第1話② 阿緒と天

    ◇

「……腹減った」

 目を開けたらベッドに寝かせられていた。軽く見渡しても全く見覚えがない部屋である。良い所の部屋らしく、高級そうな壁紙で四方が飾られている。閉口するのは巨大なベッドの真上の天井に悪趣味な大きな鏡がある事だろうか。光沢あるサテンの紫のシーツの真ん中に上半身裸の自分が見つめ返している。急いで首を触って調べるが噛まれた痕はない。

 上半身を起こして怪我した胸を見ると綺麗に毒処理して包帯が巻かれているみたいだ。ズボンのポケットや足首を確認したがいつも忍ばせているナイフや商売道具がない。

「ちっ」

 足音を立てないようにそっとベッドから降り、近くのテーブルスタンドにあるランプを手に持つ。真っ白なカーブを描いた半円のそれを逆さにし、静かにコンセントを抜く。今時コンセント使用のアンティークなんてそうそう目にしない。閉じたドアにそっと寄り、聞き耳を立てる。コトコト、タンタンタンと小刻みの良い音がする。静かにドアを開ける。

 ドアの向こうは広いリビングへと広がっていた。奥にキッチンが見え、すらっとした背の高い男が料理をしている。珍しい真っ黒な髪が白いシャツに映える。シャツの裾は腿半ばまで長く伸び、形の好い生足が裸足のまま床に立っている。手足の爪は赤黒く着色されている。

 男は慣れた手付きで鍋を混ぜながら、同時に包丁で何かを刻んでいる。凄く良い香りが鼻を刺激する。

グゥゥゥゥゥ

 タイミング悪くお腹が鳴る。俺はランプを持ったまま、飛びかかるべきか止めるべきか一瞬迷ってしまう。男は腹の音が聞こえていた筈なのに相変わらず料理する手は止めない。

「そのランプは気に入っているから傷を付けたら許さないよ」

 後ろに目でもあるのだろうか、勘が良い。

 俺は黙ってランプを床に下ろした。まだ何を相手にしているのかも分からない状況で丸腰で挑むのは分が悪いと判断する。

タンタンタン コトン

「もう直ぐ出来るから座って待っていて」

 高くもなく、低くもない。優しいような、怠いような、でも艶っぽい不思議な声色だ。俺は大人しく八人用の長方形テーブルの真ん中辺りの席に座る。テーブルもマットも真っ白で寝室とはまた違った雰囲気の部屋である。どちらかというと清潔な病院という雰囲気に近い。テーブルの端の席の前には俺の道具が綺麗に並べられている。

 暫くして男は皿に料理していた物を盛り付けて持ってくる。そっと目の前に置かれた料理に目を奪われる。美味しそうな肉に、これはまた美味しそうな真っ赤なソースが掛かっている。上には小ネギが散りばめられ、肉の横には新鮮そうな色とりどりの野菜が添えられている。野菜にも別のソースが丸い皿に沿って点々とデザインされた感じでかけられている。湯気と共に立ち上がる香りが空腹を更に刺激する。

 男は目が笑っていない笑顔で俺の向かいに座る。

「どうぞ」

「これは、何の肉だ?」

「牛さん」

「……牛さん。この赤いソースは?」

「赤ワイン」

 男は笑って自分の食事を始める。肉に軽くナイフを滑らせるだけで綺麗に切れている。

「人間の血肉は入ってないって。スーパーで買えるちゃんとした食材だよ」

 俺は恐る恐るフォークを手にして野菜を一口頬張ってみる。未知なる甘くスパイシーなソースの味が口内一杯に広がる。素晴らしく美味しい。

「なんだ、これ! すっげー美味いじゃん!」

 ついがっついてしまう。かなり大盛りにあったのに次から次へとお腹に収めていく。

「美味い!」

 すっかり目の前の男の事を忘れてしまった。気付いたら最後の一口を放り込んでいる。

「……」

 悲しそうに固まっていたら前の男が自分の皿から肉を半分分けてくれる。

「ありがとう!」

 つい目をきらきらさせながらがっつく。物凄く久し振りのちゃんとした食事だ。食事は宝物に匹敵する。

 男は優雅な手付きで野菜を一口大に切っては食べている。ナイフとフォークの持ち方が絶妙だ。特にナイフを持つ事に慣れているらしく無音で皿の上に滑らせていく。

「すっげー満腹! ご馳走様でした。お前、料理の天才じゃん! なんなんだ」

 男は俺を見てふっと笑う。

「お気に召したみたいで良かった」

「……」

――――……ちょっと待て

「いや、本当になんなん、この状況⁉」

「僕の事、覚えてないの?」

「天、だっけ? え? いや、ちょっと待て……」

「会った時と雰囲気違う? あれはハイになっていたからね」

「あ? いやいやいや、ちょっと待てって! 本当に、同じ人だよね? 薬?」

「正真正銘、僕だったよ。血に酔っていただけ。薬は感覚が鈍くなるから嫌い。……お兄さんは逆に、物凄く、元気が良い人なんだね」

「うるせぇ。『物凄く』にアクセントを付けるんじゃない。あの時は刺された薬物で死にかけていたし、馬鹿みたいに痛いし、腹が減っていたんだよ。……つうか、天はバンパイアじゃねぇの?」

「僕はあんな低俗な生き物などではない」

「いや、お前、さっきはかなりヤバい奴だったじゃんか」

「うん。だから血にハイになっていただけだって」

「……やっぱり、感染者」

「違う。単なる殺人狂」

「……それを、自分で言うんだ」

 よく分からない男だ。なんか調子が狂う。

「あ、解毒と怪我の手当はありがとう。助かったよ」

「いや、対価はちゃんと貰おうと思っていたからお礼はいらないよ」

 あー、やっぱりそうきたか、と思う。この世はすべてギブ・アンド・テイクだ。逆に見返りを求めない人助けの方が確実に怖いが。

「いくら欲しい?」

「お金には別に困っていない」

「じゃ何? 噛まれるのは、嫌だぞ」

 天がクスクスと笑う。

「だからバンパイアじゃないって」

「お前、普通に八重歯あるじゃん!」

「いや、だから普通の歯だよ、これ。生まれ付きの自前歯」

「ぇえ……紛らわしい」

 つい口から文句が出てしまう。

「じゃ、何が欲しんだ?殺されるのも嫌だぞ」

「普通殺す人間にご飯を作ってあげたりはしないと思うよ」

「おっしゃる通りです」

 天が目を細めてふふ、と笑う。さっきのを見ていなければ、物腰の柔らかい好青年だと思っていたのかもしれない。さっきのを見ているので逆にこの柔らかい雰囲気が少し恐い。

「お兄さん、ここに住まない?」

――――すむ?

「――――……。……はい?」

 天がにっこりと笑う。静かな時はなかなかの美形だと気付く。珍しい濡れた鴉の羽根のような艶やかな黒髪は後ろをさっぱりと刈り上げて前は目を覆うぐらいに長い。妙に艶っぽい目は、これもまた珍しい黒だ。長い睫毛も陰りのある色気を増長している。そんな天は全く瞬きをせず、テーブルに身を乗り出して、俺の顔に凄く近い場所で言う。

「お兄さん、危ない秘密持ちでしょう?」

「……」

 無意識にテーブルナイフを振り上げる。空中でくるりと指上で回し、天の頭目掛けて振り下ろす。この間0・9秒。

なのに。

 天は空中で俺の手首を目で追えない速さで掴む。手首をギリギリ絞められ、ナイフを落とす。ガッチャンと耳障りな音がする。彼の表情が全く変わらずに不気味な笑みを浮かべたまま手首が潰されていく。ミシミシと音がして骨が軋む。

 両手をぱっと広げた瞬間、天がすぐに手を離してくれる。手首に目をやると赤く変色している。この人は全く躊躇なく人を壊せる人間だろう。

「お前、何?」

「だから殺人狂。人の話はちゃんと聞こうよ」

「だからそうじゃなくって!」

「僕、鼻が効くから」

「どんな嗅覚なんだよ。いや、それ以前に一緒に住むってなんなんだよ!さっき会ったばかりじゃねぇか!」

「だってお兄さんってなんか面白そうだもん」

 にこにこしながら、瞬きを全くせずに言われる。

「僕、料理得意だよ」

「それは先程よく分かった。確かに素晴らしい料理の腕前だよ。一流レストランも夢じゃないと思うぞ」

「レストラン経営には興味がない。お兄さん、今ホームレスでしょ?丁度良いじゃん。ここに住みなよ。衣食住提供するよ。お仕事の邪魔もしないし」

 自分の顔がぴくりと反応するのが分かる。至近距離にある天の顔が不気味に笑ったまま離れた。

「取り敢えず、先にシャワー入らない? お兄さん、物凄く臭うよ」

 先程の寝室に案内され、奥のドアを開ける。立派な大理石の浴室が現れた。洗い場は大きく、更に大きな浴槽が床に埋め込まれている。

「手伝おうか?」

 天が笑う。右手を伸ばしてきて俺のズボンのボタンを外し、チャックを器用に片手で下す。

 今度は俺が彼の手首を掴む。

「……おい。何をする」

「ん〜、お手伝い的な?」

 細いと思っていたけれど結構しっかりとした筋肉が付いている。白襟のシャツから伸びる足が艶めかしい。彼は目を細めて笑ったまま、俺の足の間に膝を入れる。内側沿いに際どい所まで膝を擦り上げて、ぴたりと止まる。

「……」

 二人ともその姿勢のまま、無言で見詰め合う。

――――顔は綺麗なんだよなぁ

 俺は無言のまま、シャツの裾から伸びた腿に手を添える。そのまま指を皮膚に沿って滑らせる。

 天は下に何も履いていなかった。少し反応し始めているペニスを遠慮気味に握ると全身で気持ち良さそうに溜息を付く。とても下半身に響くような声をしている。

 俺は彼を壁に押し付けて足の間に体を割って入る。天は誘うように俺の首に両手を回して快感に身を委ねるように目を閉じた。上げていた左足をそのまま俺の腰に回して触り易い体勢にしてくれる。ちょっと扱くだけで直ぐに硬く立ち上がる。先の方からとろとろと濡れて指を伝う。

 天の喘ぎ声が妙に色っぽい。彼の耳元で笑う。

「これが欲しかったのか?」

「あは、お兄さんよく分かっている」

ヌチュ ヌチュ

 浴室に濡れた音が響き渡る。俺は前を扱きながら彼の後ろに手を伸ばして透明な体液を塗り付けて指を当ててみる。簡単に指が沈み込んでいく。

「はぁ、あっ」

 ちょっと指を動かすだけで直ぐに濡れて解れてくる。前と後ろを同時に刺激すると天の顎が上がって形の良い喉が晒される。俺はそれを舌で舐めなぞると首に回された手に力が入る。

カタンッ

 俺は彼の手を引き離し、壁に彼を押し付ける。両手を壁につけ、彼は足を開いて触り易いように尻を差し出す。裾からまた指を入れて解していく。

ヌチャヌチャヌチャ

「あぁ、……は、あ」

 指を三本に増やして激しく指を出し入れすると、天が腰をびくびくと痙攣させる。

「う、ぁあ!」

 一際大きく喘ぐとペニスを扱いていた手に熱い精液がかかる。天はぶるぶる震え、膝が折れる。俺は強制的に腰を掴んで立たせ、激しく指を動かす。

「ひっ、あ、ぁあ!」

 後ろが痙攣して指が締まる。ヌポンッと指を抜いて、引っ張り出した自分の昂まりを押し付ける。天は赤らめた目元で俺を見て、笑って、煽ってくる。俺がゆっくりと腰を進めると痙攣が激しくなる。ぎゅうぎゅうにキツくなった締め付けに顔を顰めて、一気に根元までぶち込む。

パンッ

「あぁあ!」

ドクン

 全部入った瞬間に彼がまた熱い精子を放つ。背中も中も生き物かのように激しく畝りながら痙攣をする。気にせずに深い所で力強く自分の欲望を激しく出し入れする。

――――すっげぇ。女より……

「……気持ち、いい」

パンパンパンパンッ

「ひっ、あ、あ、あ、……ぁあ!」

ジュブジュブジュブ

 結合部分から漏れた腸液が白く糸を引く。俺は両手で天の腕を掴んで後ろから激しく打ち付ける。ぞくぞくして一気に深い場所に打ち込み、出して右手で激しく扱く。

「ふっ」

 熱い精液を彼の型の良い尻に出す。とろっと尻の割れ目に垂れ流れる。天が細かく痙攣しながら浴室の床に崩れ落ちる。

ハァ ハァ ハァ

 肩で息をする。天は床に座り込んだまま手を伸ばし、シャワーの栓を捻る。冷たい水が浴室の天井から落ちてきてすぐに温かいお湯になる。

「うん、臭い」

――――煩いな。今さっきまで尻振っていたくせに人を臭い臭い言うな



    ◇

 天に直接頭からお湯を掛けられてしまったのでシャワーをさっと浴びる。一緒に濡れた服を脱ぎ捨て裸になる。天は意外と物凄く筋肉質な体をしている。無駄がなく締まっていて、ところどころ小さな傷がある。どう見ても一般人の体じゃない。

 包帯は濡れて絡まったので天にハサミで切り取って貰う。この人にハサミを持って後ろ立たれるとかなりの恐怖を感じたが無言の笑顔に威圧されてしまった。

 包帯をスルスルと解くと刺された胸の所の傷が思っていたより綺麗に処理されて焼かれている。そこまでの痛みもない。まだ火傷の真新しい皮膚が濡れている。妙な事にもう治癒が始まっている。

「さっきのお肉を血清でスパイクしたよ」

 天の方を見ると事も無げに言ってのける。

――――おい、俺の意思はそこには関係ないのか

 バンパイア血清は最近発見されたドラッグにも薬にもなるものだ。人が摂取すると強い痛み止めと回復増幅になるし治癒が爆破的に早まる。ただし摂取し過ぎると暫く精神異常をきたして思考力が落ちる副作用もある。

 天にもう一度包帯を巻いて貰い、新しい服を用意される。彼が俺よりも数センチ高いかぐらいだろうか。身長的には同じサイズが着られる。気付いたら黒いズボンとシャツでペアルックを決めてしまっている。

「……で?」

 天は俺の前にコーヒーを置く。その黒い液体に疑いの目を向けてしまう。

「これは薬でスパイクしてないよ?」

「じゃなくって! お前、俺の事、何知っている?」

「お兄さん、コレクターでしょう?」

 自分の目付きが鋭くなるのが分かる。コーヒーカップを上から掴む。振り回すよりも早く天が俺の手の上からコーヒーカップを抑える。にこにこしながらも俺の手を抑える力は凄まじく、微動だにしない。中の液体は揺れていたが一滴すら零れていない。

「ダーメ。コーヒーなんか振り回したらお掃除が大変でしょう」

 近距離で見る天の目は益々感情が読めず不気味だ。

「もう、本当に短気だなぁ」

 ブツブツと笑顔で文句を言っている。天の目が楽しそうにもっと細くなる。

「他にもあるよね? 大きくって、体内に隠している秘密」

「お前、本当になんなの」

 腕に鳥肌が立つ。普通の人間は気付かない筈だが。

「次のお仕事いつ予定しているの?」

「一応今夜入っているけど」

「君の仕事に付いて行ってもいい?」

「え、ヤダヨ。お前、絶対変になりそう」

「残念。じゃあ、いいよ。お楽しみは今度まで取って置くから。これ、持って行って」

 手渡された鍵を見る。

「不用心じゃね?」

「僕の家に何かするつもり?」

「いや、しない。後が怖い」

 ついぷるぷると首を振ってしまう。天は「ふふふ」と笑いながら俺の手に何か硬い物を渡してきた。見るといつもは服に忍ばせている俺のナイフと硬いケースに入った商売道具である。ナイフは研いでくれたのか、いつもよりももっと禍々しい輝きを放っている。

「他に必要な物ってある?」

「ない」

「じゃあ、行ってらっしゃい。朝食楽しみにしていてね」

 無理矢理玄関の方へと連れて行かれ、そのまま夕暮れの外へと追い出される。目の前を無下にもドアがバタンと閉められる。

「マジで……なんなんだよ」

 酷く疲れた気がする。

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