女がそうしなかったのは、そこに不良グループの集団など存在せず、代わりによく見知った顔が、見知らぬ赤黒いブレザー姿で、一人待ち構えていたためである。


「リオさん? どうしてここに?」

「その質問に答える前に、私からひとつ尋ねたい。逆に園崎さんは『どうして』ここにいるのかな?」

「きみこって……呼んでくれないのですね」


 観念したように、少女は雨合羽の頭巾を下げた。青みがかったおかっぱが、灯りに照らされて露わになる。


「呼ぶ資格が無いからな」


 ぼそっと、リオは呟いた。手にした傘の先端は、小さな水溜まりを作っている。

 きみこは雨合羽のボタンをパツン、パツンと外していく。


「不安の種を、早めに摘んでおきたかったのです」


 偽りを含まない、答えだった。


「相手をよく確かめもしないうちにか。それは危険だよ」

「確かめたら、よいのですか。あなたが一ヶ月かけて私を見定めたように」

「よくないから、私がここにいるんだ。お前は殺しに慣れてしまった」


 期せずして、「どうして」の答え合わせは、両者共に済まされた。

 この先に待つのは対話でなく、暴力の時間である。


 きみこが雨合羽を完全に脱ぎ捨てるのと、リオが学生服の上衣から細い金属棒を取り出すのは、ほぼ同時であった。


「──情報習得ダウンロード【ハンドアックス】」

「──情報習得ダウンロード【ヴァンパイアバット】」


 衣服ごと巻き込んだ爆発的な細胞の膨張により、きみこの両腕にはコウモリの翼が形成され、折り畳んだシルエットは、まさに伝説上の吸血鬼を彷彿ほうふつさせる。


 一方、リオの手にする金属棒は先端のランプが赤く瞬き、片手斧へと変化していた。

 受信した命令を元にナノマシンが形状・性質を変換させる携帯武器

 ──〈インストーラー〉である。


 ここまで、わずか五秒未満。

 投げた雨合羽が床に落下するまでの、刹那の出来事に過ぎない。


 きみこがコウモリの両翼を広げた瞬間、リオは即座に斧を投げつけた。

 狩猟用のブーメランがごとく、それは弧を描いて目標へ向かう。


 屈伸動作を経た跳躍で、きみこの体は垂直に跳び上がった。

 躱された斧が床に刺さる。


 天井の鉄骨に両足の鉤爪で逆さまにぶら下がり、牙の生えた大口を開く。


視えざる交響楽団イモータル・エコー!」


 パンパンッと工場を照らす照明が続けざまに破裂した。

 超音波。人間の可聴域ではが、のだ。


牽制けんせいと目暗ましか……)


 暗闇のとばりが降りた工場内で、リオは冷静に分析する。


(それだけではない、さっきの反響が私には視えている)


 コウモリの発達した聴覚を獲得したきみこは、反響定位エコーロケーションによってこの場における障害物、標的との距離を正確に把握していたのだ。


(リオさんとの位置から、羽ばたく回数の計算完了です)


 鉤爪を離し、空中で羽を開く。

 両翼の風切り音は、死へのカウントダウン。


 吸血牙はリオの肩を貫き、あっという間に乾燥遺体ミイラに変えるだろう。


 そうして乾いた人体を丸呑みしてしまえば、あとは残った衣服を処分するだけ。

 現場に痕跡は極力残さない、神経質なまでの徹底っぷり。


 しかし、潜入捜査に一ヶ月も要したのは、それが原因ではない。


「ああ……殺しに迷いがない。お前はもう、人間ではなくなってしまった」


 残念だ、リオは独り言を呟いた。

 きみこの体は見えない壁に阻まれて、床にぶつかった。


「何が起こったの! リオさんはどこ!」


「──情報習得ダウンロード【ランス】【エレクトリック】」


 二本目の〈インストーラー〉が起動し、発電機構を備えた槍がスパークする。


 放電の発光で、きみこは壁でなく、開いた傘に衝突したのだと悟った。

 リオは工場が明るいうちに飛行ルートを逆算、追突の寸前に傘を囮にして、回りこんだのだ。


 床を這いずるコウモリの体は、すぐには飛び立てない。


「待って──」


 リオの槍が刺さる間際、きみこの脳内に走馬灯が駆け巡る。


 初めて能力を手にした時の、全能感。

 初めて人を殺した時の、絶望と高揚。

 この能力を社会の役に立てようと決めた時の、使命感。

 完璧に証拠は消したはずなのに、何故か事件を嗅ぎつけたように転校してきた少女の、違和感。

 そして、


『また困った時は遠慮せず呼んでくれ』


 思い出すのは、この一ヶ月の記憶ばかり。


「──助けてよぉ」


 ようやく声が絞り出されたが、振りかぶった手を止めるには遅すぎた。


 強靭な生命力を誇る〈端末人間〉を殺す、最も確実な方法は、高圧電流で細胞組織を速やかに焼くこと。


 弱点である電気を浴びたきみこは、速やかに体が灰となって崩れた。

 残された衣服も処理班が回収して、彼女が生きた形跡は途絶えるだろう。


「半分、持っていくから」


 暗闇に目が慣れたあとも、リオはしばらく、彼女の焼け跡のそばに居た。

 その境遇に同情したのかは、自分でも分からなかった。


 ◆


 この世界に〈端末人間〉が誕生したのは、二十世紀の初頭である。

 各国の研究者が集結し、秘密裏に情報工作を行うために生み出された人造人間であった。


 世界中に散らばった〈端末人間〉は、人に紛れ、人に潜み、本人すら無自覚に『情報』を一ヶ所へと集積する。


 現代に蘇るアカシック・レコードインビンシブル・テクノロジー、または無限のアーカイブクリスタルサーバー

 〈ノアの方舟〉計画と名付けられたその施策は、当初は順調に進んでいるかに思われた。


 数百年の潜伏期間を経て、異変が起きた。

 それらの中に、人を襲う個体が出現し始めたのだ。


 人間と〈端末人間〉の混血は、開発者にすら予期し得ない事態を引き起こした。

 混ざり合った遺伝子情報が、隔世遺伝によって発現し、表層化したのだ。


 集積されるはずの情報は逆流し、それらの体に流れ込み、副作用として

 責任の追及が協議されたが、当時の研究機関は〈ノアの方舟〉と共に解体されており、うやむやに。


 この事態を重く見た権力者たちは、世界各地に対抗組織を結成。


 こうした時の流れの末節で、リオは〈端末人間〉を狩っている。

 所属する組織は、学校施設への潜入を主にすることから若い年代で構成され、

 ──〈学園〉と呼ばれた。


(第1話、了・つづく)




【次回予告──】


「なあ、レンカ。私は……正しいことをしたのだろうか」

「自分の大切な人を食べ始めるかもしれない。そんなの、どっちも不幸じゃない」

「ふたり共、ボクもご一緒していいかな?」

「──じゃあ、ソラエに相手してもらうってのはどう?」


 任務を終えたリオは友人たち再会し、束の間の平和な“日常”を過ごしていた。

 しかし、きみこを殺めたという事実が、彼女の心に影を落とす……。


「ふふん、カレーは完全食だもの」


次回、『学び舎の日常』


【初回は3話(4話)まで更新!】

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