第5話

「おかえりなさい、キズナさん」

「キズナ、ただいま戻りました」

 センターに入ってすぐの受付にいた男性に、キズナは軽快な様子で挨拶を送った。

「そちらは水橋オウマさんですね。お手数にはなりますが、こちらの来訪者リストにサインをおねがいします」

「わかりました」

 オウマは自身のカバンからペンを取り出し、来訪者リストに名前を書く。

 その間にキズナは受付の男性に尋ねる。

「ねぇ。今ってドームトレーニング空きあるか聞いてくれない?」

「かしこまりました。…………こちらエントランス。現在のドームトレーニングの空き状況はどうなっていますか? …………はい、わかりました。ではそのように伝えます。……現在一組が使用中ですが、少し待てば使えるようになるそうです。予約をしておきますか?」

「ええ、おねがいするわ。ありがとう」

 受付の男性は手元の端末を操作し、地下五階のドームトレーニングルームの予約欄にキズナと記す。

 オウマはそんな一連のやりとりが終わった頃を見計らい、リストを返却した。

「書きました」

「お手数おかけし申し訳ありません。ありがとうございます」

 そうして受付の見送りを背に、オウマはキズナについて広いビル内を歩く。

「……こほん。それじゃあ改めて」

 センターのエントランス中央で、キズナは両の手をいっぱいに広げた。

「ここがこの島のドームについての治安維持を担っている、通称『センター』よ。貴方の返事がどっちであっても、『センター』はオウマ君を歓迎するわ」

 数階分の吹き抜け天井、建物の外装を覆うガラスに、あちらこちらに点在している観葉植物、奥に見えるエレベーターへと続く道には駅で見るような改札らしきものが設置されている。

 それらの合理性と洒落たセンスが合わさることで、この場所は見る者にオフィスビルを彷彿とさせた。

 唯一オフィスビルと異なる点を挙げるとするならば、行き交う人波に老若男女の垣根がないことだ。

「早速だけど、私達はエレベーターで移動するわ。付いてきて」

「俺、エレベーターは苦手で……。できれば他の方法を使いたいです」

「そう、わかったわ。だったら、階段を使いましょうか」

 キズナはエレベーターから離れて、脇にあった階段で地下へと下り始める。

「……こんなに高いビルなのに、下るんですか?」

 オウマはその少し後ろからついて行く。

「そうよ。このビルのフロアは大きく二つに分類されていてね。地上より上は資料の管理や会議室、後はドーム使用者の交流部屋とかの一般人向けのフロア。そして地下は実践的にドームを使えるひろーいフロアやドーム事件に対する管制室とかの正義の味方のためのフロアで造られているの」

 キズナは立て板に水のごとく、つらつらと言葉を並べる。センター設立当初から所属している彼女にとっては、朝飯前のことであった。

「管制室なんて、ドラマの世界みたいですね」

「ふふ、でしょ。でもま、今回私達が向かうのはドームを使うためのひろーいフロアの方になるわ。管制室はまたの機会ってことにしておいて」

 キズナは綺麗な白い階段を、こつこつ鳴らしながら下る。人気がないせいで、音が静かに反響した。

 広いフロア。それはさきほどキズナが受付と話していたドームトレーニングフロアのことである。フロアの体積およそ二一〇万立方メートル、展開したドームがちょうどよく収まる大きな部屋。ドーム使用者はここで、周りの目を気にすることなくドームを使った演習ができる。

 ちなみに、申請すれば誰でも使用可。

「結構高さもある部屋だから普段はエレベーターを使って向かうんだけど、たまには階段も使ってみるもんね。改善点が見えてくるわ。ありがと、オウマ君」

 キズナは壁をこつこつ叩いて、ちょっと殺風景だし、と呟く。

「いやそんな。ただ僕は、……狭い空間が、…………というより誰かと密接した状況が苦手なだけなんです」

 オウマは肩をすくめて絞り出すように微笑んで応えた。

 途端、彼の頭に後悔が浮かぶ。今の言葉は失言であったと。

 彼は普段、こんなことを積極的に口に出すことはない。彼は普段、その不快感を心の内に押しとどめ、無理矢理創った愛想笑いで乗り切ることにしている。

そうでないと、誰も何も成し得ないまま、ただただ皆に空虚さと不快さを募らせてしまうだけだったから。

 これまでオウマのその気質を知った相手は、治療を試みる者、理解に努める者、理解を求める者など多々様々なアプローチを行ってきたが、その誰一人ともオウマの不快感を拭うことはできなかった。それどころか、アプローチそのものを嫌うオウマを相手に、結局最後は諦めの言葉と恨み言を置いて去ってしまう者がほとんどだった。

「あー、確かにエレベーターは狭いものね。一人用ってのも必要なのかも。……あ、じゃあ私はもうちょっと離れて歩いた方がいい?」

「え。あ、はい。おねがいします……?」

「わかったわ」

 だからキズナのように、自然に個性として受け入れてくれる人ははじめてだった。

 キズナとオウマの階段差が一つ二つと大きくなるたびに、オウマは心の不快感が薄れてゆくのを感じる。

「これくらいでいいかしら?」

「はい、……ありがとう」

「お礼言われるようなことでもないわよ」

 キズナは振り返り、ニッと微笑む。

「そんなこと、ないですよ」

 同じ卓で飯を食らう、互いの手を包みあう、ハグをしながら唇を触れあわせる。思い浮かべるだけで、オウマは丹田の辺りに言いようのない澱みが積もっていくのを感じてしまう。

 いつからそれを感じ始めたかも、いつから改善を諦めたかも、いつから治せないものなのだと開き直り始めたかも彼は忘れてしまった。

 それでいい。生きづらいけど、なんとかやっていけることはこれまでの人生でわかっている。

…………それでも、できることなら――。

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