極光の騎士 Ⅰ
「第二十八闘技場の支配人だな?」
打ち合わせを終えて、ディスタ闘技場を後にしようとした時だった。聞こえてきた刺々しい声は、明らかに俺に対するものだった。
「ええ、その通りですが――」
「お前のことは知ってる。『
言葉を遮って、男は怒りの籠もった視線を向けてくる。その様子を見て、俺はさっと周囲を警戒した。
関係者以外は使わない小道を歩いていたため、付近に人の気配はない。騒ぎを起こして切り抜けるのは難しいだろう。
だが、逆に言えば相手も一人だ。そして、その逞しい身体つきや身のこなしからすると剣闘士だろう。その顔には見覚えがあった。
そして、俺の予想通りなら彼の目的は――。
「魔術師を剣闘試合に参加させ、伝統を破壊したことが許せないと?」
「俺たちの戦いは、鍛え上げた肉体と技のぶつかり合いだ。貧弱な魔術師の出る幕じゃないんだよ!」
男は声を荒げる。やっぱり理由はそれか、と俺は一人で納得していた。
この手の主張は珍しい話ではない。ただ、いつもと違うのは、目の前の剣闘士は剣に手をかけているということだ。
「つまり、魔術師を取り入れた剣闘試合を中止するよう、私を恫喝しているわけですか」
「それに『
俺の言葉には答えず、男は目をぎらつかせた。
「試合の間隔が長いのは、『
「黙れ! 剣闘士の誇りが理解できないお前に、闘技場の支配人になる資格はねえ!」
男は剣を持つ手に力をこめた。だが、何を思ったかニヤリと笑う。
「抜けよ。それとも、腰の剣は飾りか? まさか、闘技場の支配人ともあろう者が、覚悟もなく剣を身に着けてるわけがないよな?」
男は挑発的に笑うと、ゆっくり剣を抜き放った。刃引きしてあるようだし、練習用の剣なのだろう。
だが、使い手は本職の剣闘士だ。直撃すればよくて重傷、悪ければ死が待っている。
「この件が発覚すれば、この闘技場でのお前の立場はないぞ?」
今度は俺から脅しをかける。だが、男は不敵に笑った。
「ヴァリエスタ支配人はお前とは違う。仲間内にも賛同者は多いし、処分はないさ」
男は自信満々に言い切ったが、素直にその言葉を信じる気はなかった。
この男の裏でヴァリエスタ伯爵が糸を引いているのなら、それは重大な問題だ。たしかに彼は、多少の不祥事なら揉み消すだけの権力を持っている。
だが、先程支配人室で聞いた言葉が嘘だとは思えない。俺はもう一度男を観察した。
仕事柄、帝都剣闘士ランキングの五十傑の常連の顔は覚えている。見覚えがあるということは、そのうちの誰かだろう。
「どうだ? 泣きを入れて、今後はまともな剣闘試合を組むと誓えば許してやるぜ?」
黙っているのを脅えと取ったのか、男は勝ち誇った笑みを浮かべた。
「こんな奴が闘技場の後継とは、先代も嘆いてることだろうさ。自分の闘技場があんなことになるなんざ、思いもしなかったはずだ」
「……っ」
その言葉を受けて、俺の眉が自然と動く。そして、それは男にも伝わってしまったらしい。男は面白そうに笑った。
「……ん? なんだ、自分でも気にしてたのか?」
「……せぇ」
思わず喉から声が漏れる。
「あ?」
「知ったふうにベラベラと……」
「お前……?」
男はさっと剣を構える。その動作を招いた原因が、俺の殺気立った視線にあることは明らかだった。そのことを自覚した俺は、努めて平静を保つ。
だが、相手はそうもいかないようだった。
「調子に乗るなっ!」
とっさに剣を構えたことが悔しかったのか、男はこちらへ駆け出す。その目的が脅しでないことは、目を見れば明らかだった。
「くっ……」
男の剣筋をよく見て軌道を予測し、その攻撃範囲から逃れる。さっきまで俺がいた空間を、唸りを上げて剛剣が通り過ぎた。
さらに、男は体勢を崩すことなく二撃目、三撃目と無駄のない動きで剣を振るう。それは、鍛え上げられた剣闘士ならではの動作だ。
回避不能な軌道を描いて迫る剣を弾くため、全力で剣を操り、その切っ先を逸らす。剣を打ち合わせたことで強力な衝撃が手に伝わり、俺は危うく剣を取り落とすところだった。
「へっ、意外と上手く弾くじゃねえか……だが、非力だなっ!」
男は感心した素振りを見せるが、すぐにその表情を引き締めた。そして、これまでを凌ぐ勢いで剣撃を放つ。
「っ!」
俺は必死で身を捻り、自分の身体を安全圏へねじ込んだ。相手の剣が髪をかすめたことに焦りを覚えながら、軽く距離を取ろうとする。
「させるかよっ!」
俺が後ろへ跳ぶのに合わせて、男が前へ踏み込む。間合いを維持しようと、本能的なレベルで距離を詰めたのだろう。そう思わせる素早い判断だった。
そして、踏み込んだ勢いを乗せて剣を振り下ろす。だが――。
「うぉっ!?」
剣はガギンッという音を立てて、途中で動きを止めた。俺が背にした石壁に当たったのだ。そして機を同じくして、俺は相手の足を踏みつけると、手にした剣を相手の剣に叩きつけた。
「しまっ――」
男の顔色が変わる。自分の渾身の一撃を石壁に当ててしまった反動と、剣を狙った俺の攻撃。その二種類の衝撃がほぼ同時に襲い掛かったことで、男の手が剣から離れた。
「……っと」
だが、そこまでだった。一度は手から離れた剣だったが、男は機敏な動きで落下していく剣をキャッチしたのだ。そして、喉元を狙って伸ばした俺の剣先を弾く。
「お前……今のは狙ったのか?」
「……」
油断なく剣を構えながらも、不思議そうに問いかける。だが、答えている余裕はない。策が失敗に終わった以上、次の方策を練る必要があった。
そんなことを考えて質問に答えずにいると、男は探るような視線を向けた。
「ま、狙ってたんだろうな。さもなきゃ、あんないいタイミングで剣を狙ってくるわけがない」
そう呟いて男は剣を納めた。その行動を訝しんでいると、相手は小さく息を吐く。
「どうやら、剣を持ち歩く程度にゃ鍛錬をしてるみてえだな。……ま、
「……それはどうも」
俺は複雑な思いに囚われて、それだけを返すことで精一杯だった。
「それに免じて、今回のところは見逃してやる。剣を使う奴には、最低限の敬意くらいは払ってやる」
男は一方的に宣言すると、くるりと背を向けた。そして一歩踏み出そうとしたところで、首だけを動かしてこちらを見る。
「――だが、だからこそ納得がいかねえ。それも覚えとけ」
それだけを言い残すと、今度こそ歩み去っていく。その後ろ姿を視界から外すと、俺は空を見上げた。
「……そんなことは何度も考えたさ」
俺は何事もなかったように剣を鞘に納めると、ディスタ闘技場を後にした。
◆◆◆
「それで、何もしなかったのかい? 相手はディスタ闘技場の剣闘士だろう」
「まあ、支配人に言いつけることは簡単だったが……」
「ミレウスは剣闘士に遠慮し過ぎだよ。理由にもよるけど、
そんな会話を交わしながら、『
「……狙いは憎たらしいくらいに正確だね」
「弾かれてちゃ意味がないだろう」
「自分で言うのもなんだけど、帝都五十傑クラスの攻撃でもない限り、僕は体捌きだけで避けられるよ? その僕に剣を使わせてるんだということを自覚してほしいな」
ユーゼフは苦笑を浮かべると、不意打ちのつもりで放った俺の突きを再び弾く。そして、一瞬身体がブレたかと思うと、次の瞬間には俺の喉元に剣を突き付けていた。予想していても防げない、神速の一撃だ。
「……降参だ」
その一言を機に、俺たちの間にあった緊張感が消失する。地下に隠された練習場で、俺たちは同時に息を吐いた。
ここは、うちの闘技場に所属する剣闘士だけが使える秘密の練習場だ。こっそり特訓をしたり、特定の相手に対する対策を用意するために使われることが多いのだが、俺もよく利用していた。
「上手くやれば、
「それは買い被りすぎだ。俺の欠点に気付けば、すぐに対策を打ってくるさ」
「多かれ少なかれ、大抵の剣闘士には弱点があるものさ」
「程度にもよるだろう」
右手でだらりと下げていた剣を両手で構え直すと、俺はユーゼフ目がけて振り下ろした。なんの工夫もない剣撃だが、その分俺の全力が込められている。
「……ほら、な」
だが、その渾身の一撃はあっさり弾かれていた。ユーゼフは力んだ様子もなく、片手でさっと剣を振るっただけだ。
にもかかわらず、剣を打ち合わせた衝撃でよろめいたのは俺のほうだった。
「速度重視の剣闘士の中には、今の一撃と同程度の軽い攻撃しかできない者もいるよ?」
「そいつらは、移動速度や連撃なんかに重きを置いているからだ。
俺は苦い思いを噛み殺す。俺とユーゼフは同じ人物に師事していた修業仲間だが、俺たち二人には決定的な差があった。
それは、俺の明らかな筋力不足だ。体質なのか、いくら鍛えてもあまり筋肉がつかないのだ。
ならばとスピード型の剣闘士を目指したこともあったが、結局のところ、素早さを生み出すのは筋力だということを再確認しただけだった。
そのため、小さい頃は互角だったユーゼフとの差は開く一方となり、気が付けば俺は支配人、ユーゼフは看板剣闘士となっていた。
「ミレウスは目がいいからね。相手の行動予測も的確だし、筋力が伴えば僕といい勝負ができると思うんだけど……」
「せめて、魔法と相性がよければな……」
俺は思わず溜息をついた。魔術師と違い、魔法戦士は闘技場でもそれなりに認められている。
もちろん、対戦相手がのんびり魔法の発動を待ってくれるわけはないし、剣の腕だけで言えば魔法戦士のほとんどは純粋な戦士に劣る。だからこそ、そのあたりの駆け引きも重要であり、それが見どころだと語る闘技場の常連は多い。
とは言え、魔法が使えない身には無縁の話だ。俺は十人以上の魔術師に教えを受けたが、結局魔法を習得することはできなかったのだ。
「――そうそう、また引き抜きの話が来ていたよ」
と、ユーゼフは突然話題を変えた。ひょっとすると、俺は暗い顔をしていたのだろうか。そう尋ねるわけにもいかず、俺は話を合わせる。
「また第十九闘技場か?」
「正解。ここの三倍のお金を出すってさ。それに、屋敷を用意してくれるらしい」
「相変わらずだな……」
剣闘士の収入にはいくつかあるが、ユーゼフのように闘技場に所属している場合は、闘技場から支給される給金と、試合に勝利した時の報奨金が主となる。
中には闘技場に所属しながらパトロンとなった貴族に援助を受けるものや、貴族自体に雇われる者もいるし、最上位クラスの剣闘士は、広告収入が発生することもあった。
「あそこは、本当に商売人気質だね」
「まあ、商会が陰で糸を引いている闘技場として有名だからな」
そんな話をしながら、俺たちは練習場を片付ける。すると、ユーゼフは再び違う話題を振ってきた。
「それで、今日の試合はどう攻めるつもりだい? 『
「……どうもしないさ。いつも通り、相手の出方を見て対処するだけだ」
「そうか。『
「遠隔型で言うなら、うちの魔術師のほうがよっぽど怖い」
その言葉にユーゼフは噴き出した。
「たしかにね。遠距離戦になったら、『
「まあ、帝都でも屈指の魔術師連中だからな……」
うちの闘技場でランク上位を占めている魔術師たちの名に、俺は苦笑を浮かべた。たしかに『
「……じゃあ、そろそろ行ってくる。ユーゼフ、いつも付き合ってもらってすまない」
「お互い様だよ。……それじゃ、健闘を祈る」
「ああ、ありがとう」
俺たちは拳を軽く打ち合わせる。それは、昔から続いている儀式のようなものだ。幼馴染に見送られながら、俺は練習場を後にした。
◆◆◆
闘技場の地下には、様々な施設が存在する。それは試合のための仕掛けであり、大道具類の保管庫でもある。
この保管庫に出入りする者は多いが、同じ階層に小さな隠し部屋があることを知っているのは俺とユーゼフだけだ。
練習場から伸びる隠し通路を進むと、やがて金属製の扉に行き当たる。扉には鍵穴や錠前が取り付けられているが、すべてダミーだ。
懐から小さな宝珠を取り出して門に近付けると、静かにじっと待つ。
やがて、ガチリという音を確認すると、俺は分厚い金属の扉を押し開いて部屋に入った。そして、くるりと後ろを振り返ると、開けたばかりの扉を再び閉める。
扉を閉めきってから数秒後。重々しい音とともに、再度鍵がかけられた。
「……ふう」
施錠の音を確認して、俺はようやく一息ついた。目の前にあるのは、どれも故人が遺した品物ばかりだ。武具類が特に目立つが、不思議な形状をした小箱などの雑貨類も存在しており、雑多な雰囲気を作り出していた。
それらの品物を気に留めず、俺は剣が幾本も掛けられた壁に手をついた。そして、適切な順序で剣を取り外していくと、壁の一部がゆっくり開いていく。
「……よし、あるな」
壁向こうの小さな空間に置いてあったのは、一揃いの鎧と剣だ。露出する箇所のない
だが、それでも鎧の持つ重厚な存在感が損なわれることはなく、圧倒的な引力を持ってその場に存在していた。
俺は鎧に手を伸ばすと、次々と身体に装着していく。そして最後にフルフェイスの兜を被った瞬間、脳裏に声が響いた。
『――九十一日ぶりの起動ですね、
事情を知らない者がこの声を聞けば、落ち着いた若い男性の声だと思うだろう。だが、事実はまったく異なっていた。
「クリフ、今日もよろしく頼む」
『勿論ですとも。
『クリフ』――それは、この
ただ、彼が宿っている
ちょっとした事情で俺が所有することになった鎧だが、高度な魔法技術を有していた古代魔法文明の遺産である可能性は非常に高かった。
「特に異常はなかったか?」
『
「はいはい、長い間放置して悪かった。けど、軽々しい気持ちで身に着けていい鎧じゃないと思うんだ」
『それでも、毎日鎧を磨くくらいはしてほしいものですが……まあ、いいでしょう』
俺の弁解に重々しく言葉を返してくる。だが、その声に楽しそうな響きが含まれているのは気のせいではないだろう。
鎧の人工精霊と聞いて当初は身構えたものだが、
『それで、今回の用向きはどのようなものですか?』
真面目な声色で問うクリフに、こちらも真面目に答える。
「いつも通りだ。偵察モードで目的地へ侵入した後、決闘モードに切り替える。ただし、決闘ではなく展覧試合だということを忘れないでくれ」
『了解しました。待機モードを解除し、偵察モードに移行します』
クリフの了承の意を確認すると、俺は
「強化魔法『
直後、俺を対象として魔法効果が発動する。魔術師のように自由自在とはいかないが、それでもこの鎧に備わっている魔法は多岐にわたる。魔法の効果が現れたことを確認すると、俺は試合会場であるディスタ闘技場へ向かった。
――闘技場の支配人ミレウス・ノアではなく、正体不明の英雄『
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます