巫女と歌姫 Ⅱ

 闘技場の支配人室で出会った『紅の歌姫スカーレット・オペラ』レティシャ・ルノリア。彼女の姿を見ているうち、シンシアに一つの疑問が浮かんだ。


スカーレットは分かりますけれど、どうして歌姫オペラなんですか?」


 レティシャを目にした瞬間、印象に残るのは艶やかな紅髪だ。装飾品も赤系統のものが複数あり、そっちについては理解できる。

 だが、歌姫のほうはよく分からない。舞台や歌劇が好きなだけに、シンシアは興味を引かれていた。


「そのままだ。レティシャの試合を観れば分かるさ」


「シンシアさんは『紅の歌姫スカーレット・オペラ』の試合を観たことはあったかしら?」


 ミレウスの回答に首を捻っていると、ヴィンフリーデが口を挟んでくる。


「はい、一度救護担当の日と重なっていましたから」


「じゃあ、その時に歌声のような響きが聞こえてこなかった?」


 言われて、シンシアは少し前の試合を思い出そうとした。だが、普段よりテンションの高い怪我人が多かった、という記憶しか出てこない。


「すみません……」


「救護室は防音性が高いからな。聞こえなくても無理はないか」


 謝るシンシアをフォローするように口を開くと、ミレウスは言葉を続けた。


「『紅の歌姫スカーレット・オペラ』は、試合中に歌うんだよ」


「歌う……?」


 シンシアは思わず『紅の歌姫スカーレット・オペラ』を見た。試合中に歌うと言われてもイメージが湧かない。

 変わった人だな、とは思うものの、具体的な情景は浮かんでこなかった。


「ちょっと、それじゃ私が好きで歌ってる変わり者に思われるじゃない」


 ミレウスの説明にレティシャが抗議の声を上げる。そして、彼女はシンシアに向き直った。


「論より証拠、見せてあげる」


「えっ?」


 シンシアは困惑した。見せるとはどういう意味だろうか。


「レティシャ、この部屋に穴を開けたら怒るからな」


 すると、ミレウスが『紅の歌姫スカーレット・オペラ』に釘を刺す。だが、彼女はこちらを見て楽しそうに微笑んだ。


「大丈夫よ、シンシアちゃんは『天神の巫女』なんでしょう? 噂通りなら、中級魔法程度は簡単に防げるはずよ」


「ええっ!?」


 唐突に指名されたシンシアは再び声を上げた。それは、つまり――。


 レティシャの魔力の動きを察知したシンシアは、とっさに魔法障壁を展開した。その直後、部屋に不思議な音色が聞こえてくる。


「これは――?」


 思わず耳を澄ます。人の言語ではないが、何かしらの明確な目的を持った音の羅列が、軽やかにリズムを刻んでいく。

 その音色の源が『紅の歌姫スカーレット・オペラ』だと気付き、シンシアは驚きに目を見張った。


蒼光鎖ルミナスチェーン


 部屋を流れていた旋律に、初めて意味を成した言葉が加わる。その瞬間、『紅の歌姫スカーレット・オペラ』の周囲から幾筋もの光条が飛来した。


「鎖……?」


 魔法障壁に弾かれて消えていく光を見たシンシアは、それが鎖の形をしていることに気付いた。


 合計六本に及ぶ光の鎖は、様々な軌道を描いてシンシアに迫る。だが、それらの鎖はすべて魔法障壁によって弾かれ、青白い光を放って消えていった。


 その様子を見ていたレティシャは、感心したように口を開いた。


「さすがね……拘束魔法だから殺傷力はないけれど、並の障壁ならあっさり貫通する子なのに」


「ええと……」


紅の歌姫スカーレット・オペラ』の素直な称賛を受けて、シンシアは戸惑った。そこへミレウスが感心したように口を開く。


「拘束魔法か……ちゃんと気を使ったんだな」


「もちろんよ。こんなにかわいい女の子に怪我をさせるわけないでしょう?」


 そう答えた後で、彼女は悪戯っぽく片目を瞑る。


「……とは言っても、シンシアちゃんみたいに高レベルの魔法障壁を展開できる子は珍しいから、色々試してみたい魔法はあるのよね」


「えっと、それは――」


「レティシャ、シンシアは仕事を終えたばかりなんだから、あまり負担をかけないでくれ」


 シンシアが角の立たない断り方を探していると、ミレウスが助け舟を出してくれる。その言葉にこくこくと頷いてみせると、『紅の歌姫スカーレット・オペラ』はわざとらしく口を尖らせた。


「はーい。今日のところは我慢するわ。……シンシアちゃん、気が向いたらいつでも訪ねてきてね?」


 くるりとシンシアのほうを向くと、レティシャはにこりと微笑んだ。その期待するような瞳の輝きに気圧されて、つい視線を逸らしそうになる。


「ところで……シンシア、納得したか?」


「えっ?」


 そこへ、いいタイミングでミレウスが話しかけてきた。一瞬なんのことか分からなかったシンシアだが、やがて今の一幕の目的を思い出す。


「は、はい! とっても綺麗な声でした!」


 大きな声が口をついて出る。『紅の歌姫スカーレット・オペラ』の名前の由縁を、シンシアは大きな納得とともに受け入れていた。


「私はよく歌劇を観に行くんですけど、その……主演の人たちに負けないくらい素敵な歌声でした!」


 それはお世辞でもなんでもない、シンシアの心からの賛辞だった。もし魔法障壁を展開するような場面でなかったなら、シンシアは彼女の歌声に聞き惚れていたことだろう。


「あら……ありがとう、嬉しいわ」


 だが、賛辞を受け取った『紅の歌姫スカーレット・オペラ』は少し慌てた様子だった。その態度を不思議に思っていると、ミレウスが笑い声を上げた。


「シンシア、心配しなくていいさ。レティシャは照れているだけだ」


「え?」


 思いがけない言葉を聞いて、シンシアは目を丸くした。場合によっては妖艶な印象すら受ける『紅の歌姫スカーレット・オペラ』だが、それがすべてではないようだった。


「……ミレウス、いい男は余計なことを言わないものよ?」


 先入観のせいか、そんな『紅の歌姫スカーレット・オペラ』の抗議も照れ隠しに聞こえてくる。


「俺はいい男じゃなくて支配人だからな」


「あら、支配人がいい男じゃ駄目なのかしら」


 二人のやり取りを眺めていると、やがて『紅の歌姫スカーレット・オペラ』がシンシアに話しかけてきた。


「ところで、私がどうしてあんな詠唱をしているか分かった?」


 それは唐突な質問だ。だが、シンシアにはふと閃くものがあった。


「神官が行う大掛かりな儀式魔法には、歌が組み込まれていることがあります。ひょっとして……?」


 すると、『紅の歌姫スカーレット・オペラ』は嬉しそうにシンシアの両肩を掴んだ。


「そうなのよ、よく分かったわね。神官の祝詞とは異なるけれど、私の魔法詠唱には呪歌をブレンドしているの。すぐ気付くなんて、シンシアちゃんは本当に優秀なのね」


「いえ、たまたまです……」


 謙遜するシンシアだが、その脳裏を疑問がかすめた。


「それって、私に教えてよかったんですか?」


 魔術師の魔法にはあまり詳しくないシンシアだが、魔法詠唱に呪歌を組み込むことが革新的だということくらいは分かる。その秘密をあっさり暴露してよかったのだろうか。


「もちろんよ。せっかく生み出した魔法や技術なのに、自分しか知らないなんてもったいないじゃない。たとえ私が死んでも、この子たちは残り続けることができるんだから」


 今のところ真似できた人はいないけどね、と『紅の歌姫スカーレット・オペラ』は苦笑を浮かべる。

 彼女の矜持を垣間見た気がして、シンシアは自然と背筋を伸ばした。


「……とまあ、そういうことだ。シンシア、引き留めて悪かったな」


「いえ、とても勉強になりました」


 言ってから、シンシアはふとミレウスの手元に視線を落とした。今もその手にはペンが、机の上には紙が置かれている。


「じゃあ、今考えているのも、誰かの闘技場での二つ名なんですね?」


「うーん……似たようなものだが、ちょっと違うな。これは剣闘士の技名だよ」


「技名、ですか?」


 シンシアはきょとんとした表情で訊き返した。


「上位の剣闘士ともなると、得意技の一つや二つはあるからな。その技に名前を付けることで、実況者は盛り上げやすくなるし、お客も話題にしやすくなるだろう?」


「そんなことが……知りませんでした」


 考えてみれば当然の話だ。ひとりでに名が付くはずがないのだから、技名を考えた人間は必ずいるはずだった。


「――そして、魔法もね」


 そこへ口を挟んできたのは『紅の歌姫スカーレット・オペラ』だった。ミレウスに視線を送りながら、彼女は口を開く。


「私、魔法を編み出すのは好きだけど、名前を考えるのは苦手なのよ。だから、最近の魔法名は全部ミレウスに考えてもらっているのよね。今も、新しい魔法の名付けをお願いしてるわ」


「あ、それで……」


 この部屋に入った時の二人の会話はそういう意味だったのかと、シンシアは今さらながら納得した。


「……いつまでもミレウスの邪魔をしていると悪いし、そろそろ帰るわね」


 と、視線を窓へ向けたレティシャが口を開く。彼女の視線を追うと、そこにはすっかり暗くなった空があった。


「それじゃ、またね」


 そう言い残すと、レティシャは支配人室を出て行く。その素早い動きについていけず、シンシアはその後ろ姿を見送った。


「唐突に来て、唐突に帰ったな……」


「レティシャさんだもの。しつこくしないように、気を遣っているのじゃないかしら」


「一応、魔法名の候補は考えてたんだけどな」


「そういうことは先に言ってあげなさいよ。ミレウスに名前を付けてもらうの、いつも楽しみにしているんだから」


「他に適役がいそうだけどなぁ……」


 ヴィンフリーデの言葉に、ミレウスは複雑な表情を浮かべる。その表情は照れているというよりは、本当に悩んでいるように見えた。


「あの……」


 そのせいもあって、シンシアはつい口を開いた。


「ミレウスさんは、本当は名付けが嫌いなんですか?」


 すると、ミレウスは困ったように視線を泳がせた。しばらく黙っていたかと思うと、苦笑を浮かべて答える。


「嫌いというわけじゃないが……闘技場の二つ名も魔法名も、長年使い続けるものだからな。俺じゃなければ、もっといい名前を付けられたんじゃないかと思ってしまう」


「ミレウスの付ける名前、少なくとも私は好きよ? それに、いつも堂々と二つ名を発表してるじゃない」


「名付け親が付けた名前を否定するなんて、相手に失礼すぎるからな。そんな態度は意地でも見せないさ」


「ミレウス、そういうところは本当に真面目よねぇ」


 ヴィンフリーデは感心したように呟く。そんなやり取りを見て、シンシアは思わず口を挟んだ。


「でも、ミレウスさんはとっても悩んで名前を付けてるんですよね? 今だって、ずっと考え込んでましたし」


「ん? そりゃ真面目に考えてるさ。一生ものだと思うと、特にプレッシャーがかかるしな」


「それだけ真剣に考えているから、ミレウスさんの名付けが人気なんじゃないでしょうか」


「うーん……努力は重要だが、結果が伴うとは限らないからなぁ」


 だが、ミレウスの返事は鈍いものだった。シンシアは一歩踏み出す。


「それでも、です。真剣に考えた名前なんですから、ミレウスさんが気後れする必要なんてないです。後は、その人の好みの問題ですから」


 シンシアは力強く言い切る。自分でも不思議なほど真剣な口調だが、ミレウスの苦笑を見ていると、どうしても言いたくなったのだ。


 すると、ミレウスは驚いたように目を見開いた後で、小さく笑った。


「……そういう考え方もあるかもしれないな」


「本当に嫌なら断ってくるでしょうしね」


 ミレウスが呟くと、ヴィンフリーデも同意を示す。その様子は、どこかほっとしているように見えた。


「ほら、フィエル君なんか堂々と考え直しを求めてきたじゃない」


「『疾風迅雷スピードスター』か……。あいつは性格的なものもあるだろうけどな」


「ふふ、そうかもしれないわね」


 そんな二人の会話を聞いて、シンシアは口を挟む。


「あ、それじゃ……『極光の騎士ノーザンライト』さんのお名前も、ミレウスさんが付けたんですか?」


「……いや、そうじゃない。アレは勝手に付けられた名だ」


 虚を突かれたのか、ミレウスの返事は一拍遅かった。


「『極光の騎士ノーザンライト』が全力で戦うと、たまに変色光を纏うらしい。その様子を見ていた誰かが付けたんだろうな」


 ミレウスの言葉を受けて、シンシアは『極光の騎士ノーザンライト』の姿を思い描く。直に見たことはないが、絵姿くらいは見たことがある。たしか銀色の全身鎧フルプレートだったはずだ。


「光ですか?」


「そのせいで、天神の加護を受けた戦士じゃないかって言われることもあったな」


「あ……極光、だからですか」


 極光は、一部の地方で見られる天空の発光現象だ。様々な色の光のカーテンが織り成す空は幻想的であり、古くから天神の奇跡だと言われている。

 となれば、そのイメージを『極光の騎士ノーザンライト』に重ね合わせる人間がいてもおかしくはない。


「たしかに、マーキス神の加護を強く受けた『聖騎士パラディン』は稀に存在しますけれど……最後に現れたのは数十年前だったはずです」


 そして、『極光の騎士ノーザンライト』が神殿関係者であるという話を聞いたことは一度もない。この街のマーキス神殿に所属しているシンシアが知らない以上、本当に関係ないのだろう。


「なんだけど、今も『極光の騎士ノーザンライト』と天神を結び付けようとする人は一定数いるからなぁ。『極光の騎士ノーザンライト』も紛らわしい発言をしないよう気を遣っているようだし」


「『極光の騎士ノーザンライト』さんも気を遣ってるんですか……?」


「天神の使徒だと吹聴したら、マーキス神殿を敵に回しそうだからな」


「意図的であれば、そうかもしれませんけど……」


 その言葉で、ミレウスが正体不明の『極光の騎士ノーザンライト』とコンタクトが取れる唯一の存在であることを思い出す。

 一人で『極光の騎士ノーザンライト』の窓口を担っている以上、それに伴う苦労は多いのだろう。


「……?」


 と、そこまで考えた時、シンシアは小さな違和感を覚えた。


 だが、その理由がまったく分からない。啓示の類かとも思ったが、神の存在を近くに感じるわけでもない。シンシアは思わず首を傾げる。


「シンシア、どうかしたか?」


「な、なんでもありません!」


 やがて我に返ったシンシアは、慌てて返事をする。ミレウスは不思議そうな顔をしていたが、それ以上尋ねてくることはなかった。


「あの、そろそろ私も失礼しますね。また四日後に来ますから、よろしくお願いします」


「ああ。シンシア、今日もありがとう。またよろしく頼む」


「はい!」


 最後にぺこりとお辞儀をすると、シンシアは支配人室を退室した。


「ミレウスさん……やっぱりいい人ですよね」


 そして、人気のない廊下で一人呟く。ガロウド神殿長に報告した内容は間違っていなかったはずだ。剣闘士の二つ名にしても、ちゃんとした人間でなければ、あんなに真剣に悩んだりしないだろう。


 そう結論付けると、シンシアは闘技場の出入口へ歩き出す。その足取りは、いつもより少し軽いものだった。

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