第一章 ビスケットサンド(1の5)


 直後に降り出した激しい雨。


 りんこと、れいは全身ずぶ濡れになりながら、ことば通り交差点を後にした。


 レインコートの老人と子供が追いかけてくる可能性も無いではなかったが、もともと数か月にわたって交差点に居座っている事からして大丈夫だろうと、れいは判断した。



「ふふ、りんこさ、漏らさなかった?」


 帰り道。

 からかうように、れいが言う。


 実際のところ漏らしているのだが、この雨が全てを覆い隠してくれていた。



「・・・・・・・・・・・・」


 うつむいたまま、静かにうなずく りんこ。


 その頷きはどちらの意味だろうと不思議に思ったが、れいは何となくそれ以上追求する気にならなかった。


 その後も、れいがあれこれ話しかけても、りんこはしおらしく頷くのみで、いつものおしゃべりはすっかり鳴りを潜めていた。



 通学路の分かれ道まで来たとき、少し心配だったけれど、きっと先ほどの恐怖のせいだろうと、れいは黙ってりんこの小さな背中を見送った。

 れい自身、この日は流石にひどく疲れていたので、早く温かいシャワーを浴びて休みたかった。



 ◇ ◇ ◇ ◇



 次の日、りんこは学校に来なかった。



『ごめんね、あの子ちょっと熱出しちゃって、二、三日お休みさせるかもしれないわ』



 放課後。

 れいが電話をかけると、受話器越しにりんこの母親にそう告げられた。少し、申し訳なさそうな声だった。


 雨にうたれたせいだろう。

 それに、りんこは小学生のころに病気で死にかけたことがあるそうで、両親は少々過保護ぎみなところがあった。


 れいは、昨日から降り続く雨の中、黄色い雨傘をさして一人学校を後にした。



「あっめあっめ降っれ降っれ母さんが、蛇の目でお迎えうっれしいな・・・・・・」



 ぼそぼそと歌を口ずさみながら、れいが歩く。

 傘とお揃いの黄色い長靴がちゃぷちゃぷと水を撥ね、その足取りはどこか軽やかだった。


 れいは雨が好きだ。

 傘をさしていれば嫌なものを見なくて済むし、雨音が聞きたくない嫌な言葉を遮ってくれる。



「ぴっちぴっち、ちゃっぷちゃっぷ、らんらんら......」


 楽し気に歩く れいの足はいつしか通学路を外れて、街はずれに向かっていた。



 ◇ ◇ ◇ ◇



 灰色のアスファルトに雨が打ち付けられる水音が辺りを覆っている。

 通る車も、歩く人も少ない真新しい路面に、昨日の事故のタイヤ痕が、やけにくっきりと刻まれていた。


 水たまりに信号機の点滅が反射して、ちかちかと輝く。



 れいは昨日と同じ場所に立ち、周囲を静かに見回した。



「いない、か」


 ほっとするような、残念がるようなつぶやき。

 辺りには人気ひとけもなければ、レインコートの老人と子供の姿も無い。


 ただ静かに雨音だけが響いていた。



「なにやってんだろ、あたし」


 れいは、一人肩をすくませる。

 自分でも何がしたいのかよく分かっていなかった。


 ただ、何となく気になって、気がついたらここに来ていた。


 あのレインコートの老人と子供の虚ろな目が、とても悲しそうに見えたから。


 れいに何ができるわけでもない。

 むしろ、また遭遇してしまったら、それこそ大変だ。



「うぅ、さむ。・・・・・・帰ろ」


 もう春とはいえ、雨のなか吹き抜ける風は冷たい。

 首筋をひやりと撫でられ、れいはぶるると身を震わせた。



 諦めて帰ろうと思ったその時、視界の隅にレインコートがひらりと動いた。


 びくり。

 れいが振り返ると、交差点の反対側に白いレインコートを着た小柄な人影が見えた。


 近くに古めかしい自転車が停めてある。

 どうやら幽霊ではないとわかり、れいはほっと胸を撫でおろした。



「何だろう、こんな場所に。しかも一人で」


 つぶやきながら、それは自分も一緒だったと思い至り、くすりと笑う れい。

 そして、歩行者用の信号が青に変わるのを待って、横断歩道を渡って行った。



 ◇ ◇ ◇ ◇



「あの、こんにちは・・・・・・」


 れいが遠慮がちに声をかけると、白いレインコートの人物がゆっくりと振り返った。



「こんにちは。おやおや、若い娘さんだねぇ。こんなとこでどぉしたぁ?」


 レインコートのフードの下で、顔中に深い皺が刻まれた老婆が、人の好さそうな笑顔を浮かべる。

 老婆は、ゴムの手袋に小さな園芸用のシャベルを握っていた。



「あ、えっと、なんて言うか。人探し、じゃなくて、探し物、かな」


 れいが自分でもよく分からないことを、しどろもどろになりながら言うと、老婆は目を細めて頷いた。



「そんならおんなじだねぇ。あたしもそうさぁ」


 そう言って、老婆は手に持ったシャベルを振って見せる。

 シャベルはずいぶんと使い込まれているようだった。



「あの、何を探してるんですか?」


 れいが尋ねると、老婆はふと悲しそうに目を伏せた。

 そして、背後に広がる原っぱに目を向ける。



 少しの沈黙の後、老婆はぽつり、ぽつりと話し始めた。


 それは、れいが知りたかった真実に、とても近そうな話だった。




 つづく

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