沈んで東京!

藍条森也

クジラの国で会いましょう

 「いたぞ!」

 「逃がすな!」

 「東京水没を目論むテロリストども! ひとり残らず始末するんだ!」

 手にはサブマシンガン。

 頭にはAI機器を詰め込んだ特製ヘルメット。

 鍛え抜かれた肉体を覆うのは最新鋭の防護服。

 日本に君臨する偉大なる首都、眠ることを知らない不沈都市・東京。

 その東京を守る日本最強の精鋭、東京警備隊。

 その面々がいま、本物の殺意をあふれさせながらダンジョンのような地下施設を、

 走る、

 走る、

 走り抜ける。

 東京をテロリストたちの魔の手から守るために。

 東京を守る戦士たちの足音が鳴り響く地下施設のなかを、まだ少女と呼んだ方がいいぐらいの年頃の女性が駆けていた。

 いったい、どれだけの間、走っていたのだろう。全身は汗にまみれ、息があがっている。ゼエゼエと肩で息をしている。顔面は蒼白であり、いまにも心臓発作を起こしそう。

 それでもなお、少女は駆ける、駆ける、駆けつづける。

 自分に最後の希望を託してくれた仲間たちに報いるために。

 「ハアハア……」

 さすがにその少女、咲花さいかも走り疲れて立ちどまった。壁に手をついてよりかかり、息を整える。

 あまりにも激しく走りすぎたせいですでに足はガクガク。筋肉疲労を起こして、まるで足全体が火の棒となったかのように熱をもっている。もし、いまこの場で、かのを診察する医師がいれば、

 「走りすぎだ! いますぐ鎮静剤を打って、安静にするように」

 と、顔を真っ赤にしながら叫んだことだろう。しかし――。

 「まだよ、まだ。まだ走らなくちゃ……」

 咲花さいかは汗にまみれた顔に決意の色をにじませながら呟いた。

 まるで、地の底から響くような呻き声。それは、咲花さいかがいまどれほど苦しんでいるか、そして、その苦しみを超えるほどの決意をもっていることを示していた。

 咲花さいかは握りしめられた自分の右手をもちあげた。ジッと見つめた。手を開いた。そこにあるのはひとつの小さな機械。ボタンがひとつだけついた小さなリモコンだった。

 「これを……これを、最深部で押しさえすれば……」

 咲花さいかは呻くようにそう呟く。

 東京直下において地殻変動を引き起こすためのリモコン。この地下施設の最深部にまでたどり着き、このリモコンのスイッチを押すことで地下深く仕掛けられた機械が作動し、巨大な地殻変動を引き起こす。その地殻変動によって東京全土を海の底に沈めることができるはずだった。

 「……そうよ。あたしはなんとしてもやり遂げなくてはならない。あたしに最後の希望を託してくれた仲間たちのためにも」

 東京を水没させる。

 その目的のために覚悟を決めて乗り込んだ決死隊は一〇〇人以上。しかし、いまではもう咲花さいかひとり。かのを最深部にまでたどり着かせるために次々と囮になり、東京警備隊の前に立ちはだかった。

 もとより、人数においても、練度においても、装備の質においても雲泥の差のある両者である。いくら断固たる決意をもっさて立ち向かったところで勝ち目などあるわけもない。すでに全員が警備隊の銃弾の餌食となったことだろう。そして、恐らく――。

 かのもまた、同じ運命をたどることになる。

 たとえ、最深部にたどり着いてスイッチを押すことができたとしても生きて帰ることなどできるはずがない。憎しみに目をたぎらせた警備隊たちに囲まれ蜂の巣にされて死ぬことになる。

 それはわかっている。

 わかりすぎるぐらいわかっている。

 でも、それでも、やらなければならない。自分を先に進ませるために犠牲になった仲間たちのために。

 「……そうよ。休んでなんかいられない。ただひとり残されたあたしには皆の思いを実現させる責任がある」

 そう誓い、ガクガク震える足を無理やり動かして進もうとする。そのとき――。

 「咲花さいか!」

 悲痛な、あまりにも悲痛な悲鳴にも似た叫びが走った。

 聞き覚えのあるその声に咲花さいかは振り返った。そこにいるはずのない人物を見出し、驚きのあまり目を丸くした。

 「たまき!」

 そこにいたのは咲花さいかの恋人、今回の計画に参加すると決めたときはっきりと別れを告げて、捨ててきたはずのたまきだった。

 「たまき……。なんで、あなたがここに?」

 「こっちの台詞だ!」

 たまきは息を切らしながら恋人に近づいた。

 ガクガクと震える足。

 肩で息をするその姿。

 汗まみれの顔。

 そのすべてがたまきもまた、咲花さいかに劣らず限界を超えて走りつづけていたことを示していた。

 咲花さいかを見つける。

 探し出す。

 そのためだけに。

 「なんでだ? なんで、こんな無茶なことに参加した?」

 恋人に対してそう問いかけるたまきの声は、それ以上ないほどの悲しみに包まれていた。

 「なんで、こんなことを……いや、そんなことはいい。とにかく、まだ間に合う。そんな物騒なものは捨てて一緒に投降しよう。いまならまだ東京に対してなんの害も与えていない。投降すれば命まではとられないはずだ」

 たまきはそう言って恋人の腕を握りしめた。

 力ずくで連れて行こうとする。そんなたまきに対し――。

 「いや!」

 咲花さいかは叫んだ。

 力を振りしぼって恋人の手を振りほどいた。

 「咲花さいか!」

 「邪魔しないで、たまき! あなたも埼玉県民ならわかるでしょう。埼玉が海を手に入れるためにはこうするしかないのよ!」

 泣きながら、すべてのものを断ちきるかのように叫ぶ恋人に向かい、たまきは呟いた。

 「……咲花さいか。確かに、海を手に入れることは埼玉県民の一千万年に及ぶ悲願だ。でも、だからって、東京を水没させるなんて、そんなこと……」

 「それのなにがいけないの? どうせ、東京は温暖化によって海に呑み込まれる運命にあるんじゃない。だったら、あたしたちがちょっとばかり早く東京を海に沈めることのなにがいけないの? そうすることで、埼玉に海ができる。埼玉県民の一千万年に及ぶ悲願が叶うのよ。それのどこがいけないの⁉」

 「咲花さいか。いくら、温暖化で東京が沈むと言ってもそれは沿岸部のほんの一部だけだ。東京がまるごと沈むわけじゃない」

 「それがなに? あたしたちはあいつらのしでかしたことの結果を少しばかり大きくするだけよ。温暖化なんて、東京のやつらが馬鹿みたいにエネルギーを使いまくった結果じゃない。あたしたちは全員、東京の被害者なのよ。そんなやつらのことを気に懸けてやる必要なんてないわ!」

 「咲花さいか!」

 たまきは叫んだ。

 咲花さいかに覆い被さった。

 咲花さいかは表情を引きつらせた。

 いくつもの銃撃音が鳴り響いた。放たれた銃弾はたまきの背を撃ち抜き、咲花さいかの恋人を血の海に沈めた。

 「たまき!」

 「咲花さいか……。生きて……」

 その言葉を最後に――。

 たまきは血まみれの背中を見せてくずれ落ちた。

 「ようやく見つけたぞ。これで、テロリストどもも最後だ」

 そう言い放ち、冷徹な目で咲花さいかを見つめ、銃を向けるは東京警備隊。首都東京を守る最強の戦士たち。

 その戦士たちを相手に、丸腰の少女はキッとにらみつけた。

 涙を流しながら叫んだ。

 「人殺し!」

 「黙れ! 東京を水没させようというテロリストに非難されるいわれなどない!」

 警備隊が銃を向ける。

 たとえ、咲花さいかが万全の状態であろうとも、銃弾よりも速く走れるはずがない。まして、いまの咲花さいかは全身がボロボロの状態。

 このまま銃弾が発射されればどうなるか。

 その結果は火を見るより明らかだった。

 軽快なほどの発射音が立てつづけに響いた。

 全身から血を吹いて吹き飛んだ。

 警備隊の戦士たちが。

 呆気にとられる咲花さいかの前、そこに一群の制服を着た人間たちが表れた。

 「無事か⁉」

 集団のひとりが咲花さいかに呼びかけた。

 「あ、あなたたちは……?」

 「我々は山梨決死隊のものだ」

 「山梨の⁉」

 「そうだ。海がほしい。その思いは山梨県民も同じ。しかも、山梨は法的にはれっきとした首都圏だというのに、誰からも首都圏などとは認識されず、常に陰の薄い扱いを受けてきた。我々はもう、我々の子どもたちにそんな思いさせたくはない。だから、君たち埼玉決死隊がこの地下施設に侵入したと聞いたとき、我々もやって来たのだ。君たちの計画を支援するために」

 「皆さん……」

 自分たちはひとりじゃない。

 命を懸けて支援してくれる仲間がいる。その現実に――。

 咲花さいかは熱い涙をあふれさせた。

 軍靴の音が鳴り響いた。

 近づいてくる。それも、一〇や二〇ではない。一〇〇を超える大集団だ。

 「来たぜ! 東京警備隊の本隊だ」

 「ここは我々が防ぐ! 早く行け。埼玉と山梨、ふたつの県に海をもたらすんだ!」

 「はい!」

 咲花さいかは叫んだ。

 走り出した。

 振り返らずに。

 ただ一心に。

 あふれる涙をぬぐいもせずに。

 ――たまき。みんな。山梨の皆さん。見ていて。あたしがきっと、ふたつの県に海をもたらしてみせる……!

 その決意を込めて咲花さいかは知る、走る、走り抜く。

 たとえ、心臓が破れようと。

 たとえ、足が炎に包まれ消し炭なろうとも。

 一方――。

 その場に残った山梨決死隊は東京警備隊を相手に必死に時間稼ぎをしていた。しかし、しょせん、数がちがう。質がちがう。装備がちがう。いくら決死の覚悟を決めて抵抗したところで勝負になどなるはずがない。

 それは、もはや戦闘などではなかった。まさに、虐殺。一方的にやられていくばかり。そして、ついに、東京警備隊の放った銃弾が最後のひとりの胸を撃ち抜いた。

 「山梨の子どもたちに……地元での海水浴を」

 その一言を残し――。

 山梨決死隊は全滅した。


 地下施設の最深部。

 地球の中心までつづいているのではないかと思わせる巨大な穴が開いたその場所に、咲花さいかの姿はあった。

 「やっと……やっと、たどり着いた」

 万感の思いを込めてそう呟いた。

 あとはこのスイッチを押しさえすればいい。それだけで、この地下施設が建設された際に密かに仕掛けられた音響兵器が作動する。放たれた音は地殻を粉々に破壊し、地下に巨大な空洞を生みだす。東京という名の大地はその空洞に呑み込まれ、沈下する。そして――。

 その上に海水が流れ込み、東京全土を海へとかえる。

 そのとき、埼玉に、そして、山梨に海ができる。ふたつの県の人々が一千万年にわたって望みつづけた悲願。地元での海水浴。それがついに実現するのだ。

 「さあ、いまこそ……」

 咲花さいかは呟いた。

 リモコンのスイッチを押そうとした。その寸前――。

 銃声が響いた。

 咲花さいかの背中を一発の銃弾が撃ち抜いていた。

 後ろにいるのは東京警備隊の制服を着込んだ戦士。最後のさいごで発見され、銃撃されたのだ。

 「あっ……」

 咲花さいかは呟いた。

 目が限界まで見開き、口からは一筋の血が流れた。

 ――埼玉に……海を。

 その思い。

 ただ、その思いだけで死んだ体を動かし、リモコンのスイッチを押した。

 そして、すべてははじまった。


 沈む、

 沈む、

 東京が沈む。

 地殻を破壊され、沈んでいく。

 その東京の上に渦を巻いて海水が流れ込み、東京全土を海へとかえる。

 その光景をはるか上空に作られた空中都市が見下ろしていた。

 それは、東京が日本全土を監視し支配するために打ちあげられた、成層圏に浮かぶ巨大な気球。文字通りの天空人の城。

 透明なポリマーで作られた二重構造の気嚢。内側の気嚢を超軽量の張力構造体が球殻状にすっぽりと包みこみ、その外側を赤外線を遮断する第二の気嚢が覆い、そのなかを与圧空間としている。

 気嚢の直系、実に一六〇〇メートル。

 その巨体で幾年でも成層圏に留まる天空の城である。

 その天空の城のなかでいま、轟々と渦を巻いて東京を呑み込む海を眺めながらほくそ笑んでいるものたちがいた。総理大臣をはじめとする東京出身の政治家たちである。

 「いやあ、うまく行きましたな、総理」

 「いや、まったく。実に見事な計画でしたな」

 腰巾着の大臣たちに口々に褒められ、総理大臣は得意気に胸を反らした。

 「東京は度重なる無秩序な開発によって、すでに過密状態。これ以上の発展などとても望めず、おまけに、温暖化によっていつ海に呑み込まれるからもわからない状態。おまけに、いつ首都直下型地震が起きて壊滅的な被害を受けるかもわからない。

 ならば、いっそのこと、その前に海に沈めてしまえばいい。その後、海に浮かぶ海上都市を作りあげ、新たなる東京、アクア東京を作りあげるのだ。海に浮かぶ都市であれば、温暖化による海面上昇など気にする必要はない。地震も関係ない。津波にも対処できる。まさに、いいことずくめ。そして、過密状態から解放された東京は新たなる都市、世界最先端を行く新型都市・アクア東京として生まれ変わり、永遠の繁栄を手にするのだ」

 「そのとおり! 東京こそは日本の首都であり支配者。我々は未来永劫、その立場を守り抜くのだ」

 「かと言って、そんな計画を公表すれば愚民どもの反発は必至。そこで、埼玉・山梨双方の過激派どもをそそのかして今回の計画を立てさせ、東京を沈めさせた」

 「はははっ。実にお見事でしたな。やつらめ。自分たちでは東京を出し抜いたつもりだろうが我々の目論見通りに事を運んでくれたわけだ」

 「ふっ。しょせん、地方の能なしどものやることなどその程度。やつらは永遠に我々、東京都民の繁栄を支える奴隷でしかない」

 「東京都民はとうに避難済み。たとえ、旧東京が海に沈もうとも都民にはひとりの被害も出ない。そして、旧東京が海に沈む姿を見た都民たちは思うことだろう。地方の連中の好きにさせればどんな事態になるかわからない。東京が日本を支配しつづけてこそ日本は平和に繁栄できるのだ、と言うことを」

 「そのとおり! 我ら東京都民こそ永遠の日本の支配者なのだ!」

 ふはは、

 うわーはっはっはっはっ!

 海に沈む東京。

 その光景を眺めながら東京出身の政治家たちの笑いが天空の城に響きつづける。


 そして、一〇〇年。

 かつて、その地であった凄惨な戦いも、その裏にうごめく陰謀もすべてが忘れ去られ、一新された時代。

 埼玉県民と山梨県民がいまや常識となった『地元の海』での海水浴を楽しむなか、東京もまた、新たな姿を示していた。

 それはまさに海上都市。

 直径三〇〇〇メートルにも及ぶ浮体式海洋建築物を基本とし、その中央には高さ一〇〇〇メートルのタワーがそそり立つ。総排水量は四億トン。戦艦大和五四九四隻分にも及ぶ恐ろしく巨大な海上浮遊体。

 上空七〇〇メートル以上のタワー先端部が住民の居住区であり、タワー中央部と平野部には住民の食を賄うための食糧生産システム、大規模な野菜工場や牧場が整備されている。

 そんな、まるで海に浮かぶ巨大なハスの花のような建築物がいくつも連なり、ひとつとなり、都市としての機能を果たしている。

 それが、新しい東京。

 アクア東京の姿。

 そして、アクア東京の最大の売り。

 それは、クジラ。

 海に沈んだ東京はその全域がクジラたちの繁殖場として利用されていた。

 食用の家畜たちは環境に深刻な負荷を加える。

 世界中の家畜が必要とする飲み水の量は膨大なものであり、その家畜たちや畜舎を洗うための水もまたとてつもない量となる。そしてまた、ウシのゲップに含まれるメタンは地球温暖化の主要な原因のひとつ。

 その点、海棲生物を食用にすれば水はいらない。なにしろ、最初から水のなかに住んでいるのだから。飲み水も必要なければ、体や畜舎を洗うための水も必要ない。

 膨大な水の節約となる。

 反芻生物であるウシのように、メタンを含んだゲップを吐き散らして地球を熱することもない。

 だから、クジラなのだ。

 巨大で、その全身を余すことなく利用できるクジラを食用として繁殖させる。そうすることで地球環境に対する負荷を激減させることができる。

 そのために、かつて東京であった海をクジラの繁殖場にかえた。

 そして、もうひとつ。

 『クジラの国』には大きな利点があった。

 それは、観光。

 海に沈んだ東京の大地。そこにはいまもなお、かつての繁栄を偲ばせる高層ビルが建ち並んでいる。そのなかをクジラたちは泳ぐ、泳ぎつづける。

 海に沈んだ摩天楼をバックにクジラの群れが雄大な姿をさらして泳ぐその姿。

 それはまさに、地球とは思えない幻想的な雰囲気であり、新しい時代の観光名所として世界中から注目されている。世界中から観光客が訪れ、新たなる東京は未来に向けて空前の繁栄を享受している。


 クジラの国で会いましょう。


 それこそが、新しい東京、アクア東京の売り言葉。

                  完



※参考文献

『大人のための乗り物図鑑 陸・海・空ビックリ大計画99』(金子隆一著 二見文庫)

『俺たちに不可能はない!』(ドリームファクトリー研究会編 大林組プロジェクトチーム、清水建設シミズ・ドリームプロジェクトチーム、前田建設ファンタジー営業部監修 中経出版)

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