第9話
「極短時間の間に脳と肉体へ過剰な負荷がかかり、それが極度の緊張状態からの解放で一気に襲いかかったっつーわけね。大丈夫、命に別状もないっつーことだし、時間が経てば目覚める」
救護室の長であるカーリンがキズナにオウマの容態を説明する。
「そうですか。よかった」
それを聞き、未だ眠るオウマの傍らでキズナはひとまず胸をなで下ろした。
消毒液と湿布の香りが漂っている。部屋にベッドは四つあり、その一つ一つがカーテンによって仕切られている。
オウマはあの後、キズナらに運ばれてこの救護室で寝かされていた。
「これがほんとの知恵熱っつーことなのかね。」
カーリンは手元の資料に目を落とし、くつくつと笑う。自分の冗談が笑いのツボを刺激したのだろう。怪我人の手前、誠に不謹慎だ。
「クック……。うへ、何にせよ、彼が起きたら伝えておいてやってくれ。特にどっかの病院に紹介状したためたり、この病室で一晩を過ごす必要は無い。てきとうな問診だけするから、それが終わったら帰っていいっつーこと」
「わかった。ありがとう、カーリン」
「いえいえー。じゃあ私はメシ食べてきまーす」
立ち上がったカーリンは、後ろ手をひらひら振って救護室を後にした。
「よかった」
キズナはオウマのベッドの横に設置した簡素な椅子に座り、一つ安堵の息を吐いた。
「……寝てるところ申し訳ないけど。キズナ、お邪魔するよ」
カーリンと入れ替わるように、二人の男女が入室する。
猫背の少年と白髪の女性。キズナ達の直前までトレーニングルームを使用していた二人だ。
猫背の少年、レターは共に入室した白髪の女性、ツムギの陰に隠れて恐る恐る進む。
「あら。レター、ツムギ、お疲れ様」
キズナは付近のオウマを起こさないよう、極力静かに言葉を交わす。
「二人とも、さっきは凄かったわよ。特にレター。ツムギの攻撃を捌けるようになってるじゃない」
「それはツムギさんの手加減もあったからだよ。キズナに比べたらまだまだ全然」
「そりゃ私だって努力してるんだし、そう簡単には追いつかれないわよ。……それで、どうしてツムギの後ろに隠れているの?」
二人の間に挟まれているツムギは何も言わないまま無表情で虚空を眺め続けている。
レターはそんなツムギの肩口から子を恐る恐るといった表情でキズナに話す。
「いやそれは、その……。貸してもらってる二万がまだ返せそうになくて……。今日までって言ってたけど、もう少しだけ待っててくれないかなぁって」
「ああ、そういえばそうだったわね。……まぁわかったわ。待っててあげる」
「ほ、ほんと? ありがとう」
レターは顔をほころばせてツムギの背後から出てくる。
「ただし当然だけど、二万返してくれるまでは追加で貸さないからね」
「うっ……。わ、わかったよ。じゃあツムギさんから――」
「キズナに返し終わるまで、私も貸さない。ふふっ」
唐突に巻き込まれたツムギだったが、軽い笑みをレターの言葉に被せるように返す。
「う、うぅ……。……あれ? 眩しい」
時間の経過、それに加えてレターの悲しみの叫びを原因として、オウマはゆっくりと目を覚ました。
「あら、もう起きたのね。おはよう、オウマ君」
「お、おはようございます」
「最初に言っておくけど、落ち着いて聞いて。この世界にいきなりドームっていう正体不明の現象が現れたことも、そんなドームを貴方が使えることも、全部夢じゃないわ」
「じゃあ刃物持った女性に追い回されたのも、夢じゃないんですか」
「それは夢よ」
ひとまずはオウマが、お寝ぼけから覚めるのを少し待つ。
「いい? 今日のことをざっくりまとめると――」
それからキズナはオウマの夢と現実を整理するために、二人の出会いからオウマが倒れるまでの過程を軽く説明した。
その間、ツムギは壁の染みをぼーっと見つめ、レターは会話に混ざれなくなったためツムギの陰でおどおどとキズナへ視線を向けていた。
「――で、オウマ君は私に挑んだけれど、結局無茶が続いていたから意識を失って倒れたの」
「ありがとう。それじゃあ、そこにいる二人とキズナが俺を運んでくれたんですね」
オウマはレターとツムギに向かって頭を下げた。
「いいえ、二人は今来たところ」
「あ、そうだったんですか」
「ごめん、紛らわしくて」
レターは謝罪に乗じてそのまま自己紹介を続ける。
「……えっと、はじめまして。僕はレター=バックラー。こっちの白っぽいお姉さんは白林ツムギ。僕たち二人ともキズナのチームメイトです」
「はじめまして」
無表情でオウマを見つめるツムギに代わり、レターがまとめて紹介を済ませた。
「はじめまして、水橋オウマと申します」
「そういえば、レターとツムギはどうしてここに来たの? オウマ君と面識なかったみたいだし、お見舞いじゃないわよね」
「ううん。お見舞いだよ。僕ら、というよりツムギさんが、ドーム使い始めて数分の人がキズナに一撃当てるなんて興味が湧いたって」
「へぇ。私達のこと観戦してくれてたのね」
「資料は多いに越したことはないから」
「僕とツムギさんが今日来てたのも、資料を集めるためだからね」
「レターのおかげでいい資料が得られました。ありがとう」
「この程度ならお安い御用だよ。それに、ラーメン奢ってくれるんでしょ」
「……それで」
ツムギがずずいと顔をオウマへ寄せた。
「どうして貴方はキズナの初撃を防げたの? 何か特別な訓練経験はある? 才能の問題? それとも遺伝? 聞かせて」
「ひぇ」
オウマの引きつった喉から小さく声が漏れた。
「ツムギさん、オウマさんが怖がってるよ」
興味津々で顔を近づけるツムギを、レターが後ろから肩を持ち引き離した。
「わわ。……いきなり引っ張られたら危ない。むう」
「あー、ごめん」
ツムギは軽く頬を膨らませて、レターの肩をぺしりと叩く。
「ご、ごめんってば。……で、でも実は、僕も聞きたかったり。あのキズナに決闘を申し込んだんだもんね」
「あのキズナって、どういうことですか?」
「ここで一番強いって意味だよ。ツムギさんにさえ一方的に勝てるキズナに一発入れたんだから、もう少し時間が経てばセンター内の噂の的になるよ」
「一番って言っても……」
オウマは傍らに座るキズナに視線を送る。謙遜を求めていたのかもしれない。ガタイ、能力の派手さ、何よりそんな人が簡単に自分の喧嘩を買ってくれるとは信じがたく、半信半疑であった。
しかし、返ってきたのはウインク一つ。沈黙は肯定なり。
「で、でも」
求めていた謙遜が返ってこなかったのなら、自分で抜け道を作る。キズナは言っていた、手加減はすると。
「キズナも手加減してくれていましたし」
「ツムギさんはともかく、僕は手加減されても手も足も出ないよ」
オウマは、さっきモニターで観たレターらの戦闘を思い出す。弱いだとか未熟だとか、とてもそんな評価を下せるような動きではなかった。
ロケットのように突っ込んでくる人間のデタラメな攻撃を、自身の背丈ほどの大きな剣を使って防ぐ。並大抵の人間では真似などできるはずもない。
「こっちのは当たらないのに、キズナの攻撃はどう躱しても先回りされて追撃される。パンチを空間に設置しているみたい。無理」
ツムギが緩く首を振り、キズナを評価する。レターとツムギ、どちらから話を聞いてもキズナには敵わないという空気だけは一致していた。
「私はみんなのリーダーだからね。不甲斐ないところを見せるわけにはいかないの」
「という風にキズナは負け無しだからさ。挑んだこともそうだけど、オウマさんのドームを使うセンスの高さに僕ら二人とも驚いているんです」
「センスだなんて、そんな。ドームのこともよくわかっていないのに、そんなものはないですよ」
「そんなことないわよ。オウマ君は私が見つけたの。だから君にはとびきりの才能があるわ」
言ってキズナは立ち上がり、オウマの正面に立つ。
「だからそのとびきりの才能を、この州唯一の対ドーム事件専門実働部隊である、私達のチームで活かしてくれませんか」
キズナはオウマに向かってそっと手を差し伸べる。強引に、大胆に、輝く舞台への切符を示す。
「……とびきり、ですか」
オウマは差し出された手とキズナの顔を見つめる。
人の温もりが苦手、故にこれまで他人と長く付き合えたことはなかった。せっかく掴んだ友人も、恋人も、結局最後は互いに険悪になり別れ去る。
別に理由があって苦手になったわけではない。ただなんとなく嫌だったのだ。
オウマ自身、それが水橋オウマという人間なのだと諦めている。
隣の席の子が落とした消しゴムを拾うことも、お年寄りの荷物を代わりに持つことも、迷子に道を教えることもせず、誰とも噛み合わない空虚な歯車として人生を全うするのが水橋オウマなのだと。
だから、ここがチャンスだ。
他人を遠ざけていた自分から、他人に感謝される自分になるためのチャンスなのだ。
隣の席の子が落とした消しゴムを拾い、お年寄りの荷物を笑顔で代わりに持ち、迷子に丁寧に道を教えて、あわよくば、こんな自分のタチを変える。
今、目の前に差し出されているキズナの手を掴むことにも、若干の抵抗はある。
「わかりました」
しかし、オウマは歪みそうな顔を必死に笑顔へ矯正しながらキズナの手を取っていた。
「これから、よろしくお願いします!」
いつかこの手を普通に笑って握れるようになるために。
オウマは彼女らの世界へ飛び込むことに決めた。
「パーフェクト!」
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