第8話

 キズナは浅く一つ息を吐く。やらなきゃ進まない気が進まないイベントに対し、やれやれと諦めをつける。

 そして腰を回し軽く跳ね体を温め始めた。

「ありがとうございます。じゃあ早速ですが――」

 オウマは離れた位置のキズナへ向けて掌をかざす。

「ただし、やるからにはちゃんとやるわ。加減はするけど手は抜かないからッね!」

 前方に手をかざしていたオウマの言葉を遮りキズナは駆け出す。

 開始と同時に衝撃を発させる、そんな不意打ちの先手を狙っていたオウマの出鼻をくじく。

「先手なんて取らせないわよ。目標はずっと私のターン!」

 キズナはひとまずオウマの懐を目指す。今はまだキズナのドームは展開していない。今のキズナは能力を使える下地の部分が整っていないのだ。人間単体が相手を叩く大前提としてまずは拳の届く距離に入り込まねばならない。当然キズナも例に漏れれずである。速力の強弱やジグザグとしたルートでオウマの狙いを適度に逸らしながら、キズナはオウマの元へと全力で走る。

「そ、そんないきなりはじめるなんて、……卑怯じゃないんですかっ!?」

 オウマは自分のことを棚に上げ、軽く言葉を返しながら地面のいくつかの箇所に注意を向ける。

 もしこちらへ向かってくるキズナがたまたまでもその箇所を踏めば、かなり優しめの衝撃が地雷のように炸裂する。

「弱めでも、当たってくれればよろけはするはずです。……当たってくれればですが」

 だがそれらが発動することはなかった。キズナは的確に地雷の位置を避けて進んでくる。

 別に能力を人に向けることをオウマが無意識に避けているわけではなかった。むしろこの状況を、いまだ夢か現かはっきりと識別できているとはいえない状態のオウマは、蟻の巣に玩具の銃を向ける子供のように、倫理による躊躇いのハードルを乗り越えていた。

 それでも当たらない。それどころかオウマには当たるビジョンすら見えない。

「このままパーフェクトに決めてあげる」

 あっという間だった。地面からの見えない攻撃というおよそ有利なジョーカーを持っているにもかかわらず、キズナはあと数歩のところまでオウマに接近する。

 距離が詰まる時間の短さと経験の差が反比例して現実を見せる。

「やっぱり、まだまだ届かないみたいですね」

「ええ。そりゃね」

 狙いを逸らすための足運び、そして不可視の地雷原を突き進む突進力と決断力、なにより対ドーム使用者相手に素の身体能力だけを武器に間合いまで詰めた。

 赤子の手を捻るようとはこういうことを言うのだろう。

 敵わない。オウマはそう感じながらも自然と頬を緩めていた。

「……でも、ドームも使わずの手抜きでは勝たせませんから」

 ダンッ! と力強い音を鳴らし、オウマを腕の届く範囲へ収めようと駆けた脚ごと、キズナは宙を舞った。

・・・・・・・・・――!?

「うえっ!? いやそれよりも――『展開』!」

 キズナは素早く自身のドームを広げ、天球と右手をロープで繋げてぶら下がる。

「きちんと避けて走ってたつもりなんだけど……」

 残り三歩だった。三歩踏み出せていれば、キズナはオウマを組み伏せて、マウントポジションをとって終了のはずだった。

 相手が地面に地雷をしかけて攻撃してくるのならば、自分と地面の間に相手を挟み込んでしまえば、相手の術は防ぐことができる。

 言い換えればキズナの勝利条件はオウマに辿り着くことであった。

 けれどもゴールギリギリ、最終ラインの火事場にてオウマの一手はキズナに届かれてしまった。

「凄いじゃない」

 油断したわけではない。それでも当てられた。キズナは淡泊に、しかし気持ちは最大で賞賛を送る。

 ただ今回に関しては、キズナの読みが根本から間違っていた。

「いや、今のは俺がキズナに当てたわけじゃなくて、キズナに地面に当たってもらったんです」

「どういうこと?」

「俺のドームを何度か試しているときにわかったんだけど、衝撃は別に地面からじゃなくても出せるみたいなんです」

 オウマは自身の片足の裏をキズナに向けそこを指さす。

「だからさっきは、キズナの足の裏に意識を集中させて、地面に付いたタイミングで足の裏を爆発させたんです」

「そうだったのね」

 キズナはその冷静さを失わないまま、次の策を弄さんと片手を顎に当てる。

 内心はひどく焦っていた。

 本当に、本当に彼が悪人でなくてよかったと切に思う。

 直接目視していない足の裏を能力の出力位置に設定したのだとオウマは言った。ならば、やろうと思えば相手の人体の内部に出力位置を設定すれば、人体を内部から破裂させることもできる。

 オウマの前では、自分自身の臓器がそのまま爆弾にすり替わった状態であるといっても過言ではない。もし彼が実際にそれを実行してしまえば、たとえキズナといえども避けられない。

「名付けて『見えない衝撃』(シュアヒット)です! どうでしょうか?」

「名付け? ……必殺技ってやつ?」

「そうです。かっこわるかったですか?」

「いいえ、そんなことないわ。……ただ――」

 キズナは左腕から明後日の方向へピンクのロープを伸ばした。

「私も取り入れてみようかなって思っただけ!」

 右腕を解放し左腕から伸びたロープに引っ張られ空を進む。

 そしてそこからある程度進んだところで、今度はてきとうな地面と右腕を繋ぐ。そしてまた引っ張られ、途中で今度は上へ、引っ張られ右へ、左へ、下へ、後ろへ。狭い室内で跳ね回るゴムボールのように、キズナはドーム内を縦横無尽に飛び回る。

 オウマと距離を詰めるために地面に降り立てば、また『見えない(シュアヒット)衝撃(クエイク)』に襲われる。オウマも徐々に徐々に加減を学んできていて、次の衝撃をまともに受ければあっけなく決着してしまう危険がある。

 ならば降りない。空から叩く。

「悪いけど、勝負を決めさせてもらうわ。だから約束通り今日はこれでおしまい。いい?」

 次へ、次へと飛び回るごとにキズナは加速していく。そうして加速しながら進行方向を変えるごとに、オウマの目は追いつかなくなっていき、段々とキズナを見失う確率もあがっていた。

「ま、まだ、もう少しくらいは粘ります!」

 オウマはキズナを目で追うことを諦めた。だが、決して勝負を投げたわけではない。

 彼女がこの勝負に勝つためには、絶対の最低条件として、まずオウマに接近しなければならない。そうでなければ、わざわざ足下の見えないトラップに警戒してまで突っ込んできた辻褄が合わないからだ。

 オウマはそこを狙うことにした。キズナは必ず、オウマの体か付近の地面にロープを伸ばす。そこに一発衝撃を与えることができれば、キズナはあの速度のまま体勢を崩すことになる。そこに勝機を見いだすしかない。

 オウマは全神経を集中させ、両手の平を構える。これで掴めば、掴むことが出来さえすれば勝てる。

 最後の最後、キズナは真正面からオウマの胸元と左腕を繋げた。

「今だァッ!」

 ここから先はロープを縮めるのが先か、オウマの手がロープに触れるのが先かが勝敗の分かれ目。

 キズナの体がオウマ目がけて地面と水平にグッと引っ張られる。オウマまでの距離、秒速共におよそ五十メートル。たったの一秒で決着がつく。

 だがその一秒、正面だったこともあり、オウマの手は届く。衝撃を出すのに、時間は必要ない。触れれば勝てる。なんならこのロープを掴み、力づくで揺らしただけでも勝てるかも知れない。

 しかし、触れる一瞬前にロープが消えた。まるで今の今まで見えていたロープは緊張感がオウマに見せた幻覚だったとでも言わんばかりに。

「へ」

 速度は良好、体の進行方向も既にオウマへ向かっている。慣性に任せてしまえばもう、ロープを維持する理由はない。捕まえられる可能性があるなら、尚更のこと繋ぎ続けることは避けるべき。

 それにより迎撃が空振りに終わったオウマの耳にキズナの声が届く。

「『電光(でんこう)石火(せっか)』!」

 文字通り目で追うことも難しいほどの速度に身を任せた超速の体当たりで接近し、キズナはオウマを拳で叩いた。

 ドン、という鈍い音がオウマの全身に響く。

 キズナなりに加減した一発。だが勝敗を付けるのにはそのたった一発で十分だった。

「かっ、は……!」

「パーフェクト! ……って言いたいところだけど、……ずっと私のターンってわけにはいかなかったし、今回はお預けかな」

 キズナは二度三度適当な方向にロープを伸ばし、今度は先ほどとは反対に徐々に減速させ、そのままオウマの元へ向かう。

「どう、オウマ君。気は済んだ?」

「はい、……付き合ってもらってすみませんでした」

 オウマは数度、咳をしつつ続ける。最高にハイだった状態から、今の一撃で正気に戻ったようだった。

「そういえば、……ドームってどうやって解除するんですか?」

「それについては簡単よ。リラックスすればいいわ。そうね……。しゃっくりを止めるときや眠りにつくときのような無風の心を……って、そうよね。オウマ君の場合、私が近くにいたら駄目よね。今離れるわ」

「そうですね。そうしていただけるとありがたいです」

 オウマはそう返し、愛想のためにへらへら笑う。

 そんなオウマから離れるためキズナが振り返った途端、今の今まで部屋を包んでいた水のように青いドームが解除された。

 近くに人がいる状況に緊張を覚えると言っていたオウマから、まだ十分距離をとっていないのにドームが解除されたことをキズナは不思議に思いはしたが、視線を外したことが緊張を解くきっかけになったのだと自己解釈し、オウマに向き直った。

「離れなくても大丈夫そ、うだった……みたい? オウマ君」

 オウマの体が不規則に揺れる。

「どうしたの……? ……まさか」

 オウマはそのまま音もなく後ろへと倒れ込んだ。

「危ない!」

 後頭部を地面に強打するすんでの所でキズナは彼を抱え込むことに成功した。

「ねぇ、オウマ君!? 大丈夫!? 大牧さん! 観てるわよね。急いで救護室に伝えて!」

 オウマは意識を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る