闘技場 Ⅲ

【『金城鉄壁フォートレス』/副支配人 ダグラス・フォード】




 剣闘士が戦う目的は様々だ。


 己の力を試したい者

 強者の名声が欲しい者

 生活の糧を得る手段と割り切っている者

 血に飢えた者

 犯罪者や剣闘士奴隷たち

 剣闘に魅せられた者


 それ以外にも、様々な目的や事情を抱えた剣闘士と斬り結んできた。ダグラス自身は、貧民が成り上がる数少ない手段としてこの稼業を始めた身だが、今ではその目的は二転三転している。


 とある剣闘士と出会い、剣闘試合そのものに意味を見出した十代。再会を信じ、己を磨き続けた二十代。そして、が興した闘技場に移籍し、運営にも携わった三十代。


「まさか、私のほうが長生きするとはな……」


 そんなダグラスも今では四十歳を超えており、剣闘士としては年長の域にいる。が闘技場を託した二人の後継は、剣闘と運営をそれぞれ支えており、もはやダグラスがいなくても立派にやっていけるだろう。


 だが、まだ引退するつもりはない。全盛期ほどの筋力や体力はないが、長年の戦いで蓄積された技術や知識、勘といったものが、ダグラスを現役たらしめていた。


「さて、行くか」


 ダグラスは立ち上がると、控室を後にして狭い廊下を進む。その先にあるものは、もはや見慣れた、それでいて飽きることのない光景だ。


 薄暗い廊下に慣れた目が、出口の眩しさに細められる。それに構わず踏み出した彼を、大歓声が出迎えた。


『重厚な守りに定評のあるベテラン剣闘士にして、帝都剣闘士ランキング五十傑の常連! 『金城鉄壁フォートレス』ダグラス・フォード選手ぅぅぅぅっ!!』


 すかさず大声を張り上げた実況者に応えるように、ダグラスは巨大な盾を掲げてみせた。彼の相棒とも言える魔法盾マジックシールドであり、その防御力は竜の息吹ブレスをも防ぐと噂されている。


 実際に試したことはないが、が言うからには事実なのだろう。


 ふとよぎった思い出を、ダグラスはすぐに振り払った。今は目の前の戦いに集中する。それは相手に対する礼儀であり、何より自分の生き方だ。


 年齢を考えれば、試合の間リングで命を落とす可能性も低くはない。死にたいとは思わないが、死を忌避することもない。

 全力で戦ってそこへ行き着くのであれば、悪くない死に方だ。


『対するは、水魔法の名手にして接近戦もこなす奇跡の魔術師! 『蒼竜妃アクアマリン』エルミラ・シェイナードぉぉぉぉ!!』


 ダグラスはじっと相手の入場を待つ。試合の間リングへ姿を現したのは妙齢の女性だった。


 ミレウスが支配人を引き継いでから二年が経つが、その期間で最も大きく変化したのはこれ・・だろう。


 数少ない魔法戦士を除けば、魔法使いが入る余地のなかった剣闘試合。そこに魔術師を加えたことは大きな革命だった。

 他にも検討した闘技場はあったようだが、実行に至ったのはこの闘技場だけだ。


 公平を期すため、本来の剣闘試合よりもお互いの開始位置はだいぶ離れており、ランダムだが遮蔽物も存在する。

 また、剣闘士ほど頑強ではない魔術師は、破壊されると強い光を放つ石を胸元に下げており、これを破壊されると敗北となる。


 他にも両者に対する配慮は多々あるが、そこまでして、ミレウスは魔術師を興行に組み込んだのだ。剣闘試合に出たいという魔術師はどこか変わった人物が多いが、戦いの相手としては決して侮れる存在ではない。


「……久しぶり。今度も私が勝つ」


「その前に二連敗していることを忘れたかね? 残念ながら、譲るわけにはいかんな」


 ダグラスは肩をすくめる。彼女の髪をかき分けて生えているのは、竜人の証たる二本の角だ。『蒼竜妃アクアマリン』は半竜人であり、魔法を使いこなす上に身体能力も高い。だが……。


「今回は遮蔽物も少ない。前回のように遮蔽物を使って私を生き埋めにすることはできまい」


「……その分、格好の的になる」


「格好の的だとしても、防いでしまえばどうと言うことはない」


 言葉の応酬が続く。帝都の闘技場のほとんどでは、そんなやり取りも観客席に届けられている。それを意識した掛け合いでもあるが、特に気負うことはない。


「もっと勝率を上げて、『極光の騎士ノーザンライト』だって倒してみせる」


「素晴らしい目標だ。私は通過点に過ぎないということか。……ならば、通過点で長く足踏みをしてもらうとしよう」


 その言葉を機に、二人の間で緊張感が高まる。


『おおっとぉぉ! 両者、すでにやる気がみなぎっている様子! これは早々に試合開始と参りましょう!

 ……『金城鉄壁フォートレス』対『蒼竜妃アクアマリン』、レディィィィ……ゴオォォォォッ!!』


 安定して騒々しい実況の声をきっかけとして、二人は同時に地を蹴った。




 ◆◆◆




【支配人 ミレウス・ノア】




「シンシア、お疲れさま。今日は何人くらい担ぎこまれたんだ?」


 興行を終え、いつものように闘技場内をチェックしていた俺は、シンシアの姿を見つけて声をかけた。

 夕陽に照らされて輝く金色の髪とは対照的に、その表情は少し沈んでいるようだった。


「……三十一人です」


 シンシアはどこか拗ねたように答える。


 彼女がこの闘技場に派遣されてから、今日で十二日が経つ。四日に一度のサイクルでうちに来ているから、今日で三回目の仕事ということになるはずだ。


 シンシアが治癒魔法のスペシャリストであるという前評判は真実であり、彼女が救護当番の日は、救護室に他の神官を必要としないほどだった。


「そのうち、お客は何人だった?」


「二十人くらいでしょうか、いつもより多かったです。……ミレウスさん、やっぱり――」


 ――まずい。面倒な気配を感じとった俺は、シンシアの言葉を遮った。


「そうか、やっぱり『蒼竜妃アクアマリン』クラスが出場する試合は流れ弾が脅威だな。シンシア、情報提供に感謝する」


 そう言うなり、俺は身を翻してその場を立ち去ろうとする。だが、そう上手くはいかなかった。上着の袖が引っ張られたのだ。


「逃げちゃ駄目です。今日こそ、ちゃんとお話を聞いてくださいね」


「えー……」


 軽く腕を振ってみるが、彼女が振り払われる気配はなかった。神官の修養に肉体の鍛錬も含まれているのか、ほっそりとした見た目と違ってだいぶ手強い。


 ならば、と歩き出してみるが、彼女が同じ速度で付いてくるだけだった。俺は観念すると、近くの客席に腰かける。


「分かったよ。従業員の訴えを聞くのは支配人の務めだからな」


「私は従業員じゃなくて、神殿から派遣された身なんですけど……」


 シンシアは小さな声でぼやいた後、もの言いたげな瞳でじっと俺を見つめた。私が言いたいことは分かってますよね、と言わんばかりの視線だ。


 その沈黙に耐え切れず、俺は自分から話を振る。


「……えーとだな。いくら闘技場とは言え、無用の負傷者が発生することは支配人として本意じゃない」


「え? ……そ、そうですよね!」


 それは予想外の言葉だったのだろう。シンシアは一瞬目をぱちくりさせた後で、慌てたように賛同する。


「だったら、闘技場の演し物をもっと穏やかなものにしませんか?」


 ……そうなのだ。天神マーキスの神官の中には、闘技場を『いたずらに死傷者を生み出すもの』と考え、負傷した闘技場関係者に対する治癒魔法の行使を『神の奇跡の浪費』であると忌避する人間が多い。


 そして、『天神の巫女』と呼ばれるシンシアもその例に漏れなかった。


「そうした場合、確実な収益を約束できるか?」


「収益性は……その、お約束できませんけど……」


 ただ、シンシアは頭ごなしに闘技場の廃止を求めてくることはないし、目の前に負傷者がいれば無視できない性格だ。治癒魔法の腕前を考慮すると、人材としては大きくプラスだと言える。


「けどまあ、剣闘士であれ観客であれ、負傷者の発生は経営をする上でもリスクでしかないからな。

 特に、お客に被害が及ぶなんて事態は、本来なら避けるべき災害だ。かけられる費用に限界はあるが、流れ弾を防ぐ方法があるならぜひ教えてほしい」


「むー……」


 シンシアは小さく口を尖らせていた。さすがに、これくらいでごまかされはしないか。


「理由はそれぞれだが、目的は一緒だろう? 無駄に怪我人を出したいなんて、そんな非情な人間じゃないつもりだ」


「でも、剣闘士については『無駄じゃない怪我人』だと思ってますよね……?」


 シンシアは遠慮がちに、だが核心を突いてきた。優秀な人材であるシンシアの気分を害したくはないが、そこだけは俺もごまかすつもりはない。


「その通りだ。剣闘試合である以上、そして剣闘士である以上、そこは譲れない」


 それに、うちの闘技場での死者は少ない。どちらかが死ぬまで戦う試合を組むことはほとんどないし、敗者をわざわざ殺すこともない。

 闘技場の中には血生臭さと死への熱狂をウリにしているところも多いが、うちの闘技場は死を売り物にしたいわけじゃない。


 それに、観客を魅せられるような練達の剣闘士はそうそういない。そういう観点でも、貴重な人材をあっさり失いかねないデスマッチは好ましいものではなかった。


「……ミレウスさんは、他の闘技場の人たちよりもお話を聞いてくれます」


 しばらく視線をぶつけ合った俺たちだったが、やがてシンシアは眼を逸らした。


「だから、ミレウスさんを説得できないなら、他の人たちに言っても駄目なんだろうなって思うんです」


「俺を実験台にしないでもらいたいんだが……そう暇なわけでもないし」


 思わず呟くと、シンシアはしゅんとした様子で肩を落とした。少し真面目過ぎるきらいはあるが、基本的にはいい子だからな。


「すみません……」


 そのせいで、なんだか俺が悪人のように思えてくる。そう言えば、さっきからいくつか従業員の視線を感じる。俺が『天神の巫女』をいじめているなんて噂を立てられても困るな。


「けどまあ、色々な考え方を知ったほうが運営の幅が広がるから、たまには話を聞かせてほしい」


「え? は、はい!」


 そうフォローすると、彼女は嬉しそうに返事をしてくる。本気で言ったわけではないことに罪悪感を覚えるが、わざわざ角を立てることもないだろう。


 シンシアに別れを告げると、俺は闘技場内の点検作業を再開した。




 ◆◆◆




 この国、ルエイン帝国の歴史は浅い。現皇帝が四十年ほど前に興した新興国であり、元々は強大な竜の棲息地だったとされる。

 真偽は不明だが、その竜を屠った人物こそが現皇帝であるとされているためか、他の国々よりも尚武の気質が強かった。


 そして、首都であるマイヤードは、その気質を証明するかのように多くの闘技場が並び立つ名物都市となっていた。


「兄さんは運がいいぜ! 今ならディスタ闘技場の覇者、あの『大破壊ザ・デストロイ』の試合チケットが十万ユルだ!」


「いやいや、『緋炎舞踏ダンシング・ブレイズ』の試合のほうが見ごたえがあるぜ! 記録的な速さでランキングを駆け上がった炎の魔剣士だ!」


 賑やかな売り込みの声がそこかしこから聞こえてくる。各闘技場の試合のチケットを転売して、利益を上げているダフ屋たちだ。

 闘技場としては非公認だが、競争率の高い試合のチケットに関しては、彼らを通じて入手を試みる人間も多く、かなりの盛況を誇っている。


 この『戦の広場』の喧騒は帝都マイヤードの風物詩でもあり、有数の観光名所にもなっていた。


「――旦那、無茶を言わんでくださいや。帝都が誇る英雄、『極光の騎士ノーザンライト』の試合のチケットですぜ? 二十万ユルは破格の値段でさあ」


 そんな言葉に、俺の耳がぴくりと反応する。喧騒の中とは言え、馴染みの深い名称は自然と耳に入るものだ。


「しかも、今回はあの『玉廷』ディスタ闘技場での試合ときたもんだ。『極光の騎士ノーザンライト』の試合を帝都一の闘技場で見られるなんざ、今回だけかもしれねえ」


 口上を聞いて、相手は真剣に悩んでいるようだった。複雑な気分になるものの、ここで口を出すわけにはいかない。


「そろそろ締め切るぞ! 短剣使いのルーキーが『七色投網ダイバース・ネット』に勝つと思ってる奴ぁいないか!」


 少し離れた場所から聞こえてくる大声を背中で聞きながら、俺は広場を後にする。向かう先は、帝国最大にして最古、そして闘技場の最高位である『玉廷』の称号を持つディスタ闘技場だ。

 非常に巨大な円形闘技場であり、まだ距離が遠いこの場所からでも威容が十二分に伝わってくる。


 そして、闘技場の敷地に足を踏み入れようとした時、後ろでワッと声が上がった。


「――バルクさん、今日の仕上がりはいかがですか!?」


「『大破壊ザ・デストロイ』の活躍を期待しています!」


 後ろを振り向けば、筋骨隆々の大男が人に囲まれていた。年齢は三十をいくつか過ぎているはずだが、その盛り上がった筋肉はもはや人類の域を超えており、彼にはモンスターの血が流れているのだと、そう囁かれていることも頷ける。


 そんな剣闘士ランキング第二位『大破壊ザ・デストロイ』バルク・ネイモールの視線が、振り返った俺の視線と交錯した。


「む……」


 次の瞬間、まるで要塞が迫ってくるかのような迫力を伴って、『大破壊ザ・デストロイ』がこちらへ歩いてくる。その目は明らかに俺を捉えていた。


「バルク選手、どちらへ――」


「あ! あれは第二十八闘技場の支配人では……!?」


 周囲の声を気にした様子もなく、バルクは俺の目の前で立ち止まった。そして、重厚な声でぽつりと告げる。


「……『極光の騎士ノーザンライト』はどうしている」


「さあ、私が知りたいくらいです。……ただ、試合にはちゃんと姿を見せると思いますよ」


 肩をすくめて答えると、バルクは射貫くような視線を向けてくる。


「明後日の試合は『剣嵐ブレード・ストーム』が相手か。……直接戦えぬのはつまらんが、特等席で見せてもらう。『極光の騎士ノーザンライト』にそう伝えておけ」


「ええ、必ず」


 だが、俺も闘技場を預かる支配人だ。真っ向から視線を受け止めると、それだけを答える。


「……そうか」


 その答えに満足したのか、バルクは俺を避けて闘技場へ歩を進めた。ただそれだけの行為で、一気に場の圧力が弱まる。


「相変わらず、凄い迫力だな」


 わざとらしく呟いて心の平静を取り戻すと、俺はディスタ闘技場の敷地へと足を踏み入れた。




 ◆◆◆




『玉廷』ディスタ闘技場の支配人グラジオ・ヴァリエスタは、俺のような一般市民ではない。なぜなら、この闘技場は帝国の直営であり、その支配人は伯爵の称号を持つ帝国有数の貴族だからだ。


「――うちの『剣嵐ブレード・ストーム』も、『極光の騎士ノーザンライト』との戦いをとても楽しみにしているようだ。

 そうそう、こちらから依頼したにも関わらず、アウェイとなる我が闘技場での試合を承諾してくれたことに感謝を」


「スケジュールが合わず、なかなか試合に出られない『極光の騎士ノーザンライト』のカードですからね。観客が多いに越したことはありません」


「取り分はいつも通りでよいかな?」


「ええ、構いません」


 俺は素直に頷いた。ヴァリエスタ伯爵は、現皇帝とともに幾多の戦いを生き抜いてきた歴戦の勇士だ。武人肌であり、闘技場の経営状況もよいことから、こちらを騙すようなことはしないだろう。


「儂としても、かの英傑と話をしてみたいものだが……」


「申し訳ありません。説得はしてみたのですが、やはり難しいようです」


「あの『極光の騎士ノーザンライト』が人見知りとはな。……いや、責めているのではない。優れた武人には珍しくない話であるし、戦友にもそのような男がおったからな」


 彼は肩をすくめる。武人気質の支配人は、『極光の騎士ノーザンライト』と話してみたいと言い出すことが多く、伯爵もその例に漏れなかった。

 だが、その願いに応えるわけにはいかない。


「そう言えば、他国の闘技場と交流試合をすると聞きましたが……」


 俺は別の話題を持ち出して話を逸らす。分かりやすい話題転換だが、伯爵はにこやかに頷いた。


「ほう、耳が早いな。その通り、エメローデ帝国から申し入れがあってな」


「エメローデ帝国ですか……あそこは、たしか闘技場が一つしかないところですよね?」


 俺の記憶が正しければ、あの国の剣闘試合は為政者や有力者が主催するもので、権力の誇示や民衆に対する人気取りの一環として剣闘試合が行われていたはずだ。


「その通りだよ。……まあ、闘技場が無数にあるこの街が特殊なのだろうが」


 彼は小さく笑うと、支配人室の窓から闘技場の試合の間リングを見下ろす。


「帝国が誕生した頃は、この闘技場も唯一にして公営の闘技場だったのだよ。まさか、ここまで剣闘試合が盛んになるとはな」


 懐かしそうに目を細めていた伯爵は、やがて視線を俺に戻した。


「闘技場が乱立したかと思えば、今度は魔術師を出場させる闘技場まで現れた。世の流れは常に想像の上を行く」


 それがうちの闘技場を指していることは明らかだった。だが、伯爵の顔に非難の色はない。

 魔術師を剣闘試合に組み込んだことについては、伝統を破壊するとして古い闘技場やその常連を中心に批判も根強いが、伯爵はその流れの外にあるようだった。


「『極光の騎士ノーザンライト』が、そんな第二十八闘技場と縁を結んだのも偶然ではないのかもしれんな」


「そう……ですね」


 俺は思わず眼を逸らす。伯爵への返事は、少しだけ歯切れが悪かった。


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