巫女と歌姫 Ⅰ

【天神の巫女 シンシア・リオール】




「ミレウスさん、ですか?」


「うむ。支配人はどのような人物かの?」


 帝都マイヤードにあるマーキス神殿。歴史の浅い街に建立された神殿ではあるが、その規模はかなり大きい。


 その大規模な神殿を束ねる神殿長、ガロウド・ディルヴァに話しかけられたシンシアは、思わず背筋を伸ばした。


「なんだか不思議な人です。その、剣闘士の方々とも少し違いますし、闘技場の職員さんとも違っていて……」


 ミレウスの顔を思い浮かべると、シンシアはぽつりぽつりと口を開く。第二十八闘技場へ派遣されて一か月近く経つが、彼女はまだミレウスという人物を推し量りかねていた。


「いつも忙しそうですけど、時々ボーっとしています。あと、よく話をごまかされるような……あ、でも、意外といい人だと思います」


 そもそも、シンシアは自分の観察眼に自信がない。言ってから、人物評としてはあまりに拙い言葉だと気付き、恥ずかしさで顔が赤くなる。


「ほう……意外といい人、か」


 だが、ガロウド神殿長が気にした様子はなかった。それどころかシンシアの言葉に興味を示す。


「魔術師を剣闘士として出場させるような革新的な人物じゃ。良くも悪くもギラギラしているようなイメージを持っていたが……そうか、意外といい人か」


 ガロウドは面白そうに笑う。


「魔術師を参加させたせいで、闘技場の怪我人は増えたと思います。ただ、ミレウスさんは怪我人を出さないようにしたいって、そう言っていました」


「それは、剣闘士も含めて、かね?」


「そこは譲れないそうです。……あ、でも、剣闘士に怪我をしてほしいんじゃなくって、怪我を気にして試合ができなくなっちゃダメとか、そういう意味で……」


 シンシアの口から、なぜか弁解の言葉が零れ出る。天神の神官は闘技場をよく思わない者が多い。神殿長もその一人だろうかと思うと、勝手に口が動いたのだ。


 だが、神殿長の言葉は予想外のものだった。


「まあ、あやつの弟子なら当然じゃろう」


「……え?」


 その言葉に、シンシアはきょとんとした。今の言い方では――。


「神殿長は、ミレウスさんのことを何かご存知なんですか?」


「残念ながら、支配人のことは知らぬ。じゃが、師匠のほうとは縁があっての」


 シンシアは驚く。神殿長の人脈にも驚いたし、あの飄々としたミレウスの師匠に至っては想像もつかなかった。


「名をイグナート・クロイクと言ってな。随分と面白い男じゃった」


「イグナートさん、ですか……?」


 シンシアは目をぱちくりさせる。記憶にない名前である以上、黙って話を聞くしかない。だが、ガロウド神殿長は意外そうに眼を瞬かせた。


「ふむ? ……シンシア司祭はどこの出身だったかね?」


「シルフォードの街です。一年前までは、ずっとそこに住んでいました」


 答えを聞いて、神殿長は納得したように頷く。


「なるほどな……それでは、知らぬのも無理はないか」


「あの……?」


 一人で納得する神殿長に、シンシアは我慢できず問いかける。すると、彼はゆっくり口を開いた。


「……昔、この街には有名な剣闘士がおってな。今では『極光の騎士ノーザンライト』や『大破壊ザ・デストロイ』が闘技場の覇者と呼ばれておるが、二十年ほど前の覇者と言えば、奴のことじゃった」


 神殿長は懐かしそうに目を細める。


「しかしある日。イグナートは闘技場からいなくなった。突然いなくなった覇者について憶測が飛び交ったが、真実はじきに知れた。

 あやつは、冒険者として世界を飛び回っていたのじゃ。もともと気ままな性格じゃったから、それを不思議に思うものはおらなんだ」


「そうなんですか……」


 相槌を打ちながらも、シンシアはその人物のイメージをつかめなかった。ミレウスとあまり似ているように思えなかったからだろうか。


「そうして時は流れ、あやつは有名な冒険者の一人となった。凶悪な竜との戦いや、古代遺跡の発見を通じて、大きな富も得た。

 そして、所属していた冒険者パーティーが解散した時、あやつはこの街に戻って来たのよ。『やっぱり闘技場が性に合う』と言ってな。さらに、冒険で得た金銭と名声を使って自分の闘技場を建てはじめた」


「凄い人なんですね……」


 さらりと語られたせいで実感が湧かないが、英雄譚が作られてもおかしくないレベルの功績だ。


 と、そこまで聞いたシンシアは、一つの疑問を抱いた。


「あれ? じゃあ、ミレウスさんも剣闘士……?」


 そのイグナートという人物が剣闘士であるのなら、その弟子であるミレウスもまた剣闘士ということにならないだろうか。


「ふむ……剣闘士として戦っているところを見たことはないが、イグナートに剣を教わる光景を見た記憶がある」


「それじゃ……?」


「じゃが、それ以上に闘技場の運営絡みで姿を見た気がするのぅ。……イグナートは最高の戦士じゃったが、経営のほうはからっきしでな。よくその手伝いをしていたものよ」


 そちらの言葉については、シンシアも納得できるものだった。他の闘技場の支配人と比べて、ミレウスは明らかに若い。おそらく二十歳前後だろう。にもかかわらず、彼の支配人としての采配を非難する闘技場スタッフは少なかった。


「まあ、戦いのセンスは『金閃ゴールディ・ラスター』が受け継いでいるようじゃからな。世間一般では、あやつの弟子は『金閃ゴールディ・ラスター』ただ一人ということになっているしのぅ」


 仕事柄と言うべきか、『金閃ゴールディ・ラスター』のことはシンシアもよく知っている。

 帝都ランキングでも上位に位置しており、彼が『大破壊ザ・デストロイ』を倒して一位に輝くことを期待している人間は多い。


 そのため、『金閃ゴールディ・ラスター』の師が有名な剣闘士であることに驚きはなかった。


「でも、それじゃなんだか……」


 だが、シンシアは思わず口を開いた。


「ふむ……?」


「いえ、かわいそうだな、って。自分の存在を否定されて、寂しくないんでしょうか」


「剣の弟子であるなら、な。そもそも、あの支配人の素性はよく分からぬ。『金閃ゴールディ・ラスター』のように、優れた師を求めて押しかけるような性格にも思えぬしの」


「そうなんですか?」


 マーキス神殿は大陸中に根を張る巨大な組織だ。その神殿長でも素性が分からないという事実に、シンシアは目を丸くした。


「じゃあ、それで……?」


 シンシアはふと呟く。そして、神殿長はその小さな声を聞き逃さなかった。


「それで、とは何かね?」


「その……たまに窮屈そうというか、追い詰められているような雰囲気があって……」


「ふむ……?」


 ガロウド神殿長は興味深そうな顔で豊かな髭に手をやった。だが、それについて詮索するつもりはないようだった。


「なんにせよ、同情されて喜ぶ人間ではなかろう。これまでの噂や話を聞く限り、自分の道を見失っているようにも思えぬ」


「たしかに、自分の信念を持っている人だと思います」


 人物評価は苦手だが、シンシアも神官として様々な人々を見てきている。治癒魔法に秀でていたことで紡がれた縁もあり、同年代の神官の中では経験豊富な部類に入るだろう。


 そのシンシアの目からしても、それは間違いないように思われた。彼の言い分はころころ変わったりしないし、言葉の裏には必ず理由がある。


 ミレウスの言動を思い返していると、神殿長は面白そうに笑い声を上げた。


「どうやら、意外と支配人を気に入っているようじゃな。少し心配していたが、その様子なら大丈夫かのぅ」


「え……」


 予想外の言葉にシンシアの動きが固まった。たしかに闘技場関係者の中では話しやすい部類の人間だが、気に入っていると表現されるのは引っ掛かりがある。


 そんな思いをどう伝えようか悩んでいると、ガロウド神殿長は思い出したように空を見る。


「そうじゃ、忘れておった。今日は皇帝が訪れる日じゃったの。……シンシア司祭、それではな。マーキス神のご加護を」


 神殿長は聖印を切ると、慌ただしく去っていく。


「あ……」


 一人残されたシンシアは、呆気に取られながら後ろ姿を見送った。




 ◆◆◆




「ねえ、ミレウス。私の分もそろそろかしら?」


「これの後だ。こっちはれっきとした頼まれものだからな」


「あら、私だってちゃんとお願いしてるじゃない」


「報酬が伴ってないからな」


 ルエイン帝国第二十八闘技場の支配人室。その扉を開けたシンシアは、眼前の光景に目を瞬かせた。


 支配人席にミレウスがいるのは当然だが、その隣に紅髪の女性が立っていたのだ。どうして机の向かいではなく、椅子の傍に立っているのだろう。

 そんな疑問を口にしようとしたところで、シンシアは女性の正体に気が付いた。


「あ、『紅の歌姫スカーレット・オペラ』さん……?」


 それは、この闘技場に所属する魔術師の二つ名だ。第二十八闘技場内でのランキングは『極光の騎士ノーザンライト』、『金閃ゴールディ・ラスター』に次ぐ三位であり、魔術師としては最上位に位置している。


 もし他の闘技場が魔術師の試合を認めた場合、剣闘士ランキングの上位に顔を出すだろうと言われている逸材だ。


 さらに、彼女は容姿が整っていることもあり、その人気は絶大だった。シンシアが救護担当になってから、一度だけ彼女の試合に当たったことがあるが、客層や雰囲気がいつもと異なっていて戸惑ったことを思い出す。


「ごめんなさいね、別件の仕事中だったのよ」


 動かないシンシアに、扉を開けてくれたヴィンフリーデが説明してくれる。声が大きいように思えるのは、二人に聞かせるためだろう。


「ん……? ああ、シンシア。今日もお疲れさま、異常はなかったか?」


 そんなヴィンフリーデの意図通り、『紅の歌姫スカーレット・オペラ』に茶化されていたミレウスが顔を上げる。


「は、はい! 今日は八人だけでした!」


 上ずった声で慌てて返事をする。正確には「今日の怪我人は八人だけ」だったのだが、ミレウスにはきちんと通じたようだった。


「そうか、よかった。今日は魔術師のカードが一組だけだったからな」


「あら、ひどい。まるで私たちが悪者みたいじゃない」


「誰も悪いとは言っていないぞ」


 わざとらしく膨れてみせる『紅の歌姫スカーレット・オペラ』に対して、ミレウスは流すように言葉を返す。


「ええと……」


 いくら支配人とは言え、相手は『紅の歌姫スカーレット・オペラ』だ。怒らせては大変とハラハラしていたシンシアだったが、その予想はすぐに裏切られた。


「うふふ、冗談よ。怪我人の件で一番苦労しているのがあなただってことくらい、ちゃんと分かっているわ」


紅の歌姫スカーレット・オペラ』は笑顔を浮かべる。その楽しそうな表情は、とても試合の間リングで戦う人間には思えなかった。


「ところで、こちらのかわいい子はどなたかしら?」


 やがて、彼女はシンシアに視線を向けた。その視線に少したじろいだものの、シンシアはぐっと堪えて背筋を伸ばす。


「初対面だったか? 彼女はうちの救護担当神官の一人、シンシアだ」


「シ、シンシア・リオールです。よろしくお願いします」


 突然名前を呼ばれたシンシアは、なんとか自己紹介をしてのける。すると、『紅の歌姫スカーレット・オペラ』は驚いたように何度も目を瞬かせた。


「あら、あなたが噂の『天神の巫女』なのね。……初めまして、レティシャ・ルノリアよ。この闘技場では『紅の歌姫スカーレット・オペラ』とも呼ばれているけれど」


紅の歌姫スカーレット・オペラ』レティシャは自己紹介の後、何かを言いたげにミレウスを見る。すると、ミレウスが肩をすくめるのが見えた。


 その意味が分からず戸惑っていると、近くにいたヴィンフリーデがクスリと笑う。


「レティシャに『紅の歌姫スカーレット・オペラ』という二つ名をつけたのは、そこのミレウス自身なのよ」


「えぇっ!?」


 驚きの視線を向けると、ミレウスは気まずそうに目を逸らした。


「……支配人の仕事だからな」


「闘技場で戦うなら、二つ名があったほうがいいのだけど、自分で考えるのは苦手だとか、恥ずかしいという人は多いのよ。

 それで、ミレウスが代わりに考えているの」


 それっきり黙ってしまったミレウスの代わりに、ヴィンフリーデが口を開く。


「そうだったんですか……!?」


 シンシアは再びミレウスを見る。こう言ってはなんだが、彼らしくない綺麗な響きだ。だが、ミレウス自身はそうは思っていないようだった。


「……俺だって、自分にセンスがあるとは思ってないぞ? ただ、他の奴が考えてくれないから」


「ミレウスが考える名前が素敵だから、私たちは気後れして付けられないのよ」


 恨めしそうなミレウスの視線を、ヴィンフリーデは笑顔で受け流す。そのやり取りはとても気心が知れた様子に見えた。


「なんだか……」


「ん? 何か言ったか?」


 ぽつりと呟いたシンシアの言葉に、からかわれていたミレウスが反応する。


「いえ、なんだか楽しそうだな、って」


 感想を口にすると、『紅の歌姫スカーレット・オペラ』が笑いながら口を挟んだ。


「シンシアちゃん、分かっているわね。ミレウスをからかうのは楽しいわよ」


「俺の前で言うなよ……」


 憮然と呟くミレウスを見ているうちに、シンシアの顔には笑みが浮かんでいた。

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