第2話 目覚め

 あたたかな朝の陽の光で怜奈は目を覚ます。見慣れない天井、見慣れないベッド、見慣れない窓。どこを取ってもファンタジーな内装で、まるで覚えのない場所のようだ。

 少し硬いベッドから起き上がり、窓に近寄り外を眺める。


「えっ」


 窓の外の光景は今いる部屋の内装よりも異様なものだった。

 西洋風の鎧や兜を着こみ、大きな剣や斧を背負った人や、ローブ姿に杖を携えた人。軽い着こなしながら弓や短い剣をひょうひょうと自在に扱う人、さらに驚いたのは、人の姿に動物の耳や尻尾の生えた人がちらほらいるということだ。

 街並みも現代の日本とは違い、道には自動車や自転車、バイクはなく、電柱や電線もなく、アスファルトやコンクリート舗装の代わりに石畳であったり、地面がそのままむき出しとなっている。その道に沿うように中世時代を思わせる三角屋根の木造の建築物達が立ち並ぶ。

 これではまるで本当にファンタジーの世界だ。


「な、に…ここ…」


 たじろいで後ずさりし、置かれていた椅子に足をぶつける。椅子がガタッと音を立てたのでハッとなって椅子を見るとその視線の先に驚いている一人の女性が見える。薄い翡翠色の髪の綺麗な女性だ。

 怜奈は慌てて弁明する。


「え、あ、あの!ち、ちがうくて!ごめんなさい!ちょっとびっくりして椅子に当たっちゃって!」

 

 ぶんぶんと手を振るとその目の前の女性も慌てた様子でぶんぶんと手を振る。おかしいと思った怜奈は「あの…?」と恐る恐る声をかける。女性からは返答はないが自分と同じように恐る恐る相手に声をかけているような姿をしている。

 よく見るとその女性は気を失う前に見た結晶の中の女性の姿そのままだった。この女性も気づいたらここにいたのだろうか。


 突然ガチャリと部屋のドアがガチャリと開かれ、オレンジ色のおさげ髪の少女が入ってきた。その衣服は外の人たちと負けず劣らずファンタジーで、ポケットのいっぱいついた黒いエプロンをしていた。


「音がしたから来てみたけど…目が覚めたみたいね、どう?体調は」


 どうやら話は通じるようだ。


「あ、えっと、どうも…ありがとうございますその、ここは…?」

「大丈夫、ここはクラウェンの街の冒険者ギルドよ。あ、私はポーラ、ここの支部の受付嬢。貴女は?」

「わ、私は輝石 怜奈といいます!」

「キセキレイナ…?変わった名前ね…」

「は、はぁ…その、それで、ぼうけんしゃぎるど?とは…?」


 ポーラは驚いた顔で怜奈を見る。その後じろじろと怜奈を上から下まで見ながら答える。


「ぼ、冒険者ギルドは冒険者ギルドよ…?え、大丈夫?どこか頭打った…?」

「はぁ…あ、えっと貴女はご存じですか…?」


 怜奈は困った顔で翡翠色の髪の女性に尋ねる。その女性も困った顔をしている。その姿を見ていたポーラは「はぁー…」と頭を抱えてため息をつく。


「あなたねぇ…それ鏡よ…」

「えっ」


 鏡と言われて、女性に近づく。するとその女性も近づいてくる。触れようと手を近づけると女性も手を近づける。自分のほっぺをむにぃと摘まむと女性もその綺麗な肌のほっぺをむにぃと摘まむ


「ねぇ、あなた本当に大丈夫…?」


 やっと理解した怜奈はポーラのほうに首をギギギとぎこちなく向けてからカクンとうなづいた。


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「要するに、記憶喪失ってことね」

「えっと…そうじゃなくって…」


 部屋の椅子に座ってポーラに事情を説明したがいまいち分かってもらえず、頭を打ったかショックによる記憶喪失で、話した内容は記憶喪失が見せる間違った記憶の妄言だと思われているようだ。


「あなた、近くの森の中に倒れてたのよ。それをたまたま通りかかった冒険者チームが見つけてね…ほんとよく無事だったわね」

「そう、なんですか…その、ありがとうございます…」

「ん…お礼は助けてくれた人にね。あ、はいこれ、街に入るための許可申請証。普通は門で書くんだけどあなた気を失ってたから…こっちの紙に名前書いて渡してねね」

「あ、はい…」


 ポーラから羽ペンを受け取り、「こっちのインク使って」とペンをインクに浸し、申請書に名前を書く。すると、


「…ごめん、なんていうんだろう…その字以外でもいい?なんて書いてあるかわからなくて…」

「えっ?」


 どうやらこの世界に漢字はないらしい。当然ひらがな、カタカナも。その後ポーラに「いい?キセキレイナはこう書くの…え、こっちが名前でこっちがミョウジ…ってミョウジって何?ん?それって家族名ファミリーネームとか屋号じゃない?」と教えてもらい、怜奈のこの世界での名前が完成した。


〈レイナ・キセキ〉と、この世界の文字で記された紙をポーラがもう一度確認する。


「ん、オッケー…で、これからのことなんだけど」


とポーラが話し始めた時、また部屋のドアがガチャリと開いた。


「おーいポーラ、ずいぶん時間がかかってるが大丈夫か?お、美人さんのお目覚めか?こいつはいい時に来たなぁ!」


 「がっはっは」と笑いながらスキンヘッドで身長が2メートルはありそうな中年の大男が入ってくる。ポーラが「あっ、しまった」という顔をして急いで広げていた紙を集める。


「すいません支部長、どうやらこの方…レイナさんは記憶喪失らしく…名前すら書けないみたいで…」

「なんだって?それは大変だな…あぁ、俺はバーンズ・レイストン。ここの冒険者ギルドの支部長を任されてるもんだ」

「あ、ど、どうも…輝石…じゃなくて、レイナ・キセキです」

「ふむ、よろしく…あー、ポーラ、受付に〈木漏れ日の風〉が護衛依頼の報告に来てる。俺がレイナさんから話を聞いとくから対応してやってくれ」

「わかりました!じゃあレイナさん、またあとで」

「あ、はい、ありがとうございます」


 パタパタとポーラが走っていく。そしてさっきまでポーラが座っていた椅子に「よっこせ」とバーンズが座る。


「さて、と…ポーラが色々聞いた部分と被るかもしれんがちょいと質問させてくれ」

「は、はい、大丈夫です」


 そしてポーラから聞かれたこととほぼ同じ内容の質問を答えた。


「こんなとこか…同じ質問ばかりだったろ…すまんなぁ」

「あぁいえ!自分でもホントよくわかってなくて…何でここにいるのかも…なにをしたらいいのかも…」

「ふーむ…何でここにいるか、の質問には答えられんが…つかぬことを聞くが、レイナさん、所持金は?」

「えっ?」

「所持金。心苦しいがギルドの決まりで傷病人や保護した人などは半月は無償で泊まれるが、それ以降は一泊につき冒険者と同じ料金を支払ってもらわんといかんのでな…」

「そう、なんですね…いえ、半月も無償で置いていただけるだけありがたいですが…」

「すまんな…それでさっきの『なにをしたらいいか』だが、とりあえず生きるには金を稼ぐしかないわけだ。記憶喪失で大変だろうが、ひとまず生きるために仕事を探してみるのはどうだろう?」


 バーンズは申し訳なさそうに頬を掻く。そして何かをひらめいたかのように自分の頬を叩く。


「そうだ!レイナさんさえよければまずはギルドのスタッフの手伝いなんかどうだろう?人が足りていないし、何よりちょうど明日冒険者になるための認定試験があるんだ、それを俺たちと一緒に裏方を手伝ってくれると助かる!」

「いいんですか…?その、機密とかあったりしませんか…?」

「ないない!むしろ手伝ってくれると助かるんだよ!なんせスタッフが俺とポーラと当日来る試験官の冒険者パーティしかいないんだよ!がっはっは!」

「は、はぁ…」

「内容は軽いもんよ。当日の準備や出発する受験者の数と名前を憶えて帰ってきた奴と一致してるか、あとは途中でズルしてるやつがいねえかの監視だ。引き受けてくれるんなら…そうだな、明日一日で銀貨25枚出そう!」


 銀貨25枚がどの程度の価値なのかは後で聞くとして、今は少しでも稼いで貯蓄を増やさなければならない。レイナはその仕事を引き受けることにした。

 ちなみにこの世界のレートはそれぞれ銅貨10枚で1枚の銀貨、1000枚の銀貨で1枚の金貨となっている。価値としては街で売っている普通のバゲットパン1つは銅貨4~5枚で購入ができる。


「わかりました、では、引き受けます」

「よっし、ありがとな!それじゃあとでポーラに明日着てもらうギルド職員の服を持ってこさせるぜ!じゃあまぁ、なんだ、明日までゆっくりしててくれ、出かけるんなら俺かポーラに一声かけてくれよな!」

「わかりました…と言っても何が何だかわからないのでちょっと今日はお休みしようかと…」

「そうだな…記憶喪失だってのに、悪かったな…じゃあおやすみ!俺は仕事に戻るよ!」


 そういってバーンズは部屋を出て行った。

 一人残されたレイナはボーッと考える。いきなりこんなことになって驚いている自分と、案外大丈夫なんじゃないかという自分。そして、元の世界の怜奈を思う自分。


 「…未練…は、ないかな…」


 ベッドにポスリと横たわり日本の自分を想う。両親が死んでからろくな人生でなかったし、妙な世界だけど人間関係も何もないところからもう一度始められるなら、今のほうが幸せなのかもしれない。

 自分の、輝石 怜奈は姿形も変わって、レイナ・キセキとなる。そこに抵抗がないわけではないけれど、この姿だからこそできることもあるのかもしれない。そう考えながら気づいたら怜奈、いやレイナはまた眠りについた。

 再び目を覚ましたのは、ポーラが服をもって来たその日の夕方だった。

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