第一章 ビスケットサンド(1の3)
りんこの友だちである「れい」という少女。
実は、このれいというのは彼女の本名ではなく、りんこが勝手につけた愛称である。
その由来は、れい本人にとっては
それでいながら、不愉快にさせることなく、いつの間にか親しくなってしまうあたりは、りんこの特殊な人間性と言えるのかもしれない。
れいは、スラリと伸びた長い脚を無造作に大きく投げ出し、くたびれたベンチの背もたれに長身を預けると、紙製のカップに入った
しばしカップを眺めたあと、ほぅ、と吐息をもらす。
通学ルート上にある唯一のコンビニエンスストア。
幼い頃は、当時の店主である老婦人と同じくらいの歴史を感じさせる、なんとも慎ましい個人商店だったのだが、今では昼夜を問わず
周囲を見渡すと、ぬけるような青空と田植えを控えた
また、コンビニセンスストアの前には、ひび割れたアスファルトの道が真っすぐに伸びていて、道の両脇には満開の桜並木がどこまでも続いていた。
人や車の姿は無く、それはまさに絵に描いたような模範的な田舎の景色だった。
ここに腰をおろした時点では熱くて口をつけるのも
あの子はまだ悩んでいるのだろうかと、れいは少し首に負担のかかる姿勢で店内に目を向けた。
すると、それに合わせたかのように軽快な電子音が鳴り響き、お世辞にも流暢とは言えない日本語でのお礼のかけ声とともに、開いた自動ドアの奥から
通りすがりの他人に同学年だと
れいは同年代の少女より明らかに背が高い。その隣に同じく明らかに小柄なりんこが腰をおろした。
れいが脚を大きく投げ出して座る横で、りんこが地面に届かない足をぷらぷらと揺らす。
この光景を見る限りでは、姉妹どころか母子に思われても不思議ではないだろう。
淹れたてのコーヒーが飲み頃になる程度の時間を待たせていた友人に謝るでもなく、りんこは購入したばかりのアイスクリームの袋を嬉しそうに開けていた。
「それで、結局、何にしたの?」
正直それほど興味もないけれど、れいは待たされた原因の結果を確かめようと、
「んー、抹茶のモナ王」
りんこの手に、大ぶりな最中アイスが握られている。
手が小さいので、なんだかやたらと巨大に見えた。
「珍しいね。食べてるの、あんまり見たことない」
れいの言葉に、りんこは、「そぉ?」と小首を
身長差があるため自然と上目遣いになり、その仕草は同姓である れいから見ても、とても愛らしいものだった。
「れいちゃんは、コーヒーだけでよかったの?」
「ん。モナ王ひと口もらうし」
れいがコーヒーをすすりながら当たり前のようにそう言うと、りんこはその桜色の唇をうにゅっと尖らせた。
「えー、ひどくない? ……いいけど」
りんこが可笑しそうにころころと笑う。
そして、モナカをひとかけら、ばりっと手折ると、れいに差し出した。
断面からのぞく抹茶アイスの薄緑色が、とても爽やかだった。
◇ ◇ ◇
ロッテのモナ王。
モナカアイスのジャンルには、森永製菓のチョコモナカジャンボという最強の帝王が長年にわたって君臨している。
ロッテは、そこにあえて「アイスモナカの王道」という名を冠した商品を投入した。
奇をてらわないシンプルな味わいとし、ボリュームと満足感、コストパフォーマンスを重視したモナ王は、モナカアイスの定番商品の地位を確立し、幅広い層から多大な人気を博している。
(りんこ☆スイーツコレクションより)
◇ ◇ ◇
「おいし?」
アイスをかじりながら、りんこが横目で流し見る。
「ん。まあまあ」
うにゅ。
れいの返事が不満だったのか、りんこは再び
「そこはおいしいって言いなよ」
「じゃあ、おいしい」
ジトっとした半目のりんこに、れいは困ったように笑って答える。
「んっふふー、よろしい」
何故か得意げな表情で、大層ご満悦な様子のりんこ。
なんとも他愛のないやり取りだ。
れいは、普段からあまり感情を表情に出さない。
それに対して、りんこは感情表現がとても豊かで、目まぐるしく変化する表情は見る者を飽きさせなかった。
一見すると水と油のような二人だけれど、どういうわけか気が合うらしく、何だかんだでもう数年来の付き合いだ。
「今日はねー、緑がラッキーカラーなんだって」
制服の袖に隠れた小さな手で、大きなモナ王をしっかりと持ち、はむはむと
それで今日は抹茶なのか。
いちおう、ちゃんと選択した理由があるんだ。
れいは抹茶アイスの余韻をコーヒーの苦みと一緒に味わいながら、ぼんやりと感心する。
「やっぱり制服のサイズ大きすぎない?」
少し呆れたように、れいは言った。
明らかなオーバーサイズ。
セーラー服の袖は長すぎて手がほとんど隠れてしまっているし、丈も長すぎる。
まるで、漫画などでたまに見かける身体が小さくなる薬を飲まされたみたいだ。
ただそれでも、スカート丈はひざ上を固持しているのは乙女の矜持といったところだろうか。
「すぐにちょうどよくなるし」
モナ王をパクつきながら、さも当たり前のように答えるりんこ。
「中学の時も同じこと言ってた」
れいが肩をすくませる。
たしかに言っていた。
しかし、残念ながら卒業写真に写る姿は、入学式の記念写真とまったく変わっていなかった。
「高校では伸びるよ」
きっぱりと言い放つ。
その自信はどこから湧いてくるのか。
「来年には、れいちゃんと同じくらいになってるかもね。いや、もっとかも」
にしし、と笑う。
いや、さすがにそれは伸びすぎだろうと、れいはベンチからずり落ちそうになった。
しかし、りんこのその意味不明なポジティブさは称賛に値する。
「背も伸びるし、おっぱいも大きくなる」
本当にその自信はどこからくるのか。
あまりのドヤ顔に、れいは呆れた。
「そんなにいいものじゃない。背もおっぱ……胸も」
ため息まじりにつぶやく れい。
れいは背が高く痩せ型のわりに、出るところは出ている。
特に胸部に関しては「豊満」と表現しても差し障りないだろう。
だが、当の本人はそれを好ましく思わないどころか、鬱陶しくすら思っていた。
「服のサイズは見つからないし、重くて肩こるし、走ると痛いし」
デメリットをあげ始めればきりがない。
「でた。巨乳あるある」
りんこは信じられない、といったふうに目を丸くしている。
いつの間に話題が身長から胸のサイズに移ったのか。
「れいちゃん。たとえばだけれど、男の子ってみんなバッキバキに割れた腹筋に憧れるでしょう?」
みんな、と言うのはどうかと思うけれど。
まあ、そういう人も少なくはないだろう。
「それと同じで、女の子はみんなたわわなおっぱいに憧れるの」
それはどうかなあ。
れいは、なんとも判断に困ってしまう。
制服のサイズに触れたのは失敗だったかもしれない。いわゆる地雷というやつだ。
「そう言えば、ラッキーカラーとか気にすんだね」
なんとなく話題を変えたくなって、れいは少々強引にきりだした。
こちらにもそれほど関心はないが、たわわとやらよりは良いだろう。
「女の子なら気にするでしょ」
これまた断言。
れいは、段々と自分の常識が疑わしくなっていた。
「赤いものとか、黒いものは嫌い。赤って、怒っている色じゃない? 黒はなんだか怖い感じがするし。れいちゃん、よくそんな真っ黒なコーヒーとか美味しそうに飲めるよね。りんこはコーヒーとかぜったい無理だなー」
れいは驚いた。
感性が独特すぎる。
この子はコーヒーが黒いから飲めないのか。苦いからではなく?
「また難解なことを言うね。じゃあ、イチゴは?」
軽い頭痛を感じて、れいは額に手を当てた。
「イチゴは大好き! イチゴは怒っていても美味しいでしょ、ぜったい」
なるほど。
コーヒーもたぶん苦いから飲めないのだろう。
あまり真剣に考えない方がいいのかもしれないと、れいは一人納得する。
しかし、実はこのとき、れいはもう一つあることに驚いていた。
りんこの感性は独特だけれど、けっして間違ってはいない。
赤は怒っている色。
黒は怖い色。
ある分野では、それは極めて正しい。
れいは、りんこのうしろ、少し離れたあたりの虚空を見つめた。
コンビニエンスストアの駐車場。
一見、何もないその空間を、れいはじっと見つめている。
(そんなに睨まないでよ)
れいは、心の中でつぶやいた。
アイスを食べたせいではなく、背筋にひやりと冷たいものを感じる。のどが渇いて、耳鳴りがひどかった。
そう、そこには確かに何もない。
しかし、れいの目には、あるものがはっきりと映っていた。
幼い頃から、他の子には見えないものが、れいには見えていた。
それは、学校や駅、公園を始め、バス停やゴミ置き場など、街の至る所に存在する。
そして、それらの中でもとびきり凄まじいものが、いま目の前に立っていた。
駐車場の真ん中あたりで、じっとこちらを見ている何か。
赤と黒が、ぐるぐると渦巻く恐ろしい気配。
隣で、りんこが楽しそうに何か話しているが、れいはよく聞き取れなかった。
―――その時、どこか遠くで大きな音が轟いた。
「わっ!? びっくりしたー」
驚くりんこの声で、れいはハッと我に返った。
直前まで感じていた巨大な重圧は瞬時に掻き消え、代わりに全身から嫌な汗がふき出した。
どれくらいの時間が過ぎただろうか。
一瞬だったようにも、かなり長い時間だったようにも感じる。
れいの意識がようやくはっきりし始めた時、二人の目の前をパトカーと救急車がサイレンを鳴らしながら通り過ぎて行った。
「なになに? 事故かな?」
りんこは、緊急車両が向かった先を見ようと小走りにかけていった。
サイレンの音が
空を見上げると、先ほどまでの晴天が嘘のように、どんよりとした厚い雲で覆われ始めていた……。
つづく
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