第6話

「着いたわ。ここが地下五階、センターのドームトレーニングフロアよ」

 『センター』地下五階、ドームトレーニングフロア。全体的に無味な白を基調に構成されている。何も知らずに迷い込んだならば、どこかの研究室かと見まごうことだろう。

 この階層に設置されている部屋は大きく三つある。

 一つは使用者控え室。その名の通り、このフロアの使用者が使う控え室である。ロッカー、給水所、購買所などで広く浅く使用者をサポートしている。

 次にドームトレーニングルーム映像記録管理室。トレーニングルーム内部に設置されているカメラからの映像を全て記録・管理しており、記録の閲覧許可やスポーツ科学などを用いた使用者の分析などを行っている。

 そして最後の三つ目が、このフロアの大目玉であるドームトレーニングルームである。強い衝撃だけを吸収する素材で全面覆われた、白い箱型の部屋。一見するだけでは、気が狂いそうになるほど何もない部屋である。

「……でも、まだ使ってるみたいね。丁度良いわ。管理室で待ってましょう」

 キズナは廊下を進んで左の扉を開ける。

「大牧さーん。予約していたキズナでーす。待ってる間、中の映像見にきました」

 部屋には数台のコンピュータ機器と壁掛けホワイトボードが設置されている。また隅の方には、小型の冷蔵庫とこたつが郷愁に駆られるい草の畳六枚の上に置かれていた。

 しかし何より目を引くのは、正面にある大きな九つのモニターである。トレーニングルーム内の各所に配置され、リアルタイムの映像を出力し続けているその画面は、一つ一つがキズナの身長よりも遙かに大きく、九つ集まることでまるで映画のスクリーンほどにでかい。

「ああキズナ。早かったですね、もう来たんですか」

 そのときこたつの中から、茶色いオールバックの男性がひょっこりと顔を出した。

「ええ、ゆっくり見ていくといいですよ。ああそうだ、お茶いりますか?」

「ありがとう。でも今はいらないわ。あと少しで入れそうだし」

 言ってキズナはモニターに目をやる。

 画面の向こうでは大剣を構えた猫背で小柄な少年と、腰まである白くて長くて癖のある髪の女性が映っていた。

「はぁ……、はぁ……、次が最後だよ」

「わかった。うん」

 最初に動き出したのは白髪の女性の方。地面を一度だけ蹴り、猛スピードで猫背の少年へ突っ込んでいく。およそ人間に出せる速度でないことから、彼女も何らかのドームの能力を使用しているのだろう。

「りゃあ!」

 対して少年は、突っ込んできたタイミングに合わせて大剣を水平に薙いだ。小柄な体格に似合わない豪快な動きで大きな剣を振るう。

 女性は跳躍することでそれを躱して、少年の頭上を通り過ぎる。

「次」

 そのまま空中でひらりと身を捻り、着地と同時に再度少年へ向けて走り出す。そして女性は拳の間合いまで入り込み、一撃二撃と拳を打ち出した。

 女性の型は滅茶苦茶で、とても拳に体重を乗せられる打ち出し方ではない。しかしそれでもその凄まじいスピードたるや、目視できるのもやっとの速度である。

 少年はギリギリのところでその拳を大剣の腹で受け止める。

「くっ、うぅ。も少しゆっくりってのは駄目なの?」

「駄目」

 女性はさらに続けて蹴り、左フック、右フック、かかと落とし、膝蹴り、右ストレート―。

 ズドゴガガギズドバババガと豪快な音を鳴らし、目にも留まらぬ速さで攻撃を繰り出し続ける。

 隙だらけな攻撃順序であるはずなのに、全ての動きが速すぎて少年は反撃に繰り出すことはできていない。

 だが防戦一方だった少年が動く。連撃が速すぎて、まともに切り返すことは不可能。ならばとばかり、数秒間だけ防御を捨てて少年は剣の腹を女性の目の前へ突き出した。横幅三十センチ超えの大剣は女性の視界の全てを奪う。巨大な剣を盾に見立て、さらにはそれで目隠しを行った。

 それにより女性の攻めが止まる。

「チャンスだ」

 少年はパントマイムの要領を用い、片手だけで空に大剣を固定したまま女性の懐へと回り込んだ。視界を奪った上、この位置からならば、蹴りでもタックルでも女性の鳩尾辺りへのクリーンヒットを狙える。

「チャンスだね。うん」

 相手の攻撃が迫る中、白髪の女性は迫る少年を無視して頭を大きく後ろへ振りかぶる。

 女性の頭突きが金属の大剣に振り出される。

「ま、まずいっ……!」

 気づいたときには時すでに遅し。

 ガッッギィィィィィイインと甲高い音を響かせて少年が掴んでいた大剣が遙か後方へ弾き飛ばされた。

 少年は武器を失い体勢も崩す。少年の敗北が決定した。

「……でもまぁそりゃそうだよね。降参だよ」

「ぶい」

 大剣が地面に叩きつけられた音を合図とするかのように、二人のドームが解除されていく。

「そろそろ二人も出てくるみたいだし、次は私達の番よ。行きましょ」

 キズナがオウマをトレーニングルームへ促す。

 オウマはキズナのその数歩後ろにつき、トレーニングルームへと向かった。

 ふとキズナの目にオウマの顔が入る。

「どうかしたの? オウマ君」

 視線を下げ沈んだ面持ちで歩くオウマに、キズナが声をかけた。

「……あ、いいえ。なんでもないんだ。ただ、さっきの映像を観て本当に、俺もあそこに入って良いのかなって思ってしまって」

 問われてオウマは応える。別に許しがほしいわけではない。ただ単に観劇者であった自分が壇上に上っても良い物かと逡巡してしまうのだ。

「第一俺は、ドームを使えるわけでもないし」

「いいえ。使えるわ」

 キズナはそんなオウマの言葉に対して、事実の誤りだけに言及した。

「いい? ドームの発現っていうのはね、言ってみれば卵の孵化と同じなの。早く孵る卵もあれば遅く孵る卵もある。実はドームは皆が持ってるものみたいなの。ただ私達の卵は孵るのが早かっただけよ」

 そしてキズナはトレーニングルームの扉の手前で立ち止まり、体の正面をオウマに向けた。

「そして、今日はあなたの卵が孵る日よ」

 キズナは胸元を指し示し、柔らかく告げた。

「先に入って待ってるから、心の準備ができたら来てちょうだい」

 キズナはトレーニングルームの扉を開く。

 いわばここは境界線。これまで通りの日常と、常識の外側の世界とを明確に分かつ扉。

 この扉をくぐった先では、これまで自身が培ってきた想像力の何倍もの規格外が現れる。そんな境界線。

 今ならまだ、逃げるも断るもできる。

「いえ」

 オウマは一つ大きく息を吸い、軽く吐く。

「もう大丈夫です。行きます」

 オウマは振り返らずに言い放った。

「ふふ、よかった」

 そして二人は記録管理室を後にし、トレーニングルームへと向かった。

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