交流試合

 ルエイン帝国第二十八闘技場では、たまに他闘技場の剣闘士を招いて交流試合を行っている。

 自分の闘技場に所属する剣闘士だけでは、どうしても組み合わせがマンネリになりがちだということもあるし、剣闘士にとって刺激になるという面もある。


 そのため、交流試合の申し込みについては、支障がない範囲で応じているのだが……。


「ふざけんじゃねえぞ! このインチキ野郎が!」


「あら、私はれっきとした女だけれど……そんなに男っぽく見えるのかしら」


「揚げ足をとってんじゃねえ!」


 艶のある女性の声と、猛々しい男の声が拡声魔道具によって響き渡る。


 事の発端は、先程まで行われていた剣闘試合だ。交流試合に志願してきた剣闘士を『紅の歌姫スカーレット・オペラ』レティシャが倒したのだ。


 そして、救護神官の治癒魔法のおかげで、剣闘士はすぐに意識を取り戻したのだが……自分が負けたことに納得がいかないようで、試合の間リングから下りずに再戦を要求しているのだった。


「ミレウス、どうするの? 強制的に退場させちゃおうかしら」


 関係者専用の観戦スペースで、少し憤ったようにヴィンフリーデは口を開く。


「実を言えば、こうなる気はしてたんだ。あの剣闘士は、魔術師が剣闘試合に出ることを許さないと豪語してたからな」


 だからこそ、俺は支配人室ではなく、試合の間リングに近い専用スペースで試合を観ていたのだ。


 それに、試合ばかり観ているわけにはいかない支配人業だが、交流試合ともなれば話は別だ。向こうの闘技場の手前もあるし、どのみち支配人として顔を出すことは必要だった。


「それなら、どうして交流試合を引き受けたの? なんだかミレウスらしくないわね」


 俺の言葉を聞いて、ヴィンフリーデは不思議そうに首を傾げた。


「冗談でレティシャにその話をしたら、『私がとっちめてあげるわ』ってやけに乗り気になってさ……」


「ミレウス、借りを一つ作っちゃったのね」


「それを言うなよ……」


 そんなやり取りをしながら、俺はレティシャと剣闘士の動向を見守る。怒り狂う剣闘士と、その怒りを流しているのか煽っているのか分からない『紅の歌姫スカーレット・オペラ』。


 その二人のやり取りだけでも賑やかなのに、『紅の歌姫スカーレット・オペラ』には熱狂的なファンが大勢いる。


 彼らが『俺たちの『紅の歌姫スカーレット・オペラ』を舐めるな! 一度戦わせてもらっただけでも良かったと思え!』だとか、『レティシャお姉さま! そんな見苦しい男は再起不能にしてやってくださいまし!』などと盛り上げているものだから、もう止まらない。


「だいたい、開始位置が遠すぎんだよ! 魔術師ばかり依怙贔屓えこひいきしやがって、ここの支配人はクズ野郎だ! お前らクズ同士でよろしくやりやがって……!」


 その魔術師に負けたことで、プライドが大きく傷ついたのだろう。彼は怒りに燃えた瞳でレティシャを睨みつけていた。


「――いいわ。そこまで言うのなら、もう一度戦いましょう?」


 どうやら、レティシャは再戦に乗り気であるようだった。そんな彼女を見て、剣闘士――マケインとかいう名前だったか――はニヤリと笑う。


「……もちろん、今度は『普通の剣闘試合の開始位置』で始めるんだろうな?」


「な――」


 思わず声がもれる。


 戦士と魔術師が対戦すると、どちらが勝つか。それは各々の技量や得意分野にもよるが、基本的に、距離が近ければ近いほど戦士に有利となる。


 魔法の発動にはそれなりの精神集中や詠唱が必要であり、試合開始直後に魔法を放つことは難しい。

 だからこそ、俺は試行錯誤を重ねて、近すぎもせず遠すぎもしない距離を模索したのだ。


「じゃあ、あなたがいいと言う距離まで近付こうかしら」


 だが、『紅の歌姫スカーレット・オペラ』は艶然と微笑んだ。それどころか、自ら剣闘士に向かって歩いていく。


 その様子を見て、マケインは剣を構える。


「へっ、ようやく覚悟を決めやがったか。その綺麗な顔を苦痛で歪ませてやるよ――おっと、その辺でいいぞ」


「……分かったわ」


 マケインがレティシャを制止したのは、たったの三メテルまで近付いた時だった。踏み込み一つで剣が届く距離と言っていいだろう。


「てめえ! 汚ねえぞ!」


「一度負けた奴が図々しい!」


 観客から非難の声が上がるが、本人が気にした様子はない。


「お前らが俺たち戦士に勝てるのは、開始位置が不公平だからだ。距離さえまともなら、俺が負けるはずがねえ」


 言って、彼は腰を沈めた。身体のバネを溜めて、試合開始と同時に最高の一撃を当てようとしていることは明らかだった。


 いくら『紅の歌姫スカーレット・オペラ』でも対処は難しいだろう。最悪の未来を予想して、俺は思わず立ち上がった。


「どうするの?」


「救護神官の確認と、万が一に備えて、あいつを強制退場させるための人員の手配だ」


 うちの闘技場では固く禁じているが、剣闘試合において、意図的に相手を殺害しようとする剣闘士は少なからず存在する。


 神官による治癒魔法が当たり前になっている闘技場だが、死んでしまえば生き返らせる手段はない。そこを狙って、相手を死ぬまで攻撃しようとするのだ。


「私が行ってくるわ。ミレウスは臨機応変に対応できるようここにいて」


 そう言い残すと、ヴィンフリーデは足早に去っていく。その姿を見送っていると、テンションの高い実況者の声が響いた。


「それではあぁぁぁ! ウェルヌス闘技場の威信を背負って現れた『剛力』マケイン・ランバック対『紅の歌姫スカーレット・オペラ』レティシャ・ルノリアァァァ! 始めぇぇぇッ!」


「――っ!」


 思わず声が漏れる。予想通り、マケインは開始直後の速攻を狙っていたのだ。開始の合図と同時に、見事な速度で『紅の歌姫スカーレット・オペラ』に迫る。


 だが――マケインが振るった剣は、そのままレティシャの身体をスッと通り抜けた。


「なにっ!?」


 マケインは驚愕の声を上げた。剣を空振りしたことで、バランスが崩れてたたらを踏む。その様子からすると、レティシャの姿は幻影だったのだろうか。


 彼は後ろに跳ぶと、『紅の歌姫スカーレット・オペラ』から距離をとった。


「てめえっ! 騙しやがったな! 本体はどこだ!」


「あら、私は言ったわよ? 『あなたがいいと言う距離まで近付く』って」


「くそっ、出て来い!」


 どこからともなく響く『紅の歌姫スカーレット・オペラ』の声に囲まれて、マケインは焦燥に駆られているようだった。


「まさか、こんなに遠い距離でOKを出してくれるなんて……あなたって紳士的なのね」


 それは優しいとすら言える声色だった。そして直後、美しい音色が試合の間リングに響き始める。


「なんて綺麗な詠唱だ……」


「まるで天上の音楽みたい……」


 観客が口々に声を上げる。『紅の歌姫スカーレット・オペラ』の音楽的な詠唱は有名であり、彼女の声を聞くために闘技場へやってくる人間もいるほどだ。


 だが、それを楽しむことができない人間が一人だけ存在する。


「くそっ、魔術師ごときに……!」


 マケインは必死の形相で走り回る。レティシャを探すためでもあるだろうが、それよりも魔法攻撃の狙いを定められないように、という面が大きいのだろう。


 たまにジグザグに動いたり、急に横や後ろに跳んだりしているのも、そう考えれば納得できた。


「――おやすみなさい。『白室天鼓エクスキューション』」


「うぉっ!?」


 マケインの足下から冷気が噴き出る。冷気はすぐに氷の監獄となり、その内部ではチカチカと何かがスパークしていた。


「これは……まさか雷――」


 逃げ場のない氷牢の中を、無数の雷球が飛び回る。見た目は美しい魔法だが、中に標的が閉じ込められている場合は、なかなかに強烈だ。


「うわあぁぁ!」


 マケインの悲鳴が上がる。レティシャのことだから殺しはしないだろうが、雷球の数が多いことからすると、けっこう怒ってたみたいだな。


 やがて雷球は姿を消し、次いで氷の監獄が消滅する。そこに残されたのは、完全に気絶したマケインの姿だった。


 さらに、その近くの空間が揺らめいたかと思うと、レティシャが姿を現す。光魔法で透明化していたのだろう。

 いつの間に姿を偽物と入れ替えたのか分からないが、見事な手腕だった。


「勝者あぁぁぁ! 『紅の歌姫スカーレット・オペラ』レティシャ・ルノリアァァァッ!」


 勝負は決まったと判断した実況者が声を上げる。レティシャが笑顔で手を振るたび、観客たちの歓声が闘技場を揺るがしていた。




 ◆◆◆




【『紅の歌姫スカーレット・オペラ』 レティシャ・ルノリア】




「――まったく、心臓に悪かったぞ」


「ありがとう、心配してくれたのね」


 交流試合を終えた後。レティシャは支配人室を訪れていた。


 いつもなら、ミレウスは支配人の執務椅子に座り、彼女がその横からちょっかいをかけているところだ。

 だが、今の二人が腰掛けているのは、来客用のソファーだった。そこにはミレウスなりのねぎらいの気持ちがあるのだろう。


「観客の前で私たちを馬鹿にしたのだから、あれくらいは必要かと思ったのよ」


「まあ、かなり魔術師に敵意を持っていたようだしなぁ……」


 なるほど、とミレウスは相槌を打つ。だが、レティシャは首を横に振った。


「今の『私たち』は、私とミレウスのことよ?」


 レティシャの答えを聞いて、ミレウスは一瞬きょとんとした後、納得したように微笑んだ。


「……ああ、ありがとう、レティシャ」


 その言葉に嘘は感じられない。だが、レティシャはかすかな溜息をついた。嘘は感じられないが、気遣いは感じられるからだ。


「もう……これじゃ私が恩を押し売りしたみたいじゃない」


「いや、本当にそんなことは思ってないが……」


「それが分かっているから、余計に私が恥ずかしいのよ。ミレウスって、自分が馬鹿にされることには寛大よねぇ……」


 しみじみと呟く。闘技場や剣闘士を馬鹿にされた時は意外と沸点が低いミレウスだが、自分自身に対する罵倒にはあまり反応しない。


 自分を強く持っているが故の無反応であれば問題ないが、ミレウスの場合、自分自身に対する諦めのようなものが垣間見える時があり、それが原因ではないかとレティシャは考えていた。


 それは、テキパキと仕事をこなしている普段のミレウスを見ているだけでは、決して気付かない側面だ。それが何に起因するものなのか、レティシャは未だ掴みきれずにいたし、それをもどかしく思っていた。


「ともかく、これで魔術師否定派も少しは大人しくなるだろう。マケインは『魔術師ごときに遅れは取らない。奴らはイカサマ師と同じだ』と豪語していたそうだし」


「あら、ご挨拶ね……もっと強烈な魔法を使えばよかったわ」


 レティシャの言葉にミレウスは笑う。


「声の大きい剣闘士だったから、影響力もそれなりに見込めるはずだ。これを機に、否定派をもう少し縮小させたいところだが……」


 ミレウスの顔つきが変わる。それは、闘技場の支配人としてたまに見せる顔であり、レティシャが好きな顔でもある。


 その表情を見つめているうち、彼女はミレウスと初めて会った時のことを思い出した。


『多彩な魔法を扱う魔術師として名高い貴女に、魔法を教わりたいのです』


 はっきりとは思い出せないが、あの時のミレウスは、普段は見せることのない雰囲気を纏っていたはずだ。


 その後、今度は闘技場の支配人として現れ、レティシャを剣闘士として勧誘してきた時のミレウスは、すでにレティシャの知っているミレウスだった。


 ――あの時、私が魔法を教えることができていれば、何かが変わっていたのかしら。


 結局、ミレウスには魔力があるものの、魔法との相性が致命的に悪いことが明らかとなり、レティシャは彼に魔法の手ほどきをすることを断念していた。


 そのことを伝えた時、ミレウスは怒ることもなく、悲嘆にくれることもなく、ただ透明な微笑みを浮かべていた。


 ミレウスが抱えているであろう、なんらかの事情。彼女が集めた話では、彼はこの闘技場の経営を小さな頃から手伝っていたという。

 事実、彼は年齢にそぐわない経営手腕でこの闘技場を運営している。闘技場ランキング十四位という位置づけも、この闘技場の規模を考えれば破格といっていい。


 魔術師を剣闘士として登録したことには賛否両論があるが、当初は否定派の声がとても大きかったことを考えると、現状はミレウスが上手く事を運んだ結果だと言えるし、その手腕を評価する声は多かった。


 それなら、何がミレウスの翳りを生んでいるのか。レティシャはつい口を開く。


「ねえ、ミレウス?」


「ん? どうかしたか?」


 考え事をしていたせいか、ミレウスの返事は少し上の空だった。


「……ちょっと声を聞きたかっただけよ」


「なんだそりゃ……」


 踏み込む勇気は、まだなかった。

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