第一章 ビスケットサンド(1の4)
りんこと、れいが道草をくっていたコンビニエンスストアから、まっすぐ北に進むことおよそ600メートル。
数年前に行われた大規模な再開発工事により、幅の広いりっぱな国道と接続された大きな交差点がある。
交差点に隣接する広大な土地には、地域最大のショッピングモールの建設予定地があり、色鮮やかな完成予想図が描かれた巨大な看板がぽつんと
それ以外はこれといって記憶に残るような物など何もない、ただ広くて大きいだけの交差点。
ここはそんな、どこか寂しさの漂う場所だった。
周辺にも立ち寄るような場所はなく、立派な道路と交差点のわりには行き交う自動車や人の数は少ない。
視界を妨げるような物も無く、見晴らしは極めて良好だ。
そんな交差点の真ん中に、一台の自動車が横倒しになっていた。
少し離れた場所に、おそらく運転手であろう三十代くらいの男性が座り込んでいる。
どこかを切ったのか、わずかに出血の跡が見られるが、はたから見る限りでは大きな負傷はなさそうだった。
他に事故にあった車両やけが人の姿は見当たらない。単独での事故だったのだろう。
りんこもれいも、自動車の裏側(底と言うべきだろうか)を見たのはこれが初めてだった。
「わっ! わっ! なにこれ!? すごいすごい!」
交差点にはパトカーや救急車、それに消防車が集まっており、警察官や救急隊員などが慌ただしく動き回っている。
「れいちゃん、はやく! こっちこっち」
ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、りんこが大きく手を振った。
「あんた……ちっさいくせに……足はやすぎ……」
「ちっさいはよけい! れいちゃん、もっと運動しなきゃダメだよ」
ようやく追いついて来た時、れいは息も絶え絶えで今にも倒れこみそうだった。
そんな友人に向かって、りんこが肩をすくませる。
れいは青白い肌に玉のような汗をうかべ、苦しそうに胸の辺りを押さえている。
疲労で
「あたしは……こう見えて、頭脳派なんだ……」
れいが肩で大きく息をして懸命に呼吸を整える様子を見ながら、どこからどう見ても肉体派ではないよねと、りんこは困り笑顔を浮かべた。
「また、ここで事故なんだ」
ようやく動悸がおさまってきたのか、れいは周囲の様子を眺めながらつぶやいた。
顔にまとわりついた長い髪を無造作にかき上げる。
「ねー! 多いよね。たしか先月にもあったよね!」
うんうんと頷き、りんこが目を丸くする。
「ん。先々週かな」
れいは、ローカル新聞で見かけた小さな記事の
「こーんなに広くて見晴らしいいのにねー」
目の上に手をかざし、遠くを見る様な仕草をするりんこ。
たしかに。
自動車を運転したことはないが、一見安全な道路に見える。
りんこの言葉に、れいは思案するように腕組みをした。
「そうだね。もしかしたら居眠り、とか?」
れいは人差し指をぴんと立て、りんこの様子をうかがった。
あるいは、酒に酔っていた、とかかもしれない。
たしか、以前の事故も自動車の単独事故だったと思うが、巻き込まれた人や車がいなかったのは不幸中の幸いと言うべきか。
それにしても、事故が多い。
何か原因となるものがあるのだろうかと、れいはぼんやりと交差点を眺めた。
「あれ? あの運転手の人、どうしたのかなー? あっちに何かあるのかな」
りんこが不思議そうに言う。
れいが声につられて目を向けると、事故をおこした男性が何かを指差しているのが見えた。
どことなく、様子がおかしい。
「あっちにも誰かいるねー!」
再び、りんこの声で、れいが視線を動かす。
しかし、れいはこの時すでに嫌な気配を感じていた。この感じ、この気配には覚えがある。
交差点の反対側の歩道、横断歩道に差し掛かる手前のあたりに『ソレ』はいた。
ソレが視界に入った瞬間、強烈な悪寒に襲われる。
全身の産毛が逆立ち、風など吹いていないにも関わらず風圧を感じて一歩後ずさった。
周囲を行き交う警察官や救急隊員、消防士などには恐らく見えていない。
それがそこにいる事など、まるで意に介していないのが見て取れた。
ソレは、濃い灰色のレインコートを着た老人と、淡い水色のレインコートの子供。
それぞれ黒と青のゴム長靴を履いている。フードを目深にかぶっているため、顔はよく見えない。
雨など降っていないのに、全身がずぶ濡れだった。
見晴らしの良い安全だと思われる場所で、頻発する単独事故。
その原因は『アレ』ではないのか。
アレが何かしたと言うよりも、アレが見えた事により、アレに心を奪われて結果的によそ見運転をしてしまったのだとしたら。
しかし、今はそんな事はどうでもいい。
れいにはわかる。恐らく、れいだけがアレの正体に気がついていた。
幽霊。怨霊。オバケ。マモノ。
呼び方はともかく、常ならざる異形の存在。
れいの心臓が早鐘を打ち始め、膝がかくかくと笑う。
「れいちゃん。あの人たち、なんかおかしくない?」
りんこも、ようやくアレが生きている人間ではないことに気がついたのだろう。
珍しく青ざめた顔をして、声が震えていた。
「ね、ね、おかしいよね! へんだよねっ!」
「ああ、おかしいね。ほら、もう行こう」
れいは、りんこに短く答えると、その手をぎゅっと握った。
これ以上かかわるのは非常にまずい。
レインコートも充分ヤバいが、こっちにはさらにヤバい爆弾がある。
刺激したくない。どうなるかわからない。
れいの目に映る、もう一つの異形の影。
慌てるりんこの背後で、ぐるぐると渦を巻く赤と黒のどす黒い気配が見る間に大きく広がっていく。
「帰るよ、りんこ!」
一刻も早くこの場を離れたい。
りんこの手をにぎって、振り向こうとしたその瞬間、れいはレインコートの姿が無いことに気がついた。
あ、これ、やばいやつ。
れいが心のなかでつぶやく。
けれど、分かったところで、もう止められない。
背後に何かの気配を感じ、二人が振り向いたその瞬間、すぐ目の前にレインコートの老人と子供が立っていた。
その濁ったガラス玉みたいな、光を宿さない虚ろな目に、悲鳴をあげる寸前の、引きつった表情で目を見開く少女たちの顔が映りこむ。
―――――――――っ!?
絹を裂くような悲鳴をあげて、仲よく並んで尻もちをつく二人。
りんこと、れいは腰を抜かしてへたり込むと、お互いに手を取って握り合いながら、じわりと涙を浮かべる。
へなへなと女の子座りをする りんこのスカートの下から、アスファルトに黒い染みが音もなく広がっていった。
つづく
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