第4話
小鳥の埋葬から一週間が経った。
「今日は、新しい仲間が加わることになった。紹介しよう」
朝礼が終わると思われた矢先にそんな言葉が製造課長から発せられたので、僕は顔を上げた。
「浅川くん、入って」
大部屋の入口から入ってきた新入りに向かって、部屋の中に座った三〇人ほどの視線が集中した。
「
長身痩躯の若い男が立っていた。僕らと同じ青い上下のツナギを着て、白く脱色した髪をマッシュにしている。
「製造部に入る予定です。宜しくお願いします」
浅川はそう言って薄く笑った。不可解な笑みだった。僕は何かが胸の奥につかえたような違和感をおぼえた。
「では今日も一日、ご安全に!」
いつもの締めの言葉の後、製造課長は僕を部屋に呼んだ。
「榎本くん、君に浅川くんの教育役をやってほしい」
「え、僕がですか?」
急な話に思わず高い声が出てしまった。
「ああ。君は飲み込みが早い。製造も既にベテラン三人と同じくらいの腕だと聞いている」
「いやいや、そんなことないですよ」
「君の成長のためにもいいと思うんだ。頼むよ」
製造課長は僕の肩を叩いて言った。断れるはずもなかった。
「榎本と呼んでくれ。宜しく」
「浅川っす、宜しくお願いしまーす」
外見も言葉も軽い奴だな、と思った。良い印象とは言い難い。僕の表情からそれを読み取ったのか、浅川は取り繕うように媚びた笑みを浮かべた。
「いやーしかしここ暑いっすねー。しんどくないすか?」
「そのうち慣れる」
後田さんが真顔で言うと、浅川は再び媚びた笑みを浮かべた。
「え、そうっすかね? 俺、慣れる気しないっすよー」
「そんなもんそんなもん、新人がんばれよぉー、あくせく働け!」
浅川が一瞬、林田を睨んだような気がして、僕は思わず彼の顔を見やった。しかしその時には既に彼の顔には笑みが浮かんでいた。
「もちろんっすよ、先輩!」
どうやら前途多難らしい。
「やっぱ暑いっすよー」
乾燥室の切り替えを終えた後、浅川はそう愚痴をこぼした。
「餌を乾かすための装置だから当前だ」
浅川は深いため息をついた。どうやらかなりの軟弱者らしい。
「これから毎日やるんだぞ。慣れろ」
浅川は憂鬱そうに頷いた。憂鬱なのはこっちだよ、と胸の内で呟いた。
定時になるまで浅川に付いて回り業務について教えたが、浅川からのリアクションは常時薄かった。やる気が感じられないのだ。教えているこちらが苛々してくる始末で、精神衛生上悪いことこの上ない。
定時になった瞬間、浅川の表情が生き生きと輝いた。次のシフトの人へ引き継ぎ事項を伝え、じゃあ上がるかと言うと、今までで一番大きくはっきりした声で挨拶をよこした。
「お疲れ様でした!」
備え付けの浴場で体を洗い、染み付いた餌の臭いを流した後、浅川はすぐに工場から出ていった。
「榎本、ちょっといいか」
風呂に入った後、更衣室で新しいシャツに着替えていると、後田さんに呼び止められた。
「新人はどうだ? かなり手強そうだな」
「そうですね。中々言うことをきかせるのは難しそうです」
「舐めてるだろあいつ。俺はあいつ、ダメそうな気がするわ」
何かあったら言えよ、と言葉を残して、後田さんは帰っていった。
三ヶ月が経った。季節は夏、七月の半ばになっていた。
浅川は全く使い物にならなかった。仕事を任せようとすると自信がない、わからない等と言って逃げ、業務は同じシフトの同僚に任せっきり。そのくせ仕事を覚えようという素振りがなく、質問したりメモを取ったりする様子がない。
それだけでなく、勤務中は終始憂鬱そうで、周囲の士気を下げた。当然、後田さんと林田からの評価は悪く、無視されがちだった。
ある蒸し暑い夏の夜だった。僕は浅川と二人で夜勤に入っていた。最初の製品の製造を無事に終えて、浅川を製品の切り替え時の清掃作業に行かせた。次の製品のために発泡機の製造条件をいじっていると、ドアの開く音がした。
振り向くと、詰め所の外の暗闇から、黄色いヘルメットを被った浅川が姿を表し、明るい詰め所に入ってくる所だった。
「榎本さん、この仕事、臭いし暑いし最悪っすね」
浅川は不機嫌そうな表情を隠そうともせずにそう言った。その日、僕は苛立っていた。それは猛暑のせいだったのかもしれない。僕は珍しく浅川に突っ掛かった。
「その仕事で食えてるんだ。ごちゃごちゃ言わずにやれよ」
僕は語気を強めてそう言った。浅川はため息をついた。
「あーあ、早く休み来ないかな。
「山口まで行くのか?」
「あそこ景色いいじゃないっすか。一度行ってみたかったんすよ」
僕は浅川の言葉を無視した。
「榎本さん、この仕事楽しいっすか?」
「仕事に楽しさなんて必要ないだろ」僕は苛立ちを隠そうともせずに言った。「仕事はやらなきゃいけないものだ。やらないといけないからやるんだ。お前がどう感じようとな」
「俺、バンドやってるんです。ギターやってて。ミュージシャンになりたいんすよ」
そう言って浅川は鼻で笑った。僕を見下したような笑み。お前はつまらない人間なんだな、と言われた気がした。僕の頭がかっと熱を持った。
「ミュージシャン? そんな下らないこと言う前に目の前の仕事をちゃんとやれよ!」
僕はスパナを叩きつけるように作業机に置いた。金属同士がぶつかる鋭い音が響いた。脳裏に、河川敷でキャンバスを燃やした時の、鮮やかな
「この仕事でお前は飯を食えてるんだ! なのに毎日毎日不貞腐れて仕事から逃げ回って、何のためにここに来てるんだお前は!」
僕の怒声に、浅川は硬直していた。僕から怒られることを全く予想していなかったらしかった。
無言を貫く浅川に呆れて、僕はため息をついて見せた。そのまま僕は浅川を無視して製品を作る準備をし始めた。
その日の製造が終わるまで、僕たちの間には会話は無く、ほとんど顔も合わさなかった。
朝になり、後田さんと林田に製造について諸連絡を行い、その日の引き継ぎをし終えた。浅川は当然のように引き継ぎには入ってこなかった。
詰め所を出てロッカーに行くと、背後に気配を感じた。
「下らなくなんかないっすよ」
背後からの声に顔だけ振り返ると、浅川が立っていた。その目は僕を真っ直ぐに見つめていた。
「は?」
「バンドの話っすよ。下らなくなんかないって言ってるんすよ」
浅川ははっきりと言い切った。僕は体ごと振り返り、彼に体の正面を向けた。
「俺はミュージシャンになります。つい一週間前に事務所からスカウトも来たんすよ。近いうちにデビューしますから」
「だから、お前の下らない夢なんて知るかよ」
「知らないんなら勝手に下らないとか言わないでください」
浅川の
「榎本さんも夢、あるんじゃないっすか?」
咄嗟に言葉が出なかった。
「俺、何となくわかるっすよ。榎本さんはこの仕事があんまり好きじゃないって。何か、抜け殻っていうか、翼の折れた鳥っていうか、そんな感じに見えるっすよ」
頭が再びかっと熱をもった。
「お前なんかに何がわかる! 知ったように言いやがって!」
「その通りです。俺にはわかりません」
浅川の飄々とした返しに僕は言葉を失った。
「ただ俺は榎本さんが持ってる夢を応援したいだけっす。勝手な思い込みかもしれませんけど、俺、榎本さんの気持ちがわかるような気がしますから」
気がつくと、目の前に二枚の紙が差し出されていた。
「ライブのチケットです。良かったら遊びに来てください。榎本さんの折れた翼を癒してみせますよ」
僕を見る浅川の瞳に力強い光が宿っていた。
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