闘技場 Ⅱ

【支配人秘書 ヴィンフリーデ・クロイク】




「それじゃ、試合の申込は断ったのね?」


「そもそも、断る以外の選択肢がないんだ。次の試合はもう決まっているし、その次は三月後だからな」


「そうよねぇ……」


 ミレウスの苦々しい声を聞いて、ヴィンフリーデは小さな溜息をついた。


 『極光の騎士ノーザンライト』。この闘技場に所属する剣闘士であり、ここ二年ほど帝都剣闘士ランキングで一位を守り続けている傑物でもある。

 そのため、彼との戦いを望む剣闘士は非常に多く、今回のような話は珍しいことではなかった。


 だが、実を言えば『極光の騎士ノーザンライト』はこの闘技場となんの契約も結んでいない。ミレウスとユーゼフの頼みを受けて、たまに試合をするだけだ。


 そのため、方々ほうぼうの闘技場や剣闘士からの試合申込を、ミレウスが胃を痛めながら断っているのが現状だった。


「それに、滅多に試合に出ない『極光の騎士ノーザンライト』のランキングを維持するためには、一桁台のランカーに勝利し続けるしかないからな」


 それは、冷たい言い方をすれば、ランキング外の剣闘士と戦う気はないということだ。


「ま、恨まれるのは慣れているさ」


 普段のミレウスは、ここまで苦い表情を浮かべることはない。彼にまつわる話の時だけ、眉間に深い皺が刻まれるのだ。

 特に、今回のように剣闘士が直接頼みに来た日は、眉間の皺がいっそう深いものになる。できることならもっと試合申込に応じたいのだろう。


 幼馴染の苦々しい表情を見ていると、ヴィンフリーデは『極光の騎士ノーザンライト』に対して怒りすら覚えそうだった。


「ヴィー、どうかしたか?」


「ううん、なんでもないわ。……次の『極光の騎士ノーザンライト』のお相手は、ディスタ闘技場の『剣嵐ブレード・ストーム』だったかしら?」


 ヴィンフリーデはとっさに話をごまかした。『極光の騎士ノーザンライト』はミレウスを悩ませる元凶だが、それ以上に大きな利益を与えてくれている。


極光の騎士ノーザンライト』と『金閃ゴールディ・ラスター』という二人の英傑が、この小さな闘技場を第十四位まで押し上げた要因であることは、疑いようのない事実だ。

極光の騎士ノーザンライト』の文句を言ったところで、支配人であるミレウスがストレスを溜めるだけなのは明らかだった。


「ああ。『剣嵐ブレード・ストーム』はランキング九位だが、この前四位の『魔鏡リフレクター』に勝っているからな。露骨な相性差があったとは言え、彼のランクが上がることは間違いないし、ちょうどいい」


「相性差って?」


「『剣嵐ブレード・ストーム』は真空波を軸にした遠隔型で、『魔鏡リフレクター』はカウンター型だからな。……ただ、あの『魔鏡リフレクター』がなんの対策も取らないとは思えないから、次の機会があれば勝敗は分からない」


 そんな話をしているうちに、ミレウスの表情が少しずつ元に戻ってくる。それを確認して、ヴィンフリーデは密かにほっとするのだった。




 ◆◆◆




【支配人 ミレウス・ノア】




 大小の差はあるが、闘技場の造りは概ね共通している。闘技場の本体とでも言うべき試合の間リングを中心に据えて、その周囲を客席がぐるりと取り囲んでおり、その外側に廊下や出入口が存在する。


 また、一見しただけでは分からないが、試合の間リングの地下には大きな空間があり、種々の興行に使用するギミックが出番を待っていた。


「特に異常はないな……」


 見回りと軽い掃除を兼ねて闘技場の廊下を歩いていた俺は、ふと立ち止まった。視界の隅に金色の光が映り込んだのだ。


「あ……」


 戸惑った声を上げて立ち止まったのは、まだ少女と言っていい年齢の神官だった。その姿に心当たりのなかった俺は首を傾げる。


 闘技場において、神官が果たす役割は大きく二つ。負傷した剣闘士や巻き添えをくらった観客の治療と、武運尽きて命を落とした者の魂を弔うことだ。


 昔は、剣闘士は死んで当然という風潮が根強かったが、現在では、闘技場において負傷した剣闘士に治癒魔法を使用することは一般的だった。

 うちの闘技場もそれは同じことで、神殿への寄付と引き換えに、治癒魔法を使える神官を派遣してもらっているのだ。


 その関係もあって、闘技場に派遣されてくる神官の顔は全員覚えているのだが、彼女の顔に見覚えはなかった。


「あの、支配人さんはどちらにいらっしゃいますか?」


 だが、彼女の用件は俺に関係しているようだった。


「支配人は私ですが、なんの御用でしょうか?」


「え? あなたが、ですか……?」


 目の前の若造が支配人だとは思っていなかったのだろう、彼女はきょとんとした表情を浮かべた後で、慌てて謝ってくる。


「すみません、こんなに若い人だと思っていなくて……」


 彼女は小さく深呼吸すると、厳かな顔で聖印を切った。


「私は、天神マーキスにお仕えしているシンシア・リオールと申します。神殿長の命により、こちらの闘技場で負傷した方々のお世話をすることになりました」


 そう言ってペコリと頭を下げる。ほっとしたように息を吐いているのは、ちゃんと口上を述べられたからだろうか。


「……はい?」


 今度は俺が驚く番だった。そんな話は聞いてない……はずだ。


「――あら、よかった。支配人が見つけてくれたのね」


 頭に疑問符を浮かべていると、息を切らしたヴィンフリーデが現われた。俺は首を傾げる。


「ヴィーは彼女を知っているのか? マーキス神殿からここへ派遣されたそうだが……」


「ええ、この前抜けた神官の補充を頼んでいたのよ。マーキス神殿に真意を確認してから報告しようと思っていたのだけれど、先に挨拶に来てくれたみたいね」


 シンシアと名乗った少女に聞こえないよう、俺とヴィンフリーデは小声で会話をする。彼女が不安そうな顔をしているが、さすがに堂々と話すのもはばかられる。


「彼女は『天神の巫女』とも呼ばれるちょっとした有名人よ。知らない?」


「知らないな……仕事柄、戦神ディスタの神官なら何人か知っているが」


 ちらりとシンシアのほうを見る。二つ名持ちだと言うが、特に風格や威厳が感じられるわけではない。特筆できるとすれば整った容姿くらいだろうが……天神の神官は堅物が多い。そんなことで『天神の巫女』なんて大層な二つ名がつくはずもない。


「神聖魔法……特に治癒魔法の腕前については、帝都で五本の指に入ると言われているわ」


「そうなのか!?」


 思わず声が出る。それだけの実力があるなら、魔術師の起用で怪我人の多い闘技場うちにはうってつけだ。

 ただ、そんな人材がわざわざここへくる意味が分からない。


「マーキス神殿長は『他の神官と同じように扱ってくれ』と言ってきているわ。……修行の一環かしらね?」


「その可能性はあるな。天神の神官というのが心配だが」


 高速でそんな会話を交わした後、俺たちはシンシアに向き直る。不安そうな彼女に向かって、まずヴィンフリーデが話しかけた。


「初めまして、支配人秘書のヴィンフリーデ・クロイクです。『天神の巫女』として名高いシンシアさんをお迎えすることができて、とても光栄ですわ」


「あの、そんな大した人間じゃないですから……」


 ヴィンフリーデの言葉を受けて、シンシアは慌てた様子で手をぶんぶんと振る。


「とても優秀な神官だと聞いています。この闘技場は規模のわりに……いえ、小規模ゆえに怪我人が多いものですから、とても助かりますよ」


 俺がさらに追撃をかけると、シンシアは困ったように下を向いた。なんとなくだが、この闘技場への派遣は彼女にとっても予想外だったのだろう。そんな戸惑いが感じられた。


「もしよろしければ、このまま闘技場の案内をしましょうか?」


「は、はい! よろしくお願いします!」


 ヴィンフリーデの提案を受けて、シンシアは緊張気味に応じる。……まあ、ちゃんと救護担当として仕事をしてくれるなら、神殿の目的を勘繰る必要もないか。


 俺は思考を切り替えると、前を歩く二人を追いかけた。




 ◆◆◆




「よお、支配人の坊主! 相変わらずシケた面してやがるな!」


「親方が修繕費を半分にしてくれれば、もっとにこやかな顔になると思いますよ」


「ガハハハ、坊主も言うようになったじゃねえか」


 バンバンと俺の背中を叩いてくる人物は、付き合いの長い工務店『気紛れ工房』の親方、ギルさんだ。ドワーフであるため背丈は俺の半分程度しかないが、その厚みは比べ物にならない。


 亜人の純種は珍しく、その大多数は各種族の里に籠もって出てこようとしないが、彼は変わり者のドワーフとして有名だった。


「なるほどな、こりゃ盛大にやったもんだ」


魔導災厄スペル・ディザスター』の魔法で破壊された出入口を眺めて、親方は面白そうに呟いた。


「仕事柄、真空波なんかの損傷にゃ慣れてるが、魔法の破壊跡ってのは珍しいからな」


 親方は闘技場の建設・修理を主とする工務店の職人だ。うちの闘技場以外にも、多くの闘技場が彼の手で造られ、そして修理されているという。


 そんな親方をしても、大規模な魔法戦闘が発生するこの闘技場はイレギュラーなのだろう。


「けど、親方なら直せますよね?」


「ったりめーよ、俺を誰だと思ってんだ」


 言うなり、親方は後ろの職人たちに合図をする。すると、彼らは一斉に出入口へ群がり、無駄のない手つきで傷んだ箇所をえぐり出していった。


「親方、お願いしやす」


 摘出作業が完了すると、職人たちは持参した石材を差し出す。いつの間に準備したのか、石材は失われた箇所と似た形に加工されていた。


岩石同化アシミレイション


 親方が石材を破損個所に押し当てると、みるみるうちに接合部分の隙間がなくなっていく。気が付けば、押し当てられた石材は闘技場と同化していた。


「よし、細けえ調整をやっちまえ」


「へい!」


 威勢のいい返事とともに、職人たちがサイズの調整や細かい彫り物を仕上げていく。


「見事な腕前ですね」


「ふん、褒めても値下げはせんぞ」


「でも、親方の同化魔法は帝都一だって聞きますよ?」


 ぷいっとそっぽを向く反応に笑いを堪えながら、俺は元の形に戻りつつある出入口を眺めた。すでに、九割がた元の姿を取り戻していると言っていいだろう。


「俺たちドワーフにしてみりゃ、岩石同化アシミレイションは作業以前の準備みてえなもんだからな。……まあ、人間にゃ難しいようだが」


「私もあの魔法を覚えてみたいものですが……無理でしょうね」


 成功すれば、補修費用が安く上がりそうなんだがなぁ。


「人間の魔法はよく分からんからな。人間の魔術師に教えてもらえ。坊主が習得できりゃ、俺も楽できるってもんよ」


 まあ無理だろうけどな、と親方は豪快に笑う。


 人間、ドワーフ、エルフ、竜人などこの世界には様々な種族がいるが、こと魔法については種族差が大きく、同じ大きさの火の玉を生み出す魔法一つとっても、種族ごとにやり方が大きく異なる。

 そのため、俺がドワーフである親方に魔法を習ったところで、なんの役にも立たないのだった。


「しっかし……この狭い闘技場で魔法がバンバン炸裂した日にゃ、そのうち死人が出るんじゃねえか? 観客席には防御結界を張ってんのか?」


「一応張っていますが、貴賓席の周辺以外は気休め程度ですね……」


 観客席すべてに防御結界を張ろうとすると、魔術師を大量に雇う必要があるからな。この小さな闘技場ですら、充分な規模の防御結界の確保は厳しい。


「後は、できるだけ客席に被害を出さないよう、剣闘士にお願いしているくらいですね」


 闘技場に出場する魔術師だって、好んで観客に被害を出したいわけではない。大半の魔術師はそれを前提として、使用する魔法を選んでいる。


 ただ、その関係で思うように力を振るえないという不満はよく聞く。そんな状況でしつこくお願いをすると、やる気をなくして辞めてしまう可能性もある。難しいところだった。


「ま、客はその辺りを承知で見に来てるんだ。とやかく言うことじゃねえか」


「なんとかしたいんですけどねえ……」


 俺は観客席をぐるりと見渡すと、小さく溜息をついた。


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