第一章 ビスケットサンド(1の2)


 春 花の咲きの盛りの山辺には、風吹き渡りて跡なく散りゆくがごとく

 秋 まどかなる月の夜の美空には、雲わき出でてさやけき光を覆うがごとく

 ことに世は常ならず 人の命も今日ありて明日は知れずというなり



 四月某日、昼下がり。

 櫻の杜高等学校。


 定年間近、ベテラン感の漂う教師が読み上げる、何となく分かるような、分からないような、とても風流そうだけれど興味を引く以上に眠気をさそう呪文のような言葉を耳にしながら、全身で柔らかな日差しを感じている。


 窓の外に目をやると、ひらひらと風に舞う薄紅色の花びらがこれまた目に心地よく、肩口で揃えられた髪がそよそよと優しくなびく感触とあいまって、よりいっそうまぶたを重くさせた。


 遠く、街並みの向こうに見える山々の上には、どんよりとしたねずみ色の雲が立ち込めている。

 気まぐれな風向き次第では、やがて雨になるかもしれない。



「見納めかな、さくら」


 ほんの少し唇を尖らせ、りんこは誰にともなくつぶやいた。




 本日の全課程の終了を告げる鐘の音が響き渡る。

 教室のあちらこちらで、皆一様に背伸びをし、脱力したようなため息がもれ聞こえた。



「りんこちゃん、また明日」


 笑顔で手をふる隣の席の少女に、笑顔を返す。

 続けて数人と同じような他愛もないやり取りを交わしてから、りんこはようやく自分の帰り支度を始めた。


 真新しい革鞄の中身を丁寧に確認し、机の中を覗き込む。

 忘れ物がないことを確かめ、席を立とうと手足に力を込めたところで、再び声をかけられた。



「またなー、ちゃんと牛乳のめよー」


 まだ不慣れな新しいクラスの中、中学校から良く知る数少ない男子生徒の声が教室に響いた。

 その無遠慮な声に、他の生徒たちの間に押し殺したような笑いが広がった。



「うん、ありがとう。またね」


 なかば袖に隠れた小さな手を軽くあげ、目を細める。

 ほのかに目じりが上がっているため、どことなく仔猫を思わせる笑顔だった。


 男子生徒が立ち去ったのを目で追い、他からの視線が無いことをちらり確かめると、ひとこと。



「よけいなお世話だっつーの」


 んべっ、と赤い舌をのぞかせた。



 その時、教室の入り口から誰かの視線を感じ、りんこは慌てて舌をひっこめる。


 瞬時に、いつもの涼しげな表情に戻ると、内心の動揺などおくびにも出さずに、両手で革鞄を身体の正面にげ、足を揃えて、小首をわずかに傾けた。


 さらりと音もなく揺れた艶やかな髪の隙間から、小さく可愛らしい耳がちらりと覗く。


 りんこは澄まし顔で視線の主を視界におさめると、安堵あんどしたように肩の力を抜いた。



「なんだ、れいちゃんか」


 ぶしつけな物言いだけれど、声にも表情にもどこか嬉しそうな響きがある。


 にしし。

 少し変わった笑い方。

 りんこは仔猫みたいな顔で片手を上げた。




「・・・・・・終わった?」


 れいちゃん、と呼ばれた少女は、廊下から教室の中を覗き込むようにして立っている。


 一目で強く印象に残るほど背の高い女子生徒だった。

 あまり手入れの行き届いていない黒髪を無造作に腰あたりまで伸ばし、幾筋も垂れる前髪の間から青白い顔が見え隠れしている。


 和風の美人、と言っても障りない顔立ちだけれど、その表情は硬く、どこか陰鬱に見えた。

 とりわけ、まるで睨んでいるかのように見える鋭い目もとは周囲から嫌遠されるに十分すぎる迫力を宿している。


 はっきりと痩せ型の身体つきだけれど、胸もとは制服のリボンを押し上げるふくよかさを見せていた。

 

 小柄で、どちらかと言うとハツラツとした印象の りんことは様々な意味で対照的であるが、同じくらい独特の雰囲気の持ち主だった。




「いま終わったとこ。いっしょに帰ろっ!」


 りんこが、れいに向かって手を振り、小走りに駆け寄る。



「どこか寄っていく?」


 れいが問いかけると、りんこは目を細め、にっこりと笑った。



「もちろん! 今日はアイス日和だよ、れいちゃん」



 そして、また例のおかしな笑い方をした。


 にしし、と。





 つづく

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