第2話

(ここまではパーフェクト。後は適度な身体接触があれば信頼してくれそうね)

 キズナはオウマに向かってそっと手を差し伸べる。起き上がりの補助としてでも手を取ってくれればキズナの思惑はまた一つ達成される。

されるはずなのに。

「あ、ありがとう……ございます」

 オウマは礼だけ述べて手は取らなかった。未だ立ち上がる素振りはないところをみるに、まだ腰は抜けたままのようだが。

「どうしたの? 立てないなら、ほら。私の手を取って」

「い、いやぁ、ははは。大丈夫です。もう少し待てば立てるようになると、思うんで」

 彼はバツが悪そうにモジモジと引き攣り笑いを浮かべながら応える。

 スマートなお誘いを軽くてきとうにあしらわれて、行き場のない手の平だけが残る。

「えーっと……。けれど、ここに長居しても危ないだけだけど?」

「危なくなるまでには多分歩けるようになってますんで。……多分ですけど」

 両者しつこく引き下がらず、尚も譲らない。

 なぜ水橋オウマはここまで頑なに拒否をするのか。それは一重に他者との身体的接触を避けたいという彼の気質によるものなのだが、そんなことは思いも寄らないキズナは激しく後悔する。

(こんなことなら水橋オウマのこと、もっと聞いておくべきだった! 絶対大丈夫だって思っていたのに!)

「…………ごはッ!」

「「!!?」」

 箸にも棒にもかからない、取って取らないの押し問答をしているうちに、キズナの足下がぐらりと揺れる。

「てめぇ」

 さっきからずっとキズナが足場にしていた悪漢が、ようやく肺に酸素を取り戻し起き上がろうとしていた。

「俺を踏み台にするんじゃあねぇ!」

 悪漢は背中の上を薙ぐようにその太い腕を振り回し、キズナの足下からの脱出を試みる。

「わわっと。やっぱり立つなら人の上だと思ったのに」

 名残惜しそうな言葉だけ吐き、キズナは足を払われる前に悪漢の背中から軽やかにオウマ目がけて跳躍した。

「よいしょっと、パーフェクト。はい、掴んだ! それじゃ離さないでね」

 矢継ぎ早にキズナはオウマの出し渋っていた手を掴み、一言注意を告げた後、空に向かって腕を伸ばす。

「『展開』!」

「え、ああうわ。ちょっと待ァ!?」

 直後、キズナとオウマが絶対なる大地の重力を無視して浮かび上がった。

 否、浮かぶという表現じゃ少々正しくないだろう。オウマの頬を打つ強い刺激と、地球に見放されたかのような心細さは浮かぶなどというふわりとした表現では似合わない。

 オウマはこう考えていた。いきなり、何の脈絡もなく、自分達は空へと射出されたのだと。

「おい! 逃げんじゃねえぇ!」

「ちょっとタイムするだけだから! 待って!」

 意識を失いかけているオウマの手を引き、キズナはマンションの屋上へ何かを頼りに跳び戻る。

「ロ、ロープ……?」

 オウマが手放しかけていた意識で、なんとか捉えたその何か。それはピンクの色のロープのような何か。キズナは手から伸ばしたそれを頼りに跳んだようだ。

「『解除』。よいしょっと」

「うっ」

「大丈夫?」

「ええ、……ああ。まぁ」

 キズナは華麗に、オウマは背中でマンションの屋上へと着地した。

「それじゃあ早速なんだけど、どっちから説明してほしい?」

 キズナは尻餅をついたままのオウマに問いかけた。

 また拒否される可能性があるので、今度は先ほどのように手を貸すのは後回しにする。

「ど、どっちから説明してほしい……?」

 そんなキズナの問いに未だ混乱から醒めきっていないオウマは、目を白黒させながらオウム返しで聞き返した。

 それを聞きキズナは腕を組み、二、三度と頷く。それから、まずと前置いて一本指を立てた。

「そうね。ここまで登ってきた方法のこと」

 それは、およそ常人には成し得ない芸当。

 一重に壁を登ると言っても、クライミングとは訳が違う。

 確かに十五メートルの壁を素手で登るスピードクライミングの世界記録は五秒から六秒である。

 しかしそれはあくまで登ることを想定して設計されている上、ホールドの配置が決まっており練習ありきの記録である。

 決して、そのへんの同じくらいの高さのマンションで出せる速度ではない。

「次に、私が……。っていうか、私と下にいるあの人がどういう立ち位置なのか」

 キズナは二本目の指を立てる。

 しかしこちらに関しては、オウマは特に疑問は持っていなかった。不思議なことになんとなくで、あの男は悪でキズナが善だと認識してしまっていた。

「じ、じゃあここまで来た方法で」

「おっけ。わかったわ。ここまで上って来れたのは、私がドームを展開したら使えるようになる特殊な能力のおかげよ」

「……?」

「まだわからないのも無理ないわね。だから、一つずつ噛み砕いていく」

 全容どころか目の前の現象にもついて行けていない一足遅れのオウマのために、キズナの一足飛びの授業が始まった。

「まずはドームについて。パーソナルドーム、私達が略してドームって呼んでいるものは、私達が作り出す、異能力を使用できるようになる空間のこと」

 キズナは教鞭を振るうように人差し指をふるふると揺らした後、青い空へと向ける。

「『展開』」

 直後、空のある一点から放射状に薄いピンク色の、何か膜のようなものがふわりとカーテンのように広がった。

「え、今は昼のハズ……。じゃなくて、桃色!?」

 オウマは空を見上げ、驚愕を口にする。

 当然である。例え大輪の花火が上がっても、空がピンク一色に染まることなどない。

「このピンク色のドームは私を中心に球状に広がっているの。そして私はこの中でだけ、異能力を使える。これでドームについてはわかったわね」

 まるで慣れた教師のように、キズナは要点を抑えた言葉だけをすらすらと並べる。いちいち原理などを説明しないということは、キズナにはこれができるという点だけをオウマに理解してもらいたいということだ。

「は、い……」

「ありがと。それじゃあ次は異能力について。とはいっても異能力自体は簡単ね。マンガやアニメに出てくるような、普通じゃできない凄い能力。例えば空を飛ぶとか、発光するとか、……水を操れるとか。オウマ君は超能力バトルマンガとか読む?」

「ま、まぁ多少は。……ってことは、さっきはキズナの能力を使って上ってきた、……ということですか?」

 これでようやくキズナが最初に述べた、方法の内容が浮かび上がってきた。つまり、キズナはあの瞬間に異能力を使うためドームを作り出し、特殊な原理に基づく特殊な能力を使用してこの屋上まで上ってきたというわけだ。

 残るはその、特殊な能力の具体性だ。

「おお! あったま良いわね。そういうこと。これで最後は私の能力についてね。……ついて、なんだけど。オウマ君は理解が早いみたいだし、これについては実演した方がよさそうね」

 そこでキズナはポケットから何かを取り出す

「実演、ですか」

「そ。百聞は一見にしかずとも言うし、見せながら説明するわ。手を出してくれるかしら」

「……! こ、こうですか?」

 オウマはおずおずと掌を差し出す。また手を取られるのではないかと、心臓の鼓動がが跳ね上がる。

 それに対しキズナは小さな機械をポケットから取り出し、差し出させたオウマの掌の上に乗せる。

「こ、これは?」

「イヤホンよ」

 キズナは髪をかき上げてオウマに耳を見せる。キズナの耳にはオウマに手渡されたのと同じ機械が装着されていた。

「ちゃんと洗浄済みだから安心して」

「は、い」

「そのちっちゃなレバーをつまみながら耳に着けて」

「レバー……、こ、これか」

 オウマはキズナに言われるがままに装着する。

「そしてボタンを押すと」

 オウマはカチリとボタンを押し込んだ。

「「そうそう、パーフェクト!!」」

 オウマの耳元と目の前と、全く同じ二つの声が重なるように聞こえた。

「今から使ってみせるから、落ちないように私を見ていて」

「落ちないように?」

「応援よろしく!」

 言ってキズナはマンションの縁から飛び降りる。

「え、ちょっと! ここは!」

 ここはマンションの屋上だ。生身の人間が飛び降りて着地できる高さの数倍はある。ここから周囲を見回したとて、視界を遮る物は何一つとしてない程の高所だ。

 オウマは適当な突起を力一杯に掴みながら、急いで縁から半身を乗り出した。

「それじゃ、行っくわよ!」

 オウマの耳元からそんな声が聞こえたと同時、眼下のキズナは腕を伸ばして掌を空へと伸ばした。

 直後、ピュンと風を裂く音を立ててキズナの掌からピンク色の何かが飛び出し、空をかき分けて伸びていく。

 そしてそれはキズナが展開したドームの一端に張り付いた。

(よし! 角度も勢いもパーフェクト!)

 キズナとドームが一本の細い何かで結ばれる。

 その何かを使って、キズナは振り子のように空を舞う。

 彼女のその地を滑るように飛び回る姿は、屋上から見下ろすオウマに一匹の燕を彷彿とさせた。

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