闘技場の支配人~ランキング一位の剣闘士と古の遺産~

土鍋

闘技場 Ⅰ

「小僧、ワシの偉大さをその目に焼き付けるがよいぞ」


「へえ? それは楽しみだな」


 都市の中央近くにある、熱気と歓声に包まれた小さな闘技場。


 その中央で睨み合っていた二人は、同時に不敵な笑みを浮かべた。金髪の青年剣士と、長い髭をたくわえた老人。じりじりとした緊張感の中、先に動いたのは老人のほうだった。


火炎群舞フレアクラスター!」


「っ!?」


 老人の声に呼応して、人の背丈ほどもある炎の奔流が青年を襲う。それも一つだけではない。無数の炎が様々な軌道を描き、青年に降り注いだ。


「おおおおおお! 爺さんすげえぞ!」


「ユーゼフ様ぁぁぁっ!」


 その様子を見ていた観客から歓声と悲鳴が上がる。だが、彼らの視界を遮っていた巨大な炎は、不自然に揺らめくたび小さくなっていく。その揺らめきが剣閃によるものだと気付いた観客はごく少数だった。


 そして幾度目かの揺らめきの後、炎の中から人影が現われた。


『おおっとぉぉぉ! ユーゼフ選手は無傷だああああ! さすがは『金閃ゴールディ・ラスター』、闘技場の双璧の名は伊達ではないっ!』


 大仰な節回しをつけて、実況の男は大声を張り上げる。魔道具の助けを借りた彼の声は、闘技場中に響き渡っていた。


「さすが、上手く狙ってくる……!」


 続けて飛来した石礫を横に跳んで回避すると、青年は剣で前方の空間を斬る。生み出された真空波は、迫り来ていた不可視の鎌鼬とぶつかり、ともに消えていった。

 床を這うように伸ばされていた氷の蔦を斬り払うと、青年は一気に距離を詰める。


 相手が魔術師である以上、一度は魔法を披露させる。それは彼の流儀であり、相棒の運営方針でもある。

 だが……ちらりと観客席を見ると、一部から煙が上がっているのが見えた。これ以上は危険かもしれない。


 ――そろそろ決着をつけるか。


 青年は老人が展開した魔法障壁を斬りつける。少し変わり者とはいえ、相手は一流の魔術師だ。魔剣の力を考慮しても、そう簡単に破壊することはできないだろう。


 彼は、剣を持つ手に力をこめた。




 ◆◆◆




【支配人 ミレウス・ノア】




 俺は頭を抱えていた。


 闘技場の支配人の常とは言え、この手の問題は本当に頭が痛い。


「うーむ……」


 俺の頭を悩ませているものは、今回の『金閃ゴールディ・ラスター』と『魔導災厄スペル・ディザスター』の試合で発生した壁や客席の破損だ。

魔導災厄スペル・ディザスター』は派手な魔法を使うことが多く、お客にも人気の爺さんだ。しかし、その分流れ弾の被害も大きい。


 通常、戦いの場となる石畳は壊れることを前提にしているが、観客席にまで被害が及ぶことは少ない。

 だが、うちの闘技場は魔術師との対戦を興行の一つにして以来、こういった事態が頻繁に発生していた。


「支配人、修理はどこに発注しますか? ……それとも『あの『魔導災厄スペル・ディザスター』が作ったありがたい破壊跡』って張り紙でもしておこうかしら?」


 茶化すように聞いてきたのは、支配人秘書を務めるヴィンフリーデだ。周囲からは知的美人と評されることが多いが、幼馴染の俺からすると、その評には異議がある。


 そんな彼女に対して、俺はない知恵を振り絞って口を開く。


「放っておくのはイメージが悪いからな……まあ、黒焦げにはなったものの、幸い原型を失ったわけじゃない。壁のほうは上から塗料を塗ってごまかそう」


「客席のほうはどうするの?」


「壊れたのは、客席付近にある廊下への出入り口だったな? 動線が一つ潰れるのは困るが、他のとこを使えば支障はないか……?」


 短時間でお客を回転させる店ならともかく、うちの場合は売り上げに直接影響するわけではないが、利便性の低下は客足を遠ざける。補修するに越したことはない。


「安くしてくれる工務店があればいいが……」


「そうね……レティシャのサインがあれば、破格の値段で請け負ってくれそうなところがあるわよ」


 彼女が口にしたのは、うちの闘技場でちょくちょく戦っている魔術師の名前だ。だが、俺は首を横に振る。


「闘技場あてにくれたサインを売り捌くわけにはいかないだろう」


「そうよねぇ……じゃあ、よさそうな工務店を探してみるわ。……あら?」


 ヴィンフリーデはふと後ろを振り向いて扉を見つめた。この反応からすると……。


 そう思ったのも束の間、支配人室の扉がノックされた。俺が返事をすると、ノックの主は爽やかな笑顔とともに部屋へ入ってきた。


「ユーゼフ! お疲れさま」


 扉が閉まったのを確認するなり、ヴィンフリーデが嬉しそうに彼に飛びつく。

 声をかけられたほう――もう一人の幼馴染であり、うちの闘技場の看板剣闘士にして『金閃ゴールディ・ラスター』とも呼ばれるユーゼフは、彼女に笑顔を見せた。


「ヴィーもお疲れ様。今日は大変だったろう」


 ヴィンフリーデが質問に答える前に、俺はさっと口を挟む。


「誰かさんの試合が、客席を破壊するほど盛り上がっていたからな」


「そうか、それは僕も観戦したかったな」


 ユーゼフは皮肉交じりの冗談をあっさり受け流す。さすがは幼馴染、これくらいじゃびくともしない。


「それで、どうしてここに来たんだ?」


「もちろん、ヴィーに会うためさ。これから舞踏会なんでね、英気を養おうと思って」


 色男は爽やかに答える。隣でヴィンフリーデがうっすら照れているが、彼の傍を離れる様子はない。と――。


「――支配人、失礼します」


 支配人室にノックの音が響く。それを受けて、いちゃついていた二人がぱっと離れた。


「あら、今日の売り上げの資料ですか?」


 扉を開いたヴィンフリーデに、先程までの様子は微塵もない。

 どちらかと言えば、これまた早業で部屋のソファーに座っているユーゼフがややぎこちないが、それも付き合いの長い俺だから分かる話だ。


 部屋に入ってきた従業員は、ユーゼフの姿を見て丁寧に一礼する。


「ユーゼフ様がお出ででしたか。これは失礼しました」


「あはは、僕に気を使わないでよ。僕だってここの従業員みたいなものだし」


 ユーゼフは気さくに笑う。彼には貴族のパトロンがいるわけではなく、この闘技場の専属だからな。従業員も慣れているため、必要以上に畏まっている様子はない。


「ありがとう、やっぱり満席だったか」


 俺は報告書を受け取ると、ざっと目を通す。他の闘技場との差別化を図ろうと、魔術師の試合を組み込んだのは数月前からのことだが、これが大きく当たっている。

 これまでは、目玉となる剣闘試合でもない限り満席なんてあり得なかったのだが、今ではそれも珍しくなかった。


 問題は、今回のように施設の補修費が馬鹿にならないことだろうか。覚悟はしていたものの、やはり被害は大きい。

 うちの闘技場は少し狭いため、流れ弾がすぐ周囲の施設に着弾することもあって、赤字の日もあるくらいだった。


「怪我人は……やっぱり多いな」


 そして、観客への被害も頭痛の種になっている。看板クラスの剣闘士であれば、離れた客席を真空波で破壊してのけるくらいは朝飯前であり、闘技場に足を運ぶ人間の多くはそのスリルをも楽しんでいると言われる。

 どうせ負傷しても闘技場の救護班に治癒魔法を使ってもらえるわけで、死にさえしなければなんとかなるのが現状だ。


 だが、被害が出れば知らん顔はできない。……まあ、それを狙って一芝居うつ奴もいるから、注意は必要だが。


「それでは、失礼します」


 退室する従業員を見送って、ヴィンフリーデはパタン、と扉を閉める。少し弛緩した空気が支配人室に流れた。


「……で、もう気は済んだか?」


「まだだけど、そろそろ舞踏会の準備をしなくてはならないんだ。……ミレウス、いつもすまない」


「看板剣闘士に女の気配があると、売り上げが落ちるかもしれないからな。言ってみれば業務上必要な措置だ」


「もう、照れなくてもいいのに」


 俺が肩をすくめて応じると、ヴィンフリーデがからかうように言葉を返してくる。


「嘘は言ってないだろ」


 照れているのは事実だが、照れ隠しだけが理由ではない。ユーゼフとヴィンフリーデは恋人同士だが、そのことを知っているのは俺だけだ。


 ユーゼフは名が知られている剣闘士で、剣闘試合には賭博がつきものだ。大抵の賭博はこっそり行われているものだが、八百長を要求して剣闘士の恋人等を人質にする輩もたまに存在する。


 もはや押しも押されもしない看板剣闘士が相手となれば、復讐を恐れて手を出す人間も少ないだろうが、警戒するに越したことはなかった。


「……ありがとう。それじゃ、僕は失礼するよ」


「ああ、頑張って営業してきてくれ」


 俺は立ち上がると、後ろの窓から外を眺める。外の景色に興味はないが、幼馴染たちの別れの抱擁やら何やらをじっと眺めるわけにもいかない。


 やがて、ユーゼフが出て行く物音が聞こえたことで、俺はくるりと振り向いた。


「ミレウス、ありがとう」


「感謝の気持ちは、工務店との交渉で発揮してくれればいいさ」


「うふふ、頑張るわ」


 ヴィンフリーデは微笑む。取引先でも彼女の人気は高いし、おそらく本当に安く仕上げてくれるだろう。


「……あ、そうそう。前に頼まれていたものを渡しておくわね」


 次いで、ヴィンフリーデは一枚の紙片を取り出した。


「ん? ありがとう……なんだっけ」


 折りたたまれた紙を開いた俺は、見覚えのある名称の羅列を見て思い出す。


「ああ、闘技場ランキングか」


「前に写しが欲しいって言っていたでしょう? 剣闘士ランキングのほうは、数が多いからまた今度ね」


「あっちはもうすぐランキングが更新される頃合いだし、それからでいいよ」


 答えながら、俺は手元の紙に視線を落とす。この国、ルエイン帝国は闘技場の数が多いことで有名であり、更には闘技場のランク付けまで行われていた。


 ――ルエイン帝国第二十八闘技場。それが、現在ランキング十四位につけているこの闘技場の名前だ。随分と固い名称だが、国の許可制であるため、こればかりはどうしようもない。

 三位以上の闘技場は好きに名前を付けられるが、現状ではそんなことを望める立場にない。


 第二十八闘技場の名を目印に、それより上位に位置する闘技場の名前を一つ一つ確認していく。


「やっぱり、上位は大きな闘技場ばかりよね……」


「物理的な広さだけじゃなくて、権力や財力も桁違いだからな。……いや、権力や財力があるからこそ、物理的な広さを確保できるとも言えるか」


 ランキングの写しを覗き込んできたヴィンフリーデに、俺は苦笑交じりに答える。


 この街には、見世物小屋に毛が生えた程度の闘技場から、一万人以上の観客を収容できる闘技場まで、多種多様な闘技場が揃っている。


 そして、うちの闘技場は中規模と言うにはやや小さい、といったところだ。そのため、こうしてランキングに載っていること自体が珍しい話であり、ランキング操作を疑っている人間もいるくらいだ。


「十四位、か」


 ――この闘技場を帝国一の闘技場にしてみせる。それは、先代と交わした約束だ。だが……。


「まだまだ先は長いな」


 ランキングが書かれた紙から視線を外すと、俺は窓から空を見上げた。




 ◆◆◆




 興行が終わり、観客のいなくなった闘技場は静寂に包まれている……ということはない。清掃担当を筆頭に、次の興行へ向けての準備を進めている者たちが闘技場内を走り回っているからだ。


 従業員の仕事を確認しながら、俺は闘技場内を隈なく歩く。夕陽に照らされた彼らは、各々が自らの仕事に励んでいた。そして、そんな人間の一人が声をかけてくる。


「支配人、ちょうどいいところに。今日の試合で破壊された部分はどうしますかい?」


 聞いてきたのは清掃担当の従業員だ。俺は先刻のやり取りを思い出す。


「客席付近はヴィンフリーデが工務店を手配中だ。徹底的に清掃する必要はないが、作業ができる程度には片付けておいてくれ。

 壁のほうは補修せずに塗り直すだけだから、いつも通り清掃を頼む」


「あいよ、了解」


 威勢のいい返事をすると、彼は足早に歩き去っていく。その姿を見送ってから、俺は闘技場の中心にある試合の間リングへと向かう。

 試合の間リングの石床の損傷はいつものことだが、実際に目で見ておかないと業者との交渉で足元を見られるからな。


 と、客席の最前列から試合の間リングの上に飛び降りようとした俺は、先客がいることに気付いた。

 男は石床の損傷を興味深そうに観察しており、時折自分の手で触れては感じ入っている。だが、うちの従業員でないことは間違いない。


 俺が試合の間リングに飛び降りると、彼はやや警戒した視線をこちらに向けてきた。


「あんたは……?」


「この闘技場の支配人です。失礼ですが、どちら様でしょうか? もし道が分からず迷い込んでしまったのであれば、出口までお送りしますが」


 男性がお客だった場合を考慮して、俺は丁寧に問いかける。だが、彼の身のこなしや筋肉の付き方は同業剣闘士のものだ。おそらく無意味な問いかけになるだろう。


「いや、そうじゃない。……だが、支配人と出会えたことは幸運だ」


 予想通り、彼は首を横に振ると、ここへ来た目的を口にした。


「俺は『黄金廷』バルノーチス闘技場の剣闘士だ。うちの支配人には無理だと言われたが、どうしても直接申し入れたくて、ここまで来た。この闘技場に所属している――」


 小さく息を吸うと、男は真剣な眼差しでこちらを見つめた。


「――帝都剣闘士ランキング一位。『極光の騎士ノーザンライト』との試合を組んでほしい」


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