第3話

「夢でも見たんじゃないの?」

 小鳥を見たんですよ、と言っても森口さんは信じてくれなかった。

「はっきりとは見てないんでしょ? 消えちゃったんでしょ? ならそれは夢だ」

「いや、確かに見たような気がしたんですけどね」

「夢ってのはね、」

 森口さんは急に熱の入った口調で語り出した。いつもぼうっとしているように見える彼にしては珍しい事だった。

「追うと消えるもんなんだよ。奴らを見ることができるのは、僕らが奴らを見たいと願う時、疲れてる時、救いを求めている時だけだ。

 しかも遠くからそっと見ることしかできないものなのさ」

「そうですかね」

「そうさ」

 ふと僕の脳裏に、鮮やかな橙や黄に彩られた炎の映像がよぎった。正確にはその炎の中心、根本の部分に僕のフォーカスは寄せられていた。火種と化し、黒く炭化していくスケッチブックやカンバスに。

「……そうかも、しれませんね」

「わかってくれたかい?」

 満足そうに森口さんは言った。

「夢もそうだけれど、美しいものっていうのは、僕たちが近付くことを中々許してくれない。

 だからこそ僕らは彼らを美しいと感じるのかもしれない」

 僕は目を閉じた。今まで描いてきた絵たちをまなうらに次々と思い浮かべた。感情が溢れ出しそうになるのを堪え、何とか言葉を捻り出した。

「なんか詩的で腹が立ちますね。森口さんらしくないですよ」

「腹が立つだって? 酷いなぁ。おっと、もう少しで原料が切れちゃうな」

 森口さんは慌てて製造機の設定を弄り始めた。


 翌朝八時。仕事を終え、森口さんと別れて車まで戻ろうと歩いている途中だった。それを見つけ、僕の足は自然と止まった。

 地面に白く小さな何かが落ちていた。近寄ってみればそれは、一羽の小鳥の死がいなのだった。

 それは、雀よりも一回り小さかった。針金のように細い脚と小さい爪を除いて、全身が染み一つない純白に染め上げられていた。

「夢じゃなかったんだ」

 あくまでもそれは死がいだった。工場の中で見た、生き生きと動き、羽ばたき、チチチ、と鳴いたあの美しいけものとは決定的に違う何か。いわばこれは夢のむくろだ。夢のしかばねだ。そう胸の内で呟くと同時に自嘲した。詩的に過ぎる。これでは森口さんを笑えないじゃないか。

 ふと気付くと僕は右手で小鳥を拾い上げていた。拾い上げてしまうと、そのまま元の場所に戻すのも躊躇ためらわれた。少し考えた後、車へ向かった。

 車の後部ドアを開けたところで、光るものが視界に入った。手に取ってみるとそれはペインティングナイフだった。幾重いくえもの色が折り重なり、複雑なグレーに染まった柄と、シルバーのブレード。それらをしばらく見つめた後、ポケットに入れた。車内に置いている小さなスコップを左手に持ち、トランクを閉めた。

 右手に感じる小さな重みに気をやりつつ、工場の敷地内にある小さな植え込みへ向かった。刈り込まれ、青々と繁ったまめ柘植つげの根本にしゃがみこみ、小さな穴を掘る。黒土から成った穴の底に、小鳥の小さく白い身体をそっと横たえた。


「さよなら」


 僕はそう呟いてから骸の上に土をかぶせた。ペインティングナイフをポケットから取り出し、その上に置く。

 黒い土の上で、ペインティングナイフがきらきらとひかって見えた。夢の屍を弔う墓標というわけだ。

 僕は立ち上がって、しばらくその小さな墓を見下ろしていた。脳裏に小鳥の羽ばたく姿がちらつき、すぐに消えた。

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