第3話 こうして俺はアカデミアを追放された 中編
山崎教授は、『凍道日記』で声をかけてくださったときも、俺の「ひらめき」を褒めてくださった。それは例えば、
「この人物は自称源氏の出といってるが、これは全くの嘘で、おそらくは出自は不明の流民、いっそ唐のほうから流れてきたのだと思われる。それと妻子に関する記述は嘘だと思われる」
とか、
「この武将とこの武将はおそらく恋人同士であり、そのためにこの裏切りが起きた、そのことはこの手紙のこの部分から読み解ける」
といった、従来の説に一切依らず、ともすれば荒唐無稽な、青臭い、しかし今自分で読み返しても執念を感じる点だった。
「本能寺の変というと、松尾君はどの説でやってみるつもりなんだい?」
「はい、光秀が単独で癇癪を起こしたとは思えません。なにか理由があって、本能寺の変を起こしていたとすると、黒幕がいたとしか思えませんし、秀吉や家康よりも、朝廷が黒幕という説が通ると思います。やはり朝廷黒幕説で行こうと思います」
「ははっ、本当に手垢にまみれたところからいくんだね。安土城の焼け跡に天皇の住居として内裏の清涼殿を模した建物があったから、天皇を奪われると危惧した公家達が光秀に命じたというあれか。君はそういえば信長が好きだったからね。真剣にやってみるならいいかもしれないね。面白い新説が見られることを期待しているよ」
そこからは夢中で史料をひもとき、読み比べ、従来の説も読み込んだ。こうして寝食を忘れて打ち込み、1ヶ月という短さで『本能寺の変の黒幕は朝廷論』が完成したのだった。
山崎先生の期待に応えられるよう、一つだけ、他の誰も出してない新説を添えた。今度の新説は結構筋が通っていて、もしかしてと思わせる面白さもある。会心の手応えを俺は感じていた。きっと、俺の初めての論文を楽しんでいただけるだろう。それがご恩返しになるに違いない。そう思って少しワクワクしながら研究室のドアをあけたときのことを思い出すと、その後起こったことの辛さに胸がジクジクと痛むのを感じた。
「先生!読んでください!本能寺の変の論文が書けました!」
「ほう、ちょっとまってもらえるかね、今してる仕事が終わったら読ませてもらうから」
「はい!先生に一番に読んでほしくて、まだ誰にも見せていません!」
「ははっ、それは楽しみだね。で、結局朝廷陰謀論でいったのかい?」
「はい!でも少しだけ、従来の説より新しい説になったと思います!」
「ほほう、いつもの松尾節炸裂かい?どんな説だい?」
「はい!従来の朝廷黒幕説は、安土城に天皇の住まいが用意されていたことから、天皇を奪われると思った公家達朝廷が画策して明智光秀を操ったという説でしたよね」
「うんうん、それで?」
「私は、安土城が宗教色が強く、信長が朝廷におもねらずに馬揃えなどで威圧していたことや、本能寺の変の前日、信長が『天皇だけが決定権を持つ』こよみについて口出しをした件に着目しました」
「うん?どれもすでにある説じゃないかい?」
「ここからが面白いんです!信長はどう見ても天皇の上に立とうとしています。つまり、天皇を頂点にした日本神話の外側、天皇を部下とする新しい神話を創成しようとしていたとしか私には思えませんでした。楽市楽座や天下布武の先見性から言っても、安土城が神殿めいている点からいっても、信長が天皇という神話の成り立ちに気づき、それを超えようとしていたとしか思えません。となれば、公家だけでなく、朝廷全体、つまり天皇も含めた全員が信長暗殺を首謀した主体であり、、、」
「ちょっとまちたまえ、天皇が首謀者?」
「はい!正親町天皇はかねてより信長から譲位を迫られてもいました。信長が天皇より上を名乗るための準備だったのではないでしょうか。足利義昭の画策した信長包囲網を打ち破り、畿内を完全に手中に収め、あとは足利義昭を擁する毛利家を滅ぼすだけ。その毛利攻めも失敗しようがありません。おそらく天皇家の失墜が信長の狙いだと内通者光秀から聞いていた正親町天皇は譲位をして、信長を天皇よりも上だと認めて、言いなりとなって天皇としての命令を出してもいいという最上の餌で、本能寺に信忠と二人おびき出したのではないでしょうか。当時の武家社会において、下剋上は許されざる大罪です。光秀の背中を押すには、クーデターが成功する条件として信長と信忠の二人が無防備である奇跡のような条件が揃っている必要があります。偶然も1つや2つならあるでしょうが、果たして信長がそこまで気を抜いて信忠を呼び寄せるでしょうか。これは、正親町天皇が信長に対し、譲位と合わせて信忠との縁組、つまり信長が上皇となることも提案し、そのために信忠もおびき寄せられたのではないかという説です。つまり、公家ら朝廷だけではなく正親町天皇も黒幕であり、光秀は元からスパイだったという説になるわけですが…教授?」
相槌を打たないから話しすぎたな、また悪い癖がでたなと、手に持っていた論文から顔を上げてみると、何故か真っ青な顔になって口を真一文字に結び、こちらを見つめている山崎教授と目があった。
「教授?」
「君の論文の趣旨はわかった。読んでおくからそこに置いておきなさい。論文を書き上げて疲れたろうから、今日は手伝いもいらないから、明日またこのくらいの時間に来れるかね」
「……?はい、わかりました」
いつものように褒めてくれると思った山崎教授の、全く予想と違った反応に、またしても鳩になった俺は、何か見落としがあったかなあ?と頭を掻きながら、帰路についた。
次回予告
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