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ぼくはアパートの裏にお父さんの種を植えることにした。そこは年に一回、業者さんが草刈りに入る他は誰も来ないことを知っているのだ。
膝までのびた草むらのなかで、小さく折り畳まれた取扱説明書をぱりぱりと開く。
『種の丸い方を上にして植えてください。
種を植える穴は十センチ以上深くしてください。
朝と晩にヌッコリョッケの毛を混ぜた水をあげてください。』
「ヌッコリョッケってなんだろう……」
「――あれよ」
ぼくは「わあ」と飛びすさった。
ママだった。いつの間に後ろにいたんだろう。
ママはいつもの淡々とした調子で、隣のアパートとの境のフェンスを指さした。
「あれがヌッコリョッケよ」
フェンスの上に、もっちりとした三毛猫が香箱座りしていた。肉がフレームからはみ出て垂れている。
「猫だよね」
「猫じゃないわ。よく似てるけど、ほら、耳の形とか足先の感じとか、猫と違うでしょ?」
猫にしか見えない。というか、脚はお腹の下に折り込まれているので足先など見えない。
ともあれ――あれの毛が必要だというのか。
「捕まえるなんてぼく無理だよ……」
「簡単よ。箱を置いとけば勝手に入るから」
翌朝。
夜のうちに置いておいた通販の段ボール箱の中に、猫がいた。
「ほらね。簡単でしょう」
母はそう言いながら、ホームセンターで買ってきた猫用の毛取りブラシで無造作にブラッシングをはじめた。猫は逃げもせずされるに任せている。
しかし箱の中の猫は昨日の三毛猫でなく、縞の入った黒っぽい猫なのだがかまわないのだろうか。これもヌッコリョッケなのだろうか。
体毛は一匹からこれでもかというくらいの量がとれた。ママはそれを淡々とビニール袋に入れた。
「何ぼーっと見てんの。早く種を植えてしまいなさい」
ぼくは言われるがままに草を引き抜き、移植ごてで土を掘り、種を植えた。
その間にママは水を入れたコップを持ってきて、ビニール袋の中から毛をつまんでもさりとコップの中に落とした。
そしておもむろに、植えたばかりの土の上にばしゃりとコップの水をひっかけた。
「じゃああたし、また寝るから」
ママは大きくあくびをすると、さっさと部屋に戻ってしまった。
あんな適当かつ乱暴な水遣りで大丈夫なのだろうか。不安に駆られたけれど、ぼくももう小学校に行く支度をしなきゃならない。
気もそぞろなまま授業をこなし、帰りの会が終わるやいなや速攻で家に帰った。
コップにヌッコリョッケ――というか、あれは猫だと思う――の毛をひとつまみと水道水を入れ、アパートの裏に向かう。
「あっ」
一センチほどの真っ白い芽が二本、ちょろりと土から顔を出していた。
無事発芽したことが嬉しくて、ぼくはくふくふと笑った。
「ぼくがお父さんのママになって大事に育ててあげるからね。立派なお父さんになるんだよ」
ぼくはママがやったように芽の上にばしゃりとコップの水をあけた。
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