第21話 凍道チャンネル「聖武天皇天然痘使い説②」
「えっと何の話だっけ、そうそう聖武天皇。史料では日本で最初に天然痘が流行したとされるのが聖武天皇のとき。このとき聖武天皇は実質藤原氏の傀儡みたいなもので、長屋王の変が起こるくらい舐められてた。おそらくなんだが、祟りという概念が薄らいでいたんじゃないかと思う。俺が知る限りでは、崇神天皇のあと737年の藤原四兄弟全滅のときまで、『祟り』という概念はこれといって現れない」
『天然痘が流行ったのが735年が最初ということになってるからじゃなくて?』
「その前に祟りについておさらいしようか。まず結論から言うと、日本において、『偉い人(天皇)に逆らうと祟りにあう』という『祟り』という概念があることで、日本の朝廷は政権が幕府や明治政府に移っても、『朝廷』という存在として滅ぼされずに残り続けた。俺は、おそらくそれが生まれたのが聖武天皇の時代だと思う」
・天皇 『祟り』 <> 中国皇帝 『易姓革命』 その他各国の王族
・崇神天皇 天然痘とワクチンで敵だけやられたから『祟り神』
・聖武天皇 『長屋王の変』の祟りで民衆の3~5割が死亡『祟り』の概念完成
「中国の易姓革命の革命が起こったとき、それは前政権を天が見放したのだから、革命は必然であり、前政権は完全に否定され、墓まで暴かれるという考え方は顕著だが、普通、革命があって政権が変動した場合、前政権の一族は滅ぼされることが世界常識だ。でも、日本の天皇だけは、幕府が変わろうと、南北にわかれて争おうと、滅ぼされることがなかった。なぜか?それは日本人に『朝廷の偉い人に逆らうと祟りにあう』という魂レベルの呪いがかけられていたからだよ。それは日本三大怨霊である、平将門、菅原道真、崇徳天皇を見てもわかる」
『乙骨と五条先生の先祖なのだ』『呪術廻戦でみた』
「俺達はコロナでろくに死人がでてないのに民衆がパニックになるのを肌で感じたよね。伝染病についての知識があり、うがい手洗いやマスクという対策も取れる俺達現代人でさえ、あんなにパニックになった。もし、平安の時代に、長屋王が殺されたあと、『長屋王の祟りが起こると予言されて』天然痘が大流行して藤原四天王は全員死に、聖武天皇は天然痘にかかっても死ななかったらどうだろうか?当時の民衆は、改めて天皇の祟りはすごい、祟りも起こせる神の末裔だと信じたのではないだろうか?」
『ずんだもちも祟るのだ』『二度とさからわんとこってわからせられそうのだ』
「長屋王の変は729年だ。なのに、藤原四兄弟が死んだ天然痘の大流行は737年なんだよね。8年も経って祟りって悠長じゃないか?こんなの、誰かが『藤原四兄弟は祟りで死ぬとか、長屋王の祟りが都を襲うだろう』とか予言してないと、紐づけて祟りとは考えないんじゃないか?事後孔明でもいいんだが、誰かが喧伝したと思うんだよね」
729年 長屋王の変 皇族が殺される
735年 天然痘が太宰府(九州)で流行の兆し
737年 天然痘が大流行 全国民の3~5割が死亡 藤原四兄弟死亡(聖武天皇も罹患)
「崇神天皇の生み出した神威は数百年の時を経て薄れ、時の権力者(藤原氏)は不比等が日本書紀を作り、天皇に姻戚を入れるなど、完全に皇位を掌握せんばかりの専横だった。そこで、聖武天皇は三種の神器として伝わっていた秘伝、天然痘に頼ることにした。九州に伝来したのは大陸にまで天然痘を探しに行ってたのかな。島国である日本では一度天然痘は根絶されてたようだし。で、735年に九州で流行らせ、そこから馬痘によるワクチンや、凶悪な株(天然痘死亡者の膿)を用意して、2年後の737年に予告したうえで天然痘というBC兵器を使った。しかし、崇神天皇のときとは違って、狙った人間だけを排除するのではなく、都という人口密集地故に日本初のパンデミックが発生してしまった。人口の3~5割が死ぬほどのね。もちろん聖武天皇もめちゃくちゃ恐れたとおもうよ、自分のしでかしてしまったことに。自分こそ祟りを受けるのではないかと。だから遷都を繰り返したり、大仏を建立したりしたのではないかと思う」
『おあしす』『おあしすしたのか…』
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