第6話 気がつけば、私はソファに横たわっていた


 気がつけば、私はソファに横たわっていた。

 時間の経過がまったくわからない。

 ほんの数分のような気もするが、肉体の底におりのように溜まっていた疲労感が消えている感覚から、ひと晩ぐっすりと眠ったような爽快感もあった。


 身を起こして座り直すと、視野に違和感を覚えた。

 認識できる片隅ギリギリのところに、揺らぎのような点があった。

 目に映る風景は流れているのに、その点だけは動くことなく視界についてくる。


 不快さから強く目をつむると、側頭部にしこりのようなかすかな熱を感じた。


 慌ててこめかみを手で触れると、視野の揺らぎが一気に広がり、半透明の石版のようなものが広がった。

 私の名前や年齢、種族が書かれおり、その下になにを意味するのかわからない数字が並んでいる。


 思わず驚きの声を上げた。


「あなたの視覚認識にレイヤー機能を加えました。いま見えているのは勇者たちも利用しているステータスですわ。単純に言うと、自分の身体機能を数値化したものです」


 声のした方に目を向けると、意識を失う前と同じ椅子に座った女神があいかわらずキセルをくゆらせていた。

 やはり、あれからいくばくほどの時間も過ぎていないようだった。


「他にも、光量の可視領域を増幅するノクトビジョンモードや大気中のエーテル分布を感知するイーサネットモードも利用可能になっていますわ」


 彼女の言うことは、私にはなにひとつ理解できなかった。


「それ以外にもいろいろと機能がありますが、詳しく説明しているヒマはありませんから、おいおい自分で確認していくといいですわ。いま重要なことはただひとつ。あなたのアストラル体のマナコードをフルスキャンして、神界のアカシックレコードとダイレクトリンクさせました」


 彼女は唇からキセルを離すと、大量の煙を吐き出した。

 かすかに銀色に光るその煙は、拡散することなく床を這い、意思ある軟体生物のようにうねりながら私を包み込んだ。


「これによってあなたは今後、敵を倒すたび、相手がそれまでに蓄積してきたマナコードをその身に取り込むことになります。現状のアストラル体に書き込めるマナコードの許容値を越えたとき、あなたのアストラル体はより大きな器に作り変えられる。それは肉体にも大きな変化を及ぼすことでしょう」


 彼女の言葉は、すでに私には届いていなかった。

 聞かなくとも理解していた。


 いままでの生涯でほふってきた魔物、獣が持っていたマナコードが頭のなかに焼きつけられていく。

 そのなかには護衛依頼中に遭遇した盗賊や、敵意を持って襲いかかってきた冒険者など、人間のものも含まれていた。


 自分の持つ魂が大きくなるにつれて、肉体の強靭さが増していくのが実感できた。

 骨格はより硬く引き締まり、筋肉はより柔軟に収縮されるようになった。

 そして、全身を巡る魔力の熱さ。


「いまあなたが感じているそれこそが、勇者たちがこれまで行ってきたレベルアップというものですわ。強くおなりなさい、この世界に生きる人の子よ。そして願わくば、力に溺れることなく、あまねくことわりの光があなたを高みに導かんことを」


 祈りを捧げる女神の手からほのかに光が漏れ出し、徐々に輝きを増しながらその身を包んでいった。

 光と同化するように、女神の姿がおぼろげなものになっていく。


 まばゆさが最高点に達し、女神も消えてゆくかと思われたその時、唐突に光は薄れ、そこには大あくびをする女性の姿だけが残された。


「ねむ。ちょっと力を使っただけでこんなに体力を消耗するなんて、やっぱり下界は不便ですわ。寝るまえに夜食を所望します。用意なさって」


 私は、太りますよとぼやきながら、パスタを茹でるため、キッチンに向かった。




 翌日、盛大に寝過ごした女神の起床を待ってから、勇者一行は出発した。


 回復役の娘は、夜のうちに姿を消していた。

 代わりに加わった女神は、誰が見ても別人であったが、それを指摘する者はいなかった。

 見送る者など誰もいなかったのだから、当然だろう。


 領内で次々と発生するスタンピードに、王都に暮らす人々は疲弊しきっていた。

 いつ襲ってくるやもしれない魔物の脅威から自分たちを守ってはくれず、どこにいるのかもわからず、見たこともない魔王などというものに挑むため街を出ていく一行に対し、庶民たちの対応が冷淡にならざるを得ないのも無理からぬことだった。


 薄暗い路地の物陰から、扉の合間から、細く開けられた窓の隙間から、人々の嫌悪に満ちた視線が感じられた。


 女神の恩寵を得ることで鋭敏になり、見えざるものまで視えるようになった私には、彼らの一挙手一投足まで知覚することができた。

 その囁きを聞き分けることができた。

 彼らの胸の内に巣食う不安と恐怖を嗅ぎ分けることができた。


 王都を覆う絶望から逃げるようにして、私たちは旅立った。




 意外なことに、一番最初に命を落としたのは女神だった。

 スタンピードの中継拠点を断つために侵入したダンジョンでのことだった。


 順調に攻略を進め、最深部の扉を開けたとき、そこで待ち受けていたのはおびただしい数のジャイアントスパイダーの群れだった。


 金属のような外骨格に包まれた蟲型モンスターは、ショートソード、ダガー、ハンドアックスなどを用いての接近戦を主体とする私にとって、相性の悪い相手といえた。


 ここまで来て戦闘を回避するわけにもいかず飛び込みはしたが、案の定、尻から吐き出される粘着性の糸と、槍のように繰り出される八本の脚に阻まれ、なかなか致命傷を与えることができずにいた。


 ようやく懐に潜り込み、急所である顎の下をえぐるのに成功したものの、ジャイアントスパイダーは道連れとばかりに鋏角きょうかくで私の身体を挟み込んだ。


 すでにジャイアントスパイダーの複数ある眼球からは輝きが失われていたので、そのまま肉体を切断されることはなかったが、万力のような力で締め上げられ、いっとき身体の自由を失った。


 まだ倒すべき敵の数は多い。

 悪いことに、私が倒した個体はひときわ体格の大きいメスだったらしく、残されたオスたちがつがいの復讐を果たすべく殺到してくるのが目に映った。


 死を覚悟した瞬間、私の身体を挟み込んでいたジャイアントスパイダーの頭部が鋏角ごと粉砕された。


 後方から魔法を繰り出すばかりの勇者ふたりに業を煮やしたのか、女神みずからがメイスを振りかざし、蟲たちの群れに飛び込んできたのだ。


「腕に魔力を集中させなさい。内部から破壊することを意識して!」


 なにをどうやったのかなど覚えてはいない。

 いつしか私と女神は背中を合わせ、互いの死角を補うように戦っていた。


 たいした業物でもなかったダガーが折れたあとは、素手のまま拳を叩き込んだ。

 ジャイアントスパイダーの甲殻がひしゃげ、内圧の高まりを受けて全身が膨張し、爆散する。

 そのたび、黄土色をした蟲の体液が驟雨しゅううのように体を打った。


 私のうしろに陣取ってメイスを振るっていた女神が、粘液まみれになりながら下手くそ、魔力の発動方向を考えろと毒づいていたが、返答する余裕などあるはずもなく、次々と襲ってくる魔物を死物狂いでさばき続けた。


 迫ってくる最後の一体の複眼に抜き手を打ち込み頭部を破裂させたあと、後ろを振り向くと、頭を貪り食われている女神がぶら下がっていた。


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