聖女、探しています
白川ちさと
前編
とある王国のとある王様は大変困っていた。
国宝に青い涙の形の宝石がついた首飾りがある。厳重に宝物庫で守られていた首飾りが、ある日突然呪われてしまったのだ。首飾りは代々王家の人間が結婚するときに花嫁がつける装飾品だ。それが見るからに禍々しい闇で覆われていた。
王子に婚約者はいないものの、そろそろ結婚してもいい年ごろ。それでなくとも、呪われた国宝をそのままにしておくわけにはいかない。
王様は家来の魔術師に命令する。闇を払え、と。
しかし、首飾りを見た魔術師は言う。これは魔法では解くことの出来ない呪い。おそらく一介の司祭でも解くことは出来ないだろう。解くことが出来るのはおそらく伝説の聖女だけに違いない。予言によれば、聖女はすでにこの世に生まれているそうだが……。
しかし、聖女に明確な心当たりはない。そこで、王様は国中におふれを出した。
『首飾りの呪いを解いた者を聖女と認め、王子と結婚させよう』
おふれを見た国中の若い女性たちは色めき立つ。自分にはそんな力があるとは思えない。けれど、もし何かの偶然か何かで呪いを解くことが出来たら王子と結婚することが出来る。
女性たちはこぞって城へと向かった。
「次のもの!」「はい!」
大臣の声に小鼻にそばかすの散った女性が首飾りの前に立つ。黒い闇に向かって恐る恐る手をかざした。その表情は険しい。
しかし、首飾りの闇には変化が見えない。しばらく経って、大臣が声を掛ける。
「どうやら、あなたは聖女ではないようです」
「ま、待ってください! もう少しで……!」
「時間ですので。次!」
係の者にひきずられるようにして、そばかすの子は部屋から追い出されていった。
その様子を物影からマイル王子は見つめていた。この調子では、きっと永遠に聖女など見つからなないだろう。砂時計で一人ひとりの時間を決めているとはいえ、列は城の外にまで続いている。その上、諦めきれない女性がもう一度試してみようと列の最後尾に並びなおすと言うのだから、呆れてしまう。
マイルはポケットに突っ込んでいた帽子を被り、輝かしい金髪を隠す。
「王子、そのような姿でどちらへ」
すれ違った兵がマイルを呼び止めた。シャツにズボン、茶色いベストと、その姿はどこをどう見ても一般庶民だ。
「ちょっと城下町へ。父上や大臣には黙っていて」
「仕方ありませんね。あまり遅くなってはいけませんよ」
話の分かる兵だ。マイルは素知らぬ顔で女性たちの列の横を通って、城下町へと降りて行った。城下町の市場はいつものように、賑わっていた。いや、いつも以上に賑わっているような気がする。
「何か、祭でもあるのか?」
マイルは林檎を一個買ってかじりながら、露店の店主に尋ねた。
「まさか知らないのかい、あんた。王子様が花嫁選びをしているって。女たちが集まるんだ。花嫁に選ばれなくても彼女たちも買い物ぐらいして帰りたいだろうよ」
なるほどとは思うが、一つ気になる点がある。
「花嫁選びじゃなくて、聖女を見つけるため。呪いを解くためだろう」
「そんなの王様の方便さ。きっと魔術師が操っていて、横から王子が指示を出しているに違いない。好みの女がいれば闇を消すようにね。王子のわがままだって話だぜ」
「そうか……」
妙な噂が立っているものだ。まさか、自分がそのように言われていようとは。国王が自分の知らぬ間におふれを出していたというのに。
反論する気も起きず、その場を立ち去ろうとしたときだ。
「キャーッ!」
女性の悲鳴が聞こえた。
「ひったくりよ! 誰か捕まえて!」
見ると女性が地面に倒れ、男が鞄を奪って立ち去ろうとしたところだった。まさか、目の前で起きた狼藉を放っておくことなどできない。マイルは持っていた林檎を男に向かって投げつけた。
「ぐはっ!」
投げた林檎は男の背中に当たり、男は前のめりに転んだ。周りにいた人々が取り押さえる。
マイルは女性の元へ駆け寄って、手を差し伸べた。
「大丈夫かい?」
「は、はい」
女性の手をとって、助け起こす。彼女と目があったとき、胸に電撃が走ったような衝撃が起きた。彼女の目はエメラルドのような輝きをしており、髪は燃えるような赤毛をしている。
引き込まれそうな瞳に魅入ってしまった。
「あの……」
「おっと、失礼」
つい長く握っていた手を離す。彼女は拾ってもらった鞄を受け取った。どうやら犯人は衛兵が連れて行くらしい。事件はあっさり解決した。
しかし、彼女の瞳をもっと見ていたい。そんな気持ちがこみあげて来たときだ。ポンポンと何故か彼女に上腕を叩かれる。
「あの?」
「あ、いえ。その……、何かお礼をしたいのですけれど」
彼女はどこか恥ずかしそうに俯いて、か細い声で言う。彼女も同じ気持ちだったことに胸が高鳴り、すぐにこう答えた。
「では、どこかでお茶でもしませんか?」
彼女と二人で市場から少し離れた川沿いを歩く。
「お名前を聞いても構いませんか?」
「は、はい。リッタといいます」
「リッタさんですね。自分のことはイルと呼んでください」
マイルは城下町でよく使っている偽名を名乗った。
「リッタさんはよく市場に行かれるのですか?」
「え、えっと、あの市場は、は、はじめてで……」
どう見てもリッタは緊張していた。歩く足取りさえもギクシャクしている。
「えっと」
何かリラックスできるような言葉をかけよう。マイルがそう思ったときだ。
「あ! カルガモの親子です!」
「え。ああ、本当だ」
リッタが指さした方をマイルは振り向く。川の流れに身を任せて、カルガモの親子が悠々と泳いでいた。
「可愛いな。ね、リッタさん」
マイルはリッタの方を振り返る。すると、じっとこちらを見つめているリッタと目があった。
「そうですね。でも、あなたの方が可愛いかも」
「え……」
そう言って、ポンポンと上腕を叩く。そして、ジッと目を見つめたまま顔を近づけてきた。
「え、え?」
マイルは少し後ろに下がってうろたえる。その姿を見て、リッタは離れてクスクス笑った。
「ほら。やっぱり可愛い」
「か、からかわないで下さい!」
マイルはリッタに背を向けて、歩き出す。さっきまで緊張していたというのに、カルガモの親子だけで随分とリラックスしたものだと思った。
川沿いを歩き、そのまま路面にテーブルが出されているカフェに入る。外の席で店員に珈琲を二つ頼んだ。目の前にいるリッタが頭を下げる。
「それでイルさんでしたね。助けていただき、本当にありがとうございました」
今度は打って変わって深々と頭を下げるリッタ。
「あ、いえ。頭をあげてください。自分は出来ることをしただけですので。ところで、リッタさんはこの城下町には何しに? 市場に来たのがはじめてということは、この町の人ではないですよね」
大方予想はついていたが、マイルはあえて尋ねた。
「はい。呪いの首飾りがあると聞いて、その闇を払いに来ました」
やはりと言うのと、おやという感情が同時に来た。てっきり、王子の花嫁選びに参加しに来たのだと思ったのだが。
「……闇は払えそうですか?」
カチャリと音を微かに立てて、コーヒーカップを持ち上げるリッタ。
「分かりません。誰が払えるかも分からないから、王様は誰かれ構わず試してみようとしているのではないですか」
「それもそうですね」
マイルは密かに期待していた。
リッタが実は聖女で、闇が払えれば彼女は自分の花嫁になる。そんな未来を少なからず想像していた。だが、目の前のリッタを見ると何かが違う。
そんな不可思議に思うマイルの表情をリッタは読み取ったのだろうか。フッと笑って、席を立つ。
「失礼します。お花を摘みにいってきますね」
リッタはすれ違いざまに、マイルの肩に手を置いてカフェの中に入っていった。
はぁとマイルはため息をつく。これからもし宝石の闇を払う人物がいれば、その見知らぬ人物と結婚しなければならない。憂鬱な気持ちになった。政略結婚なども覚悟していたとはいえ、このような方法で結婚することになろうとは。
「リッタだったらいいのに」
「何が、リッタだったら良かったのさ!」
バチン! そんな音が出そうなほど、背中をいきなり叩かれた。
「だ、だれ……リッタさん!?」
振り返るとリッタがニッカリと笑っている。
「そう、そう。リッタだよ。ところで、ケーキ頼んでいい?」
「あ、はい」
リッタは椅子に座るなり、メニューを広げて店員を呼んだ。なんと三つも頼むらしい。ケーキはすぐに運ばれて来た。それを嬉しそうにリッタは口に運ぶ。
「ところでイルさんの正体って、この国の王子さま?」
「え!」
目の前のケーキを頬張るリッタに見破られたことに、マイルは目を見張った。ひとつもボロを出したつもりはない。
「ま、まさか! どうして自分が王子だなんて思うんです?」
正直にいう訳にはいかないので、なんとか話を誤魔化そうとする。
「んー。聖女の勘かな」
「……聖女の」
リッタが言うことに再び驚かされた。
「あれ。でも、さっきは闇を払えるか分からないって」
「まあね。でも、私の勘は当たるよ」
じっと見つめてくるリッタの目には自信があるように見えた。
「ごちそうさま。じゃあ、私会計してくるから」
リッタは手を合わせる。
「あ。自分が払います。会計もここで」
「いいから、いいから。王子さまは座っていて」
リッタは立ち上がって店の中に入って行こうとした。しかし、リッタはふと振り返る。
「ねぇ。この後、宿にまで送って行ってくれないかな。道に迷いそうで」
「あ。はい。構いませんよ」
マイルにとっては、城下町は自分の庭のようなものだ。宿街にまで行くのにも迷いはしない。リッタは片目をつぶって、少し小声で言う。
「それから、迷子にならないように手を繋いでね」
「はい?」
今度こそ、リッタはカフェの中に入っていった。
出てきたリッタは、どこかソワソワしていた。
「えっと、その大丈夫です! やっぱり宿、自分で行けます! その、城下町は確かに目移りして、どっちが北かもわからなくなるけど、だ、大丈夫です!」
これでは言った通り迷子になってしまうのでは、マイルはそう思い手を差し伸べた。
「どうぞ、聖女様。案内します」
「え! 手を繋ぐんですか!?」
「行きましょう」
何となくトリックが読めたような気がして、またリッタが変わってしまわないようにマイルは走りだした。二人は人の間を縫って走り、大きな橋のたもとにやって来た。
「はぁはぁ、綺麗……」
リッタは橋の向こうを見て目を細めた。日が暮れてきている。赤い夕陽がまだほんの少し眩しい。
「リッタさん」
「は、はい」
二人は向かい合った。エメラルドのリッタの目が、マイルを見つめる。そうだ。捕らわれたのは、この瞳だった。
「今日はもう閉門してしまうでしょうが、明日も聖女探しのために門は開きます」
「はい」
「リッタさんも、呪いを解くためにやって来てくれますね」
「……はい」
リッタは少しうつむいて、だがしっかりと頷いた。橋を渡ったすぐの場所がリッタの宿だ。マイルは入り口の前まで送り届けて、城へと戻った。
おそらく彼女なら呪いが解ける。そう確信していた。しかし、予期せぬ事態が起きる。
「王子! 大変でございます!」
傍仕えの男が、マイルが着替えて部屋から出て来るなり駆け寄ってきた。
「何かあったのか?」
「はい! 聖女様です! 聖女様が現れたのです!」
「なに?」
マイルは首を捻る。リッタは明日、城に来るはずだ。
「聖女様、つまり首飾りの闇を見事、払われた女性がいたのです!」
マイルはまさかと思った。
「お初にお目にかかります。私、エイミと申します」
彼女は黒い髪に黒い瞳をしていた。赤い髪に緑の瞳のリッタとは似ているところは一つもない。しかも、彼女の胸にはすでに人魚の涙と呼ばれる青い宝石が光っていた。宝石を包んでいた闇は全くなくなっている。
「あ。これは、気の早い国王が私に下さったのです」
もし、それが呪われたままならば、身に付けることなど出来ないだろう。それならば、やはりこのエイミという女性が闇を払った聖女なのだ。
リッタが宿に戻ると、すぐに他のリッタたちが帰って来た。
「もう、リッタたち速すぎ!」
「で。デートはどうだった?」
「もっとゆっくりして来て良かったのよ?」
リッタと同じ顔をした女性が三人。みんな、同じように赤い髪に緑の目をしている。彼女たちはリッタの姉妹で、一緒に生まれた四つ子なのだ。
みんなでリッタを囲むように、ベッドに座る。
「ど、どうって、宿に送ってもらっただけだから」
そう言いながらリッタは顔を赤らめる。本当は明日城に来て欲しいことを言われたけれど、元々その予定なのだから言う必要はない。
「ね! ミュナの言った通りでしょ! 市場に行ったらいいことあるって!」
人一倍勘のよく働くミュナ。解いていた髪をいつものように二つ結びにする。
「いいことの前にひったくりに会いましたけれどね。リッタが倒されたときは肝が冷えました」
人一倍しっかり者の髪をポニーテールにした彼女はカノン。カノンは三人を妹のように思っている。とはいえ、誰が姉かは分からない。彼女たちの母親は子を産むと同時に亡くなったのだ。慌ただしい出産の中、子供の生まれた順番を覚えている人間はいなかった。
「助けられたのが私だったら良かったのに。そうしたら、今頃、うふふ」
人一倍色っぽく笑うのはエリザ。髪を編み込みまとめている。彼女はリッタと入れ替わった途端、すぐにまたカノンと入れ替えられていた。
「それにしても、しつこい呪いでしたね。私たち四人がかりでやっと払えるなんて」
カノンの言葉にリッタは自分の手を見つめる。その手はマイルと繋いだ手であり、彼に微かに憑りついていた闇を払った手だ。
彼には常人には見えない何か黒いもやが付いていた。だから、直接触って払おうとしたのだが、簡単には払えない。それで簡単に別れるわけにはいかなかったのだ。四人で代わる代わる入れ替わったわけでもある。
「あんなにしつこい呪いがついているとしたら、国宝のすぐ近くにいる人間だものねー」
「王子は輝くような金髪をしているという特徴にも合致しています」
「でも国宝についている呪いも相当なものだね。周りの人間にも影響が出ているなんてさ」
ミュナのいうことに、三人で頷く。
「……明日。簡単に払えるといいんだけれど」
出来なければ、マイルとの約束を破ってしまう。
――約束を守りたい。
このときのリッタは城で起きていることなど知りようがなかった。
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