第3話
「どう? これが私のドームで使える能力。私のこれは、先端だけに蜘蛛の糸のような粘着性があるの。だから、遠くの物にはりつけることができる」
キズナはそこから次から次へと能力で生み出したそれを伸ばして、大空と大地を自由に飛び回る。
「そして――」
「てめええぇえぇえぇぇぇええ!! おちょくってんのかああぁあぁぁぁあ!!!」
キズナの言葉をかき消すように、ひどく怒気に塗れた声が地上で轟く。
さっきの悪漢の声だ。
少しだけ待ってと言ったはずなのに、言った本人は楽しそうに宙を飛んでいる。オウマは気づけなかったが、キズナは何度か悪漢の視界に入るなどしておちょくってもいた。
やりすぎてしまったなとキズナは心の中で反省する。
「――はぁ。しょうがないわね。先にあの人の方を片付けてくるわ。それが終わったら、私がどういう立場でオウマ君の元へやってきたか教えてあげる」
少し面倒そうに息を吐き、燕のように舞っていたキズナは大事な授業を途中で区切らねばならなくなった眼下の原因を見据えて、着地の狙いを定める。
そして、マンションの壁やドームの天井に能力を伸ばし、加速と減速を器用に使いこなしてキズナは悪漢の目の前に降り立った。
「そっちが少しっつったんだ。約束は守れよ、約束なんだから」
「そうね、悪かったわ。できるならお詫びの品を贈ろうかと思ってるんだけど」
「ああいや、そういうのはいい。こっちもいきなり怒鳴っちまったからな。お互い形だけの謝罪で済ませようや」
「あら、ありがと。優しいのね」
「そうでもねぇさ」
冷たいにらみ合いとは裏腹に、柔らかい言葉の応酬が続いた。嵐の前の静けさ、まさにそんな表現がしっくりくる。
「あぁでもそうだな」
そんな空気を先に破ったのは悪漢のほうであった。
「姐さんに言われてんだ。水橋オウマを連れてこいってな。だから、そっちに詫びる気があるなら、……あいつを渡してくれや」
低く唸るような声で悪漢は凄む。ひ弱な男子大学生程度なら、これだけで腰を抜かしていただろう。
しかしキズナはそんな圧などものともせず、涼しい顔で返す。
「でもあなた、オウマ君と関係も面識も全くないんでしょ? さっきの様子を見ても、オウマ君はあなたに怯えきっていた。だったら私は、正義の味方として了承できない」
「そうかよ」
「今回は諦めて、その姐さんって人のところに帰りなさい」
「そいつはできねぇな。ウチの姐さんはおっかないんだ。怒らせたくない。だから――」
「だから?」
そこで悪漢は右脚で力強く地面を踏み込んだ。
「チカラヅクで連れて行かせてもらうからなぁ!」
直後、大空を覆っていた薄いピンク色が別の色へと侵食されていく。
「……これは、上書きされてる!?」
オウマが辺りを見回し、絶望を混じりの驚きを見せる。
「いいえ違うわ」
しかしそれをキズナは否定する。
「混ざり合ってるの。私とあの人が同時にドームを作っているから、二色が混ざり合った色になっている」
空を覆うドームは一回り大きく広がり、薄いピンク色から炎のような赤へと変化していく。
「てめぇを退かせれば、オウマは元通りフリーになる! 悪いが話し合いは終わりだ!」
言うや否や悪漢は拳を握りキズナへ真っ直ぐ突っ込んできた。
「先に首突っ込んできたのはそっちだからな! 泣き言言うなよ!」
「言わないわよ」
悪漢は右腕を大きく振りかぶり、キズナの胴を狙って拳を打ち出す。キズナの顔ほどもあるその拳をまともに受けてはかなりの痛手となるだろう。
しかしキズナはひらりと身を翻し拳を避ける。その後も二発三発と連打が続いたが、どれも直線的なパンチばかりで、一度もキズナに当たることはなかった。
悪漢は数歩後ろへ下がり体勢を立て直す。その息はすでに少し上がっていた。
「なに? もしかして威勢だけ? まぁいいわ。今度はこっちから行くわよ」
「ふぅ。ああいいぜ。……これるもんならな」
「?」
悪漢が汗を滴らせながらも不適に微笑む。
安い挑発だ。何か策があると思わせることで、上がった呼吸を整えるための時間稼ぎがしたいのだろう。
そう考えて突撃していれば、キズナの敗北となっていた。
駆け出すのを思いとどまったキズナと悪漢の間の地面から、突如二メートルはあるオレンジ色の火柱が噴出する。
「あっつい!」
それは見せかけやホログラムなどではなく、実際に温度を持った炎。地面がアスファルトで舗装されているからよかったものの、草原でこの悪漢とやりあっていたら、辺り一面火の海となっていた。
「火なんて危なっかしいもの使うなんて、殺す気なの?」
「どうだかな。だが、てめぇもこれで理解したよな。俺は炎沸き立つ場を生み出したんだ。次はどこから吹き出るだろうな」
悪漢は再度拳を握った。
「ここら一体危険地帯だ! ウェルダン一択、こんがり焼いてやるよ!」
「……一応、もう一度聞いておくんだけど。オウマ君を諦めてくれるつもりは、ないのよね?」
「ねぇな!」
「そう、残念」
キズナは悪漢のその答えを聞くや否やドームの天井に向かってピンクの綱を打ち出し、空へ飛んだ。
「地上が危ないなら」
次にそこから悪漢の胸元へ能力の先端を張り付かせる。
「空を使えば良いだけよ!」
悪漢はさっき、炎が沸き立つと表現した。渦巻くでも乱れるでもなく沸き立つと。
だったら、どこから沸き立っても関係ない空中はこのドームの中では安全圏となる。
「あん? なんだこれ!? 剥がせねぇ!」
悪漢は両手でぐいぐいと引き剥がそうと力を込めるが、キズナの綱が離れる気配はない。
「よそ見してていいの?」
「なんっ……だよっ!」
両の手は緩めず顔だけ空へ、空にいるキズナへ向けた。きちんとその眼でキズナを捉えていたはずだった。
だが胸に張り付けられた綱を頼りに、目にも留まらぬ速さで落下してくるキズナには対応出来なかった。
キズナの拳が悪漢の顎を捕らえる。ゴッッ! と固い物がぶつかり合う音が響いた。
「な、……がぁ」
悪漢は白目をむき、力なく膝から前方へと倒れ込む。空を覆っていたドームも赤から、元の薄いピンクへと色が変わる。
「……パーフェクト!」
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