第6話

 目覚めは最悪だった。けたたましい電子音に顔をしかめつつ重い体を起こし、ため息をつく。耳障りな電子音の出所、スマホに視線を向けたところで僕は動きを止めた。画面には浅川と表示されていた。

 しばらく躊躇ためらった後、僕はスマホに手を伸ばした。電話に出ると、昨日も聞いた女性の声が響いた。

「ああもしもし、私、浅川蓮の母です。榎本さんでしょうか。うちの子がそちらに行っていませんでしょうか?」

 早口で、まくしたてるような話し方に、何か切迫するものを感じた。

「はい、榎本です。浅川くんはこちらには来ておりません」

「そうですか、あの子、病院を抜け出したらしくて、どこに行ったのかしら。あの子、車でどこかに向かったみたいなんです」

 胸の上にずしりと重石おもしが乗ったように感じた。

「何かあの子についてわかったら教えていただけませんか。車のナンバーを教えますから」

 浅川の乗った車のナンバーを告げてから、電話は切れた。僕は先ほどまで寝ていた布団を振り返った。無表情で目を見開いたままベッドに横たわっていた浅川の姿が脳裏に浮かんだ。

 時刻は午後五時だった。僕は車のキーを取り、外に出た。車に乗り込みながら、製造課長に今日の仕事を休むと連絡を入れると、返事を聞く前にスマホの電源を切った。

 山中の道を二時間ほど走り続けると、ようやく海が見えてきた。空は暮れなずみ、それを映して海面は橙色に輝いていた。橙色に染まった日本海をかたわらに、僕はひたすら車を走らせた。

「浅川、角島つのしま行きたがってたよな。だって角島は景色が良いもんな」

 吹き付ける潮風の中で、僕は語りかけるかのように呟いた。陽は沈み、残照が徐々に消えていき、やがて夜のとばりが下りた。

 角島にたどり着いたころには真夜中になっていた。すれ違う車は一台も無く、まばらな街灯の明かりに照らされた道が延々と続く。聞こえる音と言えば、僕の車のエンジンの音と、規則正しく響く潮騒しおさいのみだ。

 角島へ続く橋のたもとで急ブレーキを踏んだ。白い軽自動車が一台、フロントライトを点けて停まっていた。ナンバーを見ると、浅川の車だった。

 車を停め外に出た。車内では遠かった潮の香りと波音が一気に押し寄せ、感覚を圧倒した。僕の歩みは徐々に遅くなり、最後には止まった。その車はエンジン音を響かせ、海へ向けてライトを照らしていたが、いるべきはずの主はいなかった。

「浅川! いるんだろ? どこだ! 浅川!」

 叫びながらあたりを見回したが、帰ってくるのは波音ばかりだった。僕は片手で目を覆った。

 突然、羽音と共に、チチチ、という鳴き声がした。直後、右肩に小さな重みと熱が加わった。咄嗟に右肩を振り返ると、かすかな重みが消え、羽音が遠ざかっていった。

「浅川!」

 僕は叫んだ。海上に、白い小鳥の姿が一瞬現れた気がしたが、すぐに闇に呑まれて消えた。あとには暗い海面と、星々のきらめく夜空しか残っていなかった。

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