第四話 アリゾネを追って
旧地下都市区域を出ると、いつもの見慣れた街並みが見えてきた。小さく低い建物が立ち並ぶ下層地域。街の灯りが星空のように光り輝いている。商店街は夜だと言うのに人で賑わっていた。
環夜は天井に繋がる太い透明な光る配管を見ながら、公共施設街に向かって歩を進める。途中、彰と同じ高校の学生たちが帰路についているのを見た。その中には環夜の見知った顔もいる。見つかれば、彰まで情報が行くかもしれない。
環夜は帽子をより一層深く被ると、人混みの中に紛れた。人の気配ない路地で隠れながら行くより、人の入り乱れる大通りに紛れたほうが見つかりにくい。
大通りを進み、警備署を抜け、市民総合施設の横を通ると、一際大きな建物が視界に入った。昇降機乗り場だ。
上層地域に行くには方法が二つある。軍事施設上空にある開閉型の天井から地空艇で行くか、昇降機に乗って行くか。
最も一般的な方法は、昇降機を利用することだ。軍事施設には親類に軍事関係者がいなければ入れない。すなわち、一般市民が気軽に利用できるものではないということだ。
環夜は昇降機乗り場につくと、西の入口から中に入り、真っ直ぐ受付に向かった。『
環夜は鞄からアリゾネに貰った金属板を一枚取り出すと春戸に渡した。
春戸は金属板に目を向けたあと、驚いてそれを取り落とした。金属板は派手に音を立てて床に落ちた。
「申し訳ありません」
春戸は金属板を拾うと、深々と頭を下げて謝った。顔に似合う、低くくて美しい声だった。
春戸は手に持った金属板を機械に翳そうとし、動きを止めた。まるで信じられないものを見たかのように、ただただ金属板を見つめている。
「あの、どうかしましたか?」
環夜は不安になって訊いた。もしかしたら使えないものをアリゾネに渡された可能性もあった。もし使えないなら、代わりのものを買わねばならない。
しかし、春戸は勢いよく首を横に振ると、少し怯えたようにしながら環夜を見た。
「も、問題ありません」
春戸は金属板を機械に翳すと震える手で環夜に返した。環夜は受け取り、鞄にしまう。
登録用紙を環夜に渡すと、春戸は昇降機について説明し始めた。
「昇降機のご利用は初めてなようでございますので、ご説明させていただきます」
環夜は頷く。春戸は咳払いをしてから丁寧な口調で説明を続けた。
「まず、目的地である上層地域に向かうには一度、中層地域行きのものに乗らねばなりません。下層地域から上層地域まで直接的に繋がる昇降機は一般の方はご利用いただけませんから。したがって、まず中層地域まで向かっていただいて、中層地域の昇降機乗り場で乗り換えていただくことになります。普通はそうなのですが…亜奏様は、貴族様専用の搭乗券をお持ちですので、受付から見て北側に見える扉の先にある昇降機を使用していただきます。上層地域直接型昇降機です」
「え、貴族様専用っ?」
その時、環夜は耳を疑って、つい会話を遮ってしまったのだ。
――貴族専用だったなんて。てっきり一般のかと思ったが、確かに一年も無料で使えるのだから、貴族が使っていてもおかしくない。ああ僕、悪目立ちしているな。ありぞねに騙された。このまま警備署行きか。
環夜は拳を握りしめ、言葉を詰まらせた。春戸も環夜の言葉で黙り込み、二人の周りの空気は張り詰める。
沈黙を破ったのは、春戸だった。
「えっと、最初から気にはなっていたのですが…一般市民の亜奏様がこれをどこで?間違って買うなんてことはできるわけがないんですが…」
環夜は答えられない。アリゾネに会ったことを他人に話してもよいのだろうか。そもそも、旧地下都市区域で暮らしていたなんて言えば昇降機に乗せてもらえなくなるかもしれない。
「…貰いました」
環夜は長い間沈黙したあと、やっとその一言だけを口にした。春戸は少し納得のいかないような顔をしたが、気を取り直すように頰を叩いたあと、事務的な笑顔を作った。
「そうだったのですね。貴族様の中には、我々平民と親しくしてくださる方もいますもんね。きっとそういう方にいただいたのでしょう。かく言う私も、一度だけあるのです。まあ、亜奏様のように貴族様専用のものではありませんでしたが」
そう言って春戸はにこやかに笑う。環夜は残った二枚の搭乗券を鞄の奥底へと押し込んだ。
――こんなものを何枚も持ってることを知られれば、確実に通報案件だ。
環夜は冷や汗が止まらない。爆弾を抱えて立っているような感覚だった。悪気はないのだろうがアリゾネを恨みたい。
環夜は唾を飲み込む。今からでも普通搭乗券を買ったほうが良いのではないかと思う。だが決断はできない。此処でわざわざ不便な方を選べば、周りは環夜を怪しむだろう。だが、貴族専用のものを使えば下層地域のような田舎ではすぐに情報が広まってしまう。環夜が上層地域に向かったのもすぐに分かってしまうだろう。そうしたら、彰たち家族に環夜の情報が渡り、環夜は上層地域から連れ戻されるかもしれない。
――迷うな。もうあの人達は他人なんだ。振り回されるな。僕がどんな手段でどこに行こうと僕の勝手だ。
環夜は心のなかでそう呟くが、現実では普通搭乗券を買った。
「あの、やっぱりこれでいいですか。目立ちたくないので」
察してくれと心のなかで叫びながら環夜は春戸に普通搭乗券を渡す。春戸は環夜の顔を一度見て頷くと引換券を渡した。そして営業的な笑顔ではない、優しい笑顔をして小さな声で頑張ってねと言った。環夜は礼を言う。
「では、普通型昇降機乗り場は受付から見て西側に見える扉の先にあります。いってらっしゃいませ」
春戸は事務的な笑顔に戻ると、そう言って西側の扉を指差した。環夜は小さく会釈して受付を離れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます