第2話 こうして俺はアカデミアを追放された 前編

ブドウ糖を大さじ二杯入れた水出しコーヒーを飲み干したので、いつもは二杯目からは無糖なのに、追加の一杯にもブドウ糖を大さじ二杯入れた。脳が糖分を欲しているように感じられたからだ。


なぜだ、どうしてあの頃のことが思い返されるんだ。


あの頃。歴史学者として最高学府である帝国大学の大学院に院進し、たとえ稼ぎは悪くともこの道で食っていくのだと、ゼミに導いてくれた教授や同期を、歴史を探求する仲間なのだと無邪気に信じていたあの頃のことを。


少し自己紹介をしよう。凍道チャンネルという名前は、俺が中学時代に賞を取った俳句の季語から取られている。『凍道』という季語を知らなかった友達からからかわれ、


「凍道くらいわかるだろふつう!」


と言ったことから俺のあだ名は『凍道』になった。別に悪い気もしなかったので、ネットでのハンドルネームとして使いつづけ、今に至るというわけだ。


俺は最高学府に院進できるような大した大学ではなかった。歴史の勉強は寝食を忘れるほどには好きだったが、それ以外についてはからっきしで、名前と歴史だけは立派で、最近は卒業生から首相も輩出したマンモス校だ。ほとんど勉強をしなくて受かったのがこの大学ともう一つだけだったので、首相にあやかってこちらに決めたといった程度のものだった。首相はこの大学のヨット部出身らしいが、俺は部活にも入らず、ネットゲームにはまって徹夜をしたり、大学の授業とほとんど関係なく研究した内容をブログ『凍道日記』に毎日のように書いたりしてすごしていた。


『凍道日記』に興味を持った帝国大学日本史学研究室の山崎尚史教授が、


「こんなに熱心に歴史を研究していて、しかも内容も面白い。ぜひ今度一緒に食事でもどうですか」


とXで声をかけてくださったのが俺の進路を決めることになった。その後色々あったのだが、山崎教授が声をかけてくれたことには今でも感謝している。


お寿司をごちそうになりながら、その調子でもっと日本史の研究を続けなさいと言われたので、ハマっていたネットゲームも辞め、山崎教授の研究室にお邪魔してゼミ生や教授とのディスカッションをさせてもらい、新しい知見などを授けていただき、2年後、晴れて帝国大学に院進させてもらえることになった。


文系の院なんてものは、最高学府の帝国大学であってもほぼコネで通るものだそうだが、院進試験のうち英語能力だけは必要だそうで、嫌いな勉強を1年間死ぬ気で頑張り、なんとかハードルを超えることができた。


申込期限の直前まで合格点がだせず、IELTS(英語能力検定試験の一種)の試験を受け続け、受からないかもしれないと悲嘆にくれて、なんとか英語の点数が足りなくても通してもらえないかという下心で、有名なチーズケーキを手土産に研究室に顔を出したら、


「まだ合格できてないだろう、何をしてるんだ勉強しろ」


と叱っていただいたのもいい思い出だ。


院進合格の知らせをもらった時には飛び上がるほど嬉しくて、Xで教授に長文のお礼を書き、4月から晴れて帝国大学院生となった俺は、教授への恩返しにと、教授や先輩の手伝いに奔走してあまり自分の研究もできていなかった。


1年目の夏頃、山崎教授から、


「手伝いはもういいから、自分の研究で論文を書いてみたらどうか」


と促されたときには、ああ、そういえば自分の研究をするためにここに来たんだよなと鳩が豆鉄砲を食らったような感想を持ったものだ。きょとんとしている俺の反応をどう思ったのか、先輩が


「不安なら最初だけでも手伝おうか?」


と声をかけてきたので、


「あ、いえ、ありがとうございます、自分でやりたいから大丈夫です」


と失礼な返事を返してしまい、今度は先輩が鳩になっていたっけ。


この論文が、俺がアカデミアから追放された理由になった。今でもなぜ、あれほどのことを突然されたのか、俺にはわからないのだが。


俺が論文のテーマに選んだのは『本能寺の変』だった。日本史に登場する人物では信長が一番好きだったし、研究テーマを伝えたときは山崎教授も


『手垢にまみれたテーマだが、君のいつものひらめきに期待しているよ」


とおっしゃってくださったし、たとえどんなに手垢にまみれていても、好きなことを研究したかった。そこまでは、山崎教授もニコニコ顔でやってみなさいと言ってくださっていたように思う。


次回予告

山崎教授 豹変

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