第9話 「鈴木は……。鈴木はどうなったんだ」


「鈴木は……。鈴木はどうなったんだ」


 呆然と立ち尽くした剣の勇者が声を上げた。

 いままで、彼がいたという事実すら、私の念頭から消え去っていた。


 女神が手に持った結晶を掲げてみせた。


「杖の勇者ことスズキコーヘイなら、こちらに」


「そのクリスタルのなかに、鈴木がいるってことなのか。じゃあ、復活させることはできるんだな」


「不可能ではありませんが、長い時間がかかるでしょうね。それに、あまりおすすめもいたしませんわ。ここまでマテリアルデータが汚染されてしまいますと、復活させたとしてもまともな人間の形状を保てないでしょう」


「そんな……」


 剣の勇者が放心したようにうなだれる。

 私はその姿を見て、意外な感情が湧き上がってくるのを抑えきれなかった。

 これまでの彼らは、そこまで親しかったようには見えなかったからだ。

 現に、杖の勇者自身が言っていた。

 内心では剣の勇者のことを嫌っていたと。


 私の疑問に答えるように、剣の勇者が独語した。


「たしかにネクラでオタク丸出しのキモい奴だったけど、そこまで悪い奴じゃなかったなかったんだ。異世界でチートもらってハーレム作り放題だって、二人して盛り上がったこともあったし、魔王を倒したあと、領地をどうやって発展させようかって真面目に考えてた」


 聞いていた女神が、それって単なるゲスの皮算用なんじゃ、とつぶやいた。


「おれ一人になっちまった……」


 途方に暮れて膝をつくその姿に、さすがに同情を感じたのか、女神が口を開いた。


「わかりましたわ。なんとか復活できるように手段を講じてみます。ただし、それも魔王を倒してからになりますわ。さいわい、魔王化したアストラル体を手に入れることができました。これを使えば、現存する魔王を浄化することが可能でしょう。そのためには、あなたの持つ勇者の力が有用であることにちがいはありません。それに、存在進化を遂げた彼もいます」


 女神が私に目を向けた。


「あなたが手に入れた到達者のスキルは、相手のアストラル体を任意に再構築できる能力です。これまでは、魔王を力づくで破壊するしか方法はないと思っていましたが、生命の樹の管理権限を持つあなたがいれば話は別ですわ。剣の勇者が魔王を倒し、コンタミネイション・エーテルを杖の勇者のアストラル体に吸着させ回収したのち、倒した魔王のアストラル体をあなたが無害なものに修復する。これが現状考えうるかぎり、もっとも被害の少ない手段でしょう」


「まだ希望はあるということなんだな。わかった。おれにまかせてくれ。魔王なんざ、勇者であるおれがちゃちゃっと倒してやるぜ。世界に平和を取り戻すんだ!」


 一転して喜色を浮かべた勇者に、調子のいいことで、とこたえた女神が、私に視線を移した。

 そこには、勇者に向けたものとはちがう、どこか痛ましいものを見る気配が漂っていた。


 希望はある。

 勇者の放った言葉が、私の胸の内で空虚にこだましていた。

 その希望に、私は含まれているのだろうか。


 自分の身体を見下ろした。

 杖の勇者によって灼かれた肉体は快癒していたが、右腕に蛇が巻きついたようなあざが浮かびあがっていた。

 鱗の一片一片まで精緻に描かれた刺青のようにも見える。


 いまにも動き出しそうだ。

 絡みつく蛇の紋様を見て思った瞬間、赤黒く輝いた痣が肌の上でずるりと動き出した。


 激痛が走った。

 それまで蛇の巻きついていた右腕の皮膚が、螺旋状に剥がれていた。

 むき出しになった筋繊維からぷつぷつと血の玉が滲み出し、あっという間に表面を覆い尽くして滴っていく。


 食いしばった顎の奥から、獣じみた呻きが漏れた。

 肩に巻きついていた蛇が、胸から脇腹にかけて身をくねらせる感触を、どこか遠くで感じていた。


「セフィロトをその身に宿した代償ですわ」


 女神がほのかに光るてのひらを私の傷口にかざした。

 単純なヒールの魔法だ。

 出血が止まり、薄く肉が盛り上がっていく。

 血を拭い去ると、白く引きれたような跡が残っていた。

 焼きごてを押しつけられたような脈打つ痛みが、まだ体内で残響している。


「生命の樹の管理者であるセフィロトは蛇の化身。地上においてその代行者となったあなたの身にも、蛇が宿ることになる。蛇は本来、人に仇なすもの。あなたが気を抜いたとたん、いまのように肉体を引き裂いて実体化しようとするでしょう」


「痛みは、無視しないと生き抜けません」


 女神がゆっくりと首を振った。


「今後、到達者のスキルを行使するたび、あなたの身体に刻まれる蛇の数は増えます。それでも無視できますか」


「無理です」


 なにごとにも限界はある。

 だが、それを遠ざけることは可能だ。


「いまはまだ」


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